27 5月, 2013

iPhoneの怪

先々週知り合ったばかりのAさんのお宅に伺うことになった。iPhoneのアドレスにAさんの住所や電話番号を入れ、iPhoneのナビ機能で経路を確認しながら20分ほどの道のりを駅から歩き始めた。駅から真っすぐの道が高速道路をくぐるような五叉路の交差点にさしかかった。高速の真下が交差点になっているのである。今から渡ろうとしている道の次の道とまたその次の道の間の角に交差点を見据えるように一つの墓石が立っていた。
コンクリート塀を背にしているその墓石は囲いも何もなく、歩道と同じレベルに直置きされた光景は異様な感じがした。墓石には花が添えられていた。私には霊感はないが、高架の下の空気が淀んでいる感じがした。
昼間でも薄暗い高架下の墓石の前を通り過ぎないと目的の道を行くことはできない。回り道をすることまで頭がまわらなかった。左手にiPhoneを持って地図を見ながら、なるべく墓石にフォーカスしないように歩いたが、やっぱり気持ち悪かった。
交差点をあとにしてすぐ公園があったので、休憩がてらベンチに座って水分補給した。再び経路を確認しようと、さっきポケットに入れたばかりのiPhoneを取り出したら、すごく熱を持っていた。あれ〜、と思ったら、画面が真っ黒。電源切った覚えはないし、ポケットに入れていただけなのに…。
さて、困った。行く先の住所は町名までは憶えているが番地までは憶えていない。何度ホームボタンや電源ボタンを押してもウンともスンとも言わない。そして相変わらず、本体が熱い。もしやバッテリーが高熱を発して煙が出るのでは? 爆発したらどうしよう、などとちょっと心配になる。

Aさんから朝方届いたメールには、バスで来るならナントカ小学校前停留所で降りて、って書いてあったよなー、と思い、交番があったのでお巡りさんに聞いてみた。そしたら、ナントカ小学校前停留所は二つあって、小学校名は憶えてないのか、と言う。憶えてないわよー、バスに乗らずに歩いたんだからー。交番で20分くらい地図を見ながら、記憶をたどろうしたが無駄だった。

Aさんの連絡先を知っていそうで、かつNTTの電話番号案内で探り当てられるのは、国立のヒーリングショップの月船さんだけ。それを話したら、お巡りさんは、月船を自分の携帯電話のネットで検索してくれて、月船さんの電話番号だけは教えてくれた。電話は使わせてもらえなかったので、交番から一番近いという八幡さま(神社)の入り口にある電話ボックスへ急いだ。
公衆電話から月船さんに電話してAさんの連絡先を聞いたが、携帯メルアドしか知らない、とのことだったので、「オーバリーの携帯が急にこわれて、お宅の近くで迷子になって八幡さまの電話ボックスにいる」と月船さんからAさんにメールしてもらうようお願いした。5分後くらいにまた月船さんに電話して、Aさんから返信がないかを確かめたが、返事はまだだという。また5分後に電話します、と言い、電話を切って周辺をうろうろしていたら、遠くにAさんらしき人影が見えた。月船さんからのメールを見て、八幡さまあたりを探しに来てくれたのだろう。
Aさんに駆け寄ってiPhoneを見せながら説明しようと彼女に向かってiPhoneを差し出した途端、画面が復帰したのだ。その時、ホームボタンも電源ボタンもさわっていない。
鳥肌が立った。約束の時間から1時間もたっていた。

Aさんは「セージで浄化、浄化…。」と言いながら家に入り、すぐにセージの葉を出して来てくれて、火をつけ煙でiPhoneを浄化してくれた。

これがもし霊的なものの作用だとしたら、何かの理由で私の到着を遅らせるためなのか、ただ邪魔をしたかったのか、謎である。
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霊的障害ではない場合(苦笑)はこちらを参考にしましょう…
●iPhonの電源が入らなくなったときの対処法
参考サイト:http://point-savings.seesaa.net/article/270719725.html

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追記:本当に墓石だったのかと、ふと気になって「高速道路、交差点、墓石、調布」のキーワードでググってみた。あった…。
正確には、墓石ではなく、「道正塚」と彫ってあったらしい。
林望氏の著書『東京珍景録』(新潮文庫)のp172に出てるそうだ。「無縁塚」だった場所を買い取り、塚を壊して家を建てた家に三人もの不幸があったため、供養のために元の場所に塚を再築しようとしたが、すでに平地にしていたので、平地のまま、石を
建てたらしい。元来「塚」だったが、何故か墓石の形にしたとのこと。昭和9年のこと、とある。
う〜む、やっぱり墓石と同じだね。こわ〜い…。

