29 7月, 2011

「善き人のためのソナタ」に寄せて

先輩からのメール
昨夜アップした、おすすめ映画の記事を読んだ高校時代の先輩がメールくれました。ある大手企業のヨーロッパ支店長をされていた時の経験が書かれていました。こころに響く内容だったので、そのままコピペしました。
真実の重み、というものかもしれません…。
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
この映画は私にとって、今まで見た中でも数本に入るものです。
あの映画を見て、かつてのドイツ人の同僚たちから何度も聞いた生々しい話を思い出しました。ドイツ人が作っただけあって、あの映画で撮られているそういうシーンは私が聞いた話とも似通っており、確かに現実をほぼ踏襲していると思います(現実はもっとひどかったかもしれませんが)。
当時私のアシスタントをしていたドイツ人の女性は、戦後20数年間娘と会えなかった人です。戦前まで事業をやっていた夫の収入で裕福に暮らしていたのが戦後は逆にすべて剥ぎ取られ、夫や娘とも別れ、睡眠34時間のホテルメイドとしてアパートの屋根裏部屋で隠れるような生活をしていたといいます。手紙など出せない(出しても閲覧されるので何も書けない)。周りのあらゆる人が、どんな理由で誰をシュタージに密告するか、まったく予想も付かない毎日。ちょっとした口喧嘩や感情のもつれで相手にウソの話を作られてつかまった人も多数。毎日寝るとき、今日も一日生きられてありがとうございますと神様に感謝していたと。彼女(当時60歳くらい)とは連日遅くまで仕事をし、近くのいっぱい飲み屋で夜中までよく話をしました。そんな経験をして生きてきたからか、5時になったら帰る若いドイツ人の何倍も平気で働きました。聞くと「何でそんなに働くかって? ミスターイケダ、ここでは殺されないから。そんなところだったら私は寝なくてもいい。」
ある日、会社の入っているビルでボヤ騒ぎがありました。結果はただの煙で終わったのですが、みんな我先に外へ避難する中で、彼女は平気で仕事を続けました。「何をしている! 早く出ろっ!」といった私に立ち上がって彼女が叫んだ一言が未だに耳にあります。
「共産主義社会(含むシュタージ)でさえ私を殺せなかった。こんな火ぐらいが私を殺せるはずがない!」数年間私のアシスタントとして働き、「上司には絶対」の社会ですべて私の言うことを快く引き受けてきた彼女の、たった一回の“反論”でした。その表情に、彼女の生きてきた道をさらに見たような気がしました。

会社の、私の後ろのスペースの一角にある日一人の女性が入社しました。人の出入りはしょっちゅうでしたので気にも留めていなかったのですが、その人の表情が他のドイツ人と違ってやや無機質なのがなんとなく気にはなっていました。それと武道をやっていた身としては、隙のない目の配りといいましょうか、それも気になっていました。
聞くと、壁の崩壊半年前に東ドイツから逃げてきた人でした。一緒に逃げてきた人には撃ち殺された人もおり、よって今は知り合いのところに身を寄せてはいるが毎日追っ手を気にしているとのこと。道理でそういう身のこなしだったわけです。半年待てば、堂々とその殺された友人ともども西側にこれてたのですが。壁が崩れるまでの間の彼女の表情が忘れられません。実は壁が崩れても彼女は当分の間同じ身のこなしでした。世の中で言われていることは心からは信じていない、とでもいう風に・・・。

この手の人たちは、西ドイツで生まれ育った人たちとはまったく似ても似付かず、西の人間は、言ったら日本人と同じくらい平和ボケかあというくらい東の人たちは違いました。

ただ映画の話に戻ると、そういうことを思い出したから今までの中で数本に入るということではもちろんなく、そういう世界に生きているにもかかわらず、映画の中のシュタージが変わって行った、ということに対してです。
変えたのは「芸術」です。お金でも、モノでもありません。
映画の中では音楽でしたが、オペラでもバレエでも芝居でも、絵画・彫刻でも、何でもいいと思います。芸術は魂を振るわせる、ということが、あの、魂を封印してしまったシュタージに起こったということに私は人間の本来的なものを見たような気がし、そのことに私はまた魂が震えたのでありました。