31 12月, 2015

歌う女

実家では、妹と隣り合って寝ているので、「夕べは、姉ちゃんイビキかいてたよ。」とか、「歯軋りしてたよ。」とか、たまに言われる。

今朝は、妹が笑いながら「姉ちゃん、夕べは寝