25 5月, 2013

月船deワークショップvol.15

玉虫のような輝きを見せるローマングラス
と、やわらかい輝きを見せるメノウ。
今日のワークショップに参加されたお二人は、持参された思い入れのあるお品で作品作りをされました。

Yさんは2年前にその美しさに魅かれて購入されたというローマングラス。ローマ時代のガラスです。何百年以上も土の中に埋もれているとガラスは化学変化を起こすことがあります。”銀化”と呼ばれる現象です。今まで眺めるだけだったというその美しいガラスを身につける時がきました。

そして、Mさんのお品はご自身で採取されたというメノウ。御前崎のユースホステルに泊まると、オーナーがメノウのとれる場所を教えてくれるそうで、そこで採取した石だそうです。そして、さらにご自身で磨いたそうで、この小さな2個のメノウを磨くのに、目の細かいサンドペーパーで5時間(!)かかったそうです。その甲斐あってか、手のひらにしっくりくるような石でした。ちなみに御前崎のその教わった場所でかなりの数の石を採取したそうですが、オーナーに見てもらってメノウと判定いただいたのは数個だったとか…。(「行きたいなー、御前崎」と私が言うと、月船の店長が「オレが先、オマエが先」とつぶやきました。一瞬、スルーしようかと思ったけれど、笑っておいた…。流石(さすが)ね!店長。)

毎回、お客様と石(ガラスも)の出会いの物語を見せていただいてますが、皆さん十人十色です。直前に店頭で買われた石だとしてもです。どんな石も手をかけることで見違えます。

24 5月, 2013

イチゴはつぶしながら

竹のスプーンは丈夫で重宝します。
口当たりもいい。
最初、”イチゴをつぶしながら”というタイトルにしようと思ったけど、どっかで聞いたような響きだったので、ググってみた。
やっぱりあった…。田辺聖子の小説のタイトル「苺をつぶしながら」が。
一応オリジナリティをアピールするために、”イチゴつぶしながら”にしといた。いつか、小説書くかも知れんしね…。「イチゴはつぶしながら」て、どんな小説やねん(って、ひとりツッコミ)。

「苺をつぶしながら」というフレーズからくる印象は、イチゴをつぶしながら何かをしている状態であり、語られる対象はイチゴをつぶすことではないわけですが、一方、「イチゴはつぶしながら」からくる印象は、”イチゴはつぶすもんなんや”という、イチゴをつぶす行為自体を強く表現するものであります。

まー、どーでもいい前置き、結婚式の上司の祝辞並みに長くなりましたが、最近の私のマイブームデザートでございます。
作り方は、前置きより短くてカンタン。

コップに入れた冷凍イチゴ(カットされてるもの、量は好みで)にひたひたより少なめの牛乳をかけ、甘みは蜂蜜入れて調節(砂糖でもオリゴ糖でもお好みで)。
そしてイチゴはつぶします。ミキサーなんて電気は使わないわよ。人力です。スプーンでつぶすのですが、このとき大きめの竹のスプーンが最適です。竹のスプーンは満身の力を込めても折れませぬ。素材への当たりもよろしい。果肉が適度に残ったスムージーみたいになります。
そこに、ひと晩ヨーグルトにつけておいたマシュマロを入れて、出来上がり!
マシュマロをヨーグルトに漬けておくと、ムースみたいになります(マシュマロの袋に書いてあったので、やってみた)。

間違っても、まるのまま凍ったイチゴを使うべからず。つぶそうとしたら、どっか飛んでいくわよ〜

22 5月, 2013

生ハムみょうが

友人にご馳走になってから病み付きになった一品。

パン(バゲットが一番おいしい)にクリームチーズを塗って、スライスしたみょうがと生ハムを乗せるだけ。友人は、黒こしょうを少々かけていた。

あらかじめバゲットにちょっとだけバージンオリーブオイルを垂らしておいても美味しい。
すぐできるので、来客時のオードブルや忙しいときの朝食や昼食にも。結構、数食べれるので、夜食はキケン。

生ハムとみょうがとクリームチーズの三者がこんなに相性がいいとは知らなかったわ〜。最近は冷蔵庫にそれらを常備しています。
みょうがも庭先に植えたくなってきたわいなあ…。

20 5月, 2013

月船deワークショップ vol.14

左側の水晶はブレスレットにしたいというご希望
で、チェーンを通すところを上下に作りました。
右のSさんのガラスは、Sさんの中学生のお嬢さんに
「合格」と言われたそうです。
iPhonに入れた写真加工の無料アプリで、遊んで
みた。右端の紙ヒコーキがちょっとジャマ…。
私がお教えするワイヤーのかけ方は、一応、どんな形の石でもペンダントヘッドにできますが、やりやすい形は平べったいのや角のある石です。角やへこみなど、ひっかかりのある形のものが、最初はとっつきやすいと思います。

本日の月船さんでのワークショップは、小雨ちらつく中、お二人にご参加いただきました。透明感のあるものがお好きだというIさんは先端の尖った水晶ポイントを、Sさんは美しさにひと目惚れして買ったはいいけど使い道がわからず、タンスの肥やしになりかけていた平たいフュージングガラス(工芸用ガラス板を溶かし合わせたもの)と拾った石をお持ちになりました。

雑談することもありますが、ワイヤーを巻いてる時は、いつの間にか無口になってご自分の世界に入っておられるのがわかります。無心になれる時間を気軽に持てるのが、このワイヤーワークの魅力のひとつです。

19 5月, 2013

問題発言

「慰安婦は必要だった」「慰安婦はどこの国の軍隊にもあった」などの発言を聞いて、いつまでたっても日本の政治家って(全部じゃないです。あしからず…)、低レベル思考なんだなー、とガッカリする。例えば、殺人犯が罪を問われて、「だって、他の人だって人殺ししてるもん」ってアホな言い訳してるのと同じだってこと、元弁護士センセイがわからんのかい。
こういうことを言うってことは、また戦争が起こったときに平気で”慰安婦を派遣”しかねないし、戦争さえも独特の理論武装で正当化しかねない。
自分の妻や娘を慰安婦として派遣できるかどうか、我が身に引きつけて考えたことはないのか…。想像力のなさ、あるいは”自分の身(内)には起きない”ことだと思っているから言えること、つまりある種の差別意識が見え隠れする。

その問題発言の後の世論調査で「維新」の印象が悪くなったと答えた人が50%にとどまった、というのも、なんか切ない。
慰安婦に関して問題発言した政治家たちとそれを支持する人たちに想像力があるのだとしたら、もし戦争になった時、自分の妻や娘を慰安婦として派遣できる人たちなのかもしれない。
問題発言をするこの政治家をカリスマと勘違いしてついて行こうとする動きがあることに不安を覚える。この不安が取り越し苦労ならいいけれど…。

18 5月, 2013

15年ぶりに陶房へ

手前のペンダントヘッド5個とウォーマー(アロマ
キャンドルを中に入れ、マグカップやポットが冷め
ないように温めるのに使う。写真は乾燥中のため
さに置いてある)を制作。奥は友人作のスプーンや
小壷。これから素焼き→釉薬かけ→本焼き、という
行程を経る。
15年(いや、もしかしたらもっと?)ぶりに、東京都西多摩郡の日の出陶房へ。
友人が3月末に愛猫を亡くしたばかりなのですが、「お寺から持ち帰った猫の骨壺が白くて冷たい感じで、なんか親しみがわかない」と言うので、「じゃあ、猫の骨壺作りに行ってみない?」と誘ったのです。

初めてここを利用する人には、手びねりの基礎を湯呑茶碗で教えてくれます。私は15年ぶりの作陶でうろ覚えだったので、私も友人と一緒に教えてもらいました。高台(こうだい)の作り方などすっかり忘れていました。基礎をひと通り教えてもらったら、後は作りたい物を自由に作ります。わからないことがあれば、その都度、陶芸家として活躍されている3人の講師のうちの誰かに教えを乞うのです。

料金は体験コースなら一回2000円。チケット制(回数に関係なく消費期限は半年)は3回からで、一回につき1500円。朝10時から夕方5時くらいまでの間、好きな時間利用できます。2時間でも7時間でも同じ料金です。ロクロを使う人は、プラス1000円。粘土で作った物を焼いてもらうには、別途に焼成費を払います。焼成費は物の大きさで違います。湯呑み茶碗でだいたい500円くらいだそうです。

施設を見下ろすように建つ、通称「武家
屋敷」の縁側でお弁当タイム。明治時代に
料亭として建てられた。陶房利用者も
泊まれる(有料)。自炊です。
この陶房は「日の出太陽の家」という知的障害者のためのグループホームの設備の一つです。その陶房を一般にも開放して、入所者と外部の一般人が社会交流できるようになっています。陶房に通っている利用者の顔ぶれは、15年の間にすっかり変わってしまいましたが、陶房のたたずまいは変わっていませんでした。

陶房入り口に並ぶ、講師黒田さん
の作品。ステキです。今度、
マネして作ってみようかな。







午前中は太陽の家の入所者が作陶する時間のようで、作陶を得意とする数人が作業しているのですが、その中に15年前にも作陶していたKさんの顔を見つけて懐かしくなりました。今日は、いくつもの皿に蟹の絵を描いていて、とてもカッコイイ蟹でしたので、あとで施設内でたまたま見かけたときに「お皿の蟹、かっこよかったですね。」と言ったら、「そう?カッコよかった?ありがとう。カッコよかった?」と、嬉しそうでした。

友人は一日体験で帰るつもりが、自然に囲まれた陶房での一日を満喫して、しっかり3回チケット買って帰りました。

陶房詳細:http://www.taiyonoie.org/npo/toubou/toubou.htm
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太陽の家の創設者でもある初代理事長•中島正清氏は、関西で会社を経営していた方ですが、50歳で会社経営から身を引き、家族で東京の奥多摩に近い日の出町の山あいに移り住み、私財を投じてこの施設をつくられました。建設前には周辺住民からの建設反対運動が6年間(!)もあり、その時全国からボランティアが来て周辺住民の説得に当たったそうですが、その中にオウム事件で犠牲になった坂本堤弁護士夫妻も居たそうです。創設からの26年間もいろんなご苦労があったようですが、そんな苦労を感じさせないなごやかな気持ちのいい場所で、初代理事長のお人柄が反映していると感じます。数年前に亡くなったそうですが、初代理事長のとても穏やかな優しい笑顔を今もはっきりと憶えています。15年前は陶房を取り仕切っていた娘さんが、現在、理事長の仕事を受け継いで、施設全体の事務方として頑張っていらっしゃいます。

12 5月, 2013

月船 de ワークショップ vol.13

昨日、雨の中をワークショップにお運びいただきましたお客様は、私が大好きな街・松本のご出身だそうで、松本の話しで盛り上がりました。

松本はスカイツリーと同じくらいの標高なんだそうです。松本でおそば食べるなら、意外と駅の立ち食いそばが美味しいことなど教えてくださいました。南松本駅と村井駅がお勧めだそうです。昔ながらの美味しい定食屋さんの名前も教えていただいたのに、メモしなかったら、案の定忘れてしまった…。

そんな話しをしながら、グレーのナチュラルな感じのお洋服にぴったりの作品を2点完成されました。

左:アメジスト  右:ロードクロサイト(インカローズ)

11 5月, 2013

ミニワークショップのお知らせ

明日12日(日曜日)、中央線国立駅から徒歩3分の月船(つきのふね)さんで行なわれる、”手仕事&市”に参加します。
そこでルーンを作るミニワークショップをします。
他にもいろんな作り手の作品が集まります。掘り出し物を探しにきてください。

詳細:http://tsukinofune-shop.com/?pid=58133883

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〜ケヤキの樹皮で作るあなただけのルーン〜

ルーンとは古代から中世期末期にかけてヨーロッパ各地で使われていた神託の道具です。多くは木片に文字を焼き付けて作られいたそうです。(占いとしての古代のルーンの解釈は、記録されなかったため現代には伝わっていません。)

ご神木として使われることもあるケヤキの樹皮を使って、あなただけのルーンを作ってみませんか?まず、25種類の文字(正確には24種類の文字と文字のない空白のルーン)のルーンの中から無作為にひとつだけ引いていただき、その文字の解釈をお伝えします。ご自身でその文字をケヤキの樹皮に彫り付けてペンダントとしてお持ち帰りください。
問題に突き当たったとき、私たちはどう行動すればいいのか、本当は答えを知っています。しかし、恐れや不安などさまざまな感情が、自分の中にあるその答えを見えにくくしています。現代のルーンは、そういう時にあなたの心の中を映し出す手助けをしてくれます。

当日はケヤキの樹皮の形をある程度整えたものをご用意します。
あなたのルーンの文字が決まったら、その文字の意味を心の中で反芻しながら、ケヤキの表面をトクサ(砥草)で磨いていただきます。トクサとは植物で、天然素材のサンドペーパーです。表面がなめらかになったら、ルーン文字を彫りつけます。彫った溝に金色、またはお好みの色(耐水性の絵の具です)を塗って、革ひもを通して出来上がりです。

10 5月, 2013

帰京

うちから徒歩15分の唐津の海岸。
気晴らしの散歩に行けたのは
結局一回だけだった。
3週間弱の九州の実家滞在から帰還。
今回は前回と比べて、要介護1の母の下の世話をする回数が増えた。要介護認定審査では、自分で食事をとれるかどうかが審査基準の軸になっているようだが、排泄時の自立具合も基準に入れて欲しいな〜。
母は食いしん坊将軍だから、寝たきりになっても、きっと食事だけは自分で食べるだろうと思われる。
しかも、普段は足が痛くて「痛タタタタ…」とか言いながら、時間かけて痛そうに立ち上がるくせに、審査時は「立ってみてください」と言われて、スクッと立ちなさる…。普段は何か話しかけても、無愛想に答えるか、または答えもしないくせに、審査時はスマートな受け答えをなさる。お願いだから普段通りにやってよねー。

まあ、それでも要介護認定がとれて、デイサービスに行ってくれるのは、家族にとってとても助かっている。
先日、デイサービスから帰って来た母が「あんたの同級生のK君のお母さんがデイサービスに来始めらしたよ。」と言った。なんでもK君のお母さんのほうから我が母に「お宅のりえさんとウチの息子が同じクラスでした。」と話しかけてこられたらしい。

また別の日には、高校時代の剣道部の先輩のお店(カバン屋さん)に行って立ち話したとき、「お母さん、どこのデイサービスに行きよらすと?」と聞かれたので、「S医院」と答えたら、先輩は「あら〜、ウチのお義母さんもよ〜。」と言って、しばしお互いの親についての話しに花が咲いた。
幼い子を持つ母親が公園デビューして、などという話しが、老いた親を持つ子ども同士が施設(?)デビューという話しに取って代わる日はそう遠くはないだろう。

08 5月, 2013

収穫の日

福岡市内に住んでいる従姉妹と伯母に、夏みかんをとりにきてもらった。
伯母は心臓があまりよくないうえに、家族の問題でストレスを抱えて顔中に原因不明の湿疹が広がってつらそうだが、このささやかな収穫作業が息抜きになったようで、晴れ晴れとした声で、夜にお礼の電話をくれた。

畑の横に夏みかんの木が10本近くあり、それがたわわに実をつけている。
昔は、農協に卸していたみたいだが、今は自家消費用になっていて、食べきれないので父の知り合いや親戚に配っている。
剪定が行き届いてないので、手の届かない木の上部は枝葉が茂り過ぎて、でも花がたくさん咲くのだろう、妙に密集して実が下がっていたりして、陽があまり当たってない実もある。
いずれ父から引き継ぐみかんの木、剪定や肥料やりなど、ちゃんと手入れできるか心配。

タケノコはたいてい取りつくしたと思っていたが、まだ2本頭を出しているのを発見。フキもたくさんあるので、煮物セットとして従姉妹に持ち帰ってもらった。

6月に母が手術する予定なので、また実家に帰るが、そのときの楽しみが木イチゴ。黄色い甘い実をつける。今は花が終わって散ったところ。
ただし、木イチゴは鳥との競争になると思う。彼らは食べ頃をよく知っているから。
たぶん、鳥たちが勝つ。

07 5月, 2013

忍び寄るタケノコ

タケノコのカレーチャーハンとタケノコの
味噌炒め
自分ちの敷地でとれるタケノコ、って聞こえはいいが、実は大変。
毎年、こまめにタケノコをとらないと、そのうち敷地全体が竹林になってしまう。
敷地内に竹林、てのも以前は「まあ、ステキねー。」と思っていたが、ステキな竹林とは、かなりこまめに手入れされているものであり、手入れを怠るときたならしい竹林になる。ステキな竹林はよそのおうちかお寺に行って見るに限る。

祖父母の畑を父が受け継いでいるが、もともとオオバ家の敷地には竹はなかった。持ち主のわからない隣りの敷地の汚(きたな)らしい竹林から、竹がオオバ家の畑に侵入してきたのだ。竹林に接しているいちばん上のうちの畑は石垣によって竹林よりも1.5mほど低くなっているにもかかわらず、侵入した竹の根がはびこってしまい使いものにならなくなっている。竹はかなり深く根を張るようだ。


今回3週間弱の実家滞在の間、7割くらいはタケノコを食べている。
タケノコご飯、タケノコの吸い物、または味噌汁、タケノコの炒め煮(フキと鶏肉と共に)、タケノコのカレー、タケノコの味噌炒め(さやえんどう、山椒の葉と共に)、タケノコのマリネ(生ハム、山椒の葉と共に)、タケノコのオムレツ(最初にタケノコだけを油で炒めてかつお節を入れ醤油を少々からめたものを溶き卵に入れてからフライパンに流し入れる)、タケノコのカレーチャーハン、などなど。頭のてっぺんからタケノコが生えてきそうだ。

オオバ家の畑に忍び寄るタケノコとの闘いの日々、いつまで続きますやら。

05 5月, 2013

ガスール

ガスールとは、モロッコでとれるきめの細かい粘土。
私がイラストのお仕事いただいてる会社・ナイアードさんの商品。今回、カタログなど新しくするにあたってイラストのご依頼いただきました。商品の外見や使い方風景などを水彩で仕上げる仕事。
白いパッケージや、プラスチック越しに見える中身の表現は難しい…。美大受験のために描きまくった水彩の静物画を思い出しながら描いています。

この粘土は洗顔からお肌のパック、染髪などにも使えるものです。しっとりスベスベになります。私は取材のときに一回しか使ってないのですが、しっとりとしました。
このいただいたガスールは水彩画を仕上げるまで袋を破れないので、早く仕上げて、使いたい…。

04 5月, 2013

母を連れて「ルーベンス展」

朝、父が「お母さんば何処か連れてってやれ」と言った。
父は「体調いまいちやけん留守番する」と言ったが、たまには一人でのんびりしたい、というのが本音だろう。
母を連れてどこかに遠出するのはひと仕事。正直言うと、ほとんど歩けない母を一人で連れて出かけるのはなるべく避けたい。私よりも体重が重く、何かあったとき対処しずらいから。だから、こちらからは母に出かけようと誘いはかけない。しかし、ゴールデンウィークで娘二人もいるのに、”どこも行かんと?”という無言のプレッシャー(一回だけ口にした)を母はかけてくる。父は敏感にそれを察知し(私たちも察知していたが無視していた。親不孝は自覚しとりま。)、私たちに命令した、というわけ。

結局、妹と私とで母を連れて北九州市立美術館へ行った。
案の定、美術館に到着早々、母はおむつの中にウンチしてしまい、親子3人障害者用トイレに入り込み、20分以上悪戦苦闘。外出時の母の介助は二人必要だと改めて実感。

美術館ではルーベンス展をやっていた。有名画家で、しかも西日本では北九州だけの開催ということもあり、連日盛況のようだ。チケット売り場の長い列に並んで、「高齢者割引き、あるとやろか?」なんて妹と話していたら、すぐ後ろに居た女性が「これ、どうぞ」と言って招待券を一枚くださった。お金云々ではなく、”いいこと”もあるんだな、と単純に嬉しかった。

ルーベンスは宮廷画家として活躍し、外交官でもあった。壁には重厚で上品な肖像画が並ぶ。黒が美しい。
最近、「◯◯◯とその時代の画家たち」みたいな、目玉商品は数点でその他大勢は知らない画家たち、という精神的に軽い詐欺にかかったような展覧会が増えてきたが、ルーベンス展はちゃんとルーベンスの作品がたくさん並んでいた。ただし、ルーベンスは大きな工房を持って何人もの弟子を抱えて仕事をしていたので、ルーベンスも関わったかもしれないけど、弟子の名前で展示してある作品もあった。
版画も油絵以上にたくさん展示してあったが、版画はルーベンスだけでなく、多くの画家が版画専門の職人に下絵を写させてつくられている。現代でも版画作家でない限り、例えば平山郁夫など日本画家や油絵のほとんどの画家の版画は、版画専門職人がつくっている。

母も、ルーベンスの版画コーナーでは興味なさげだったので、さっさと車いすを押して、北九州市美術館収蔵のコレクション展コーナーへ移動。こちらの方が意外とよかった。私の好きなホックニーの版画がたくさんあったから。他にも、ルオーピカソなどの版画があり、楽しかった。

帰りの車中で私は頭痛。妹は、行きも帰りも運転で疲れたろう。ご苦労様〜。

ルーベンス展は6月16日まで。
5月18日(土)は、バロック音楽会(無料)もあります。

ルーベンス展オフィシャルサイト:http://rubens-kitakyushu.jp/
北九州市立美術館ホームページ:http://www.kmma.jp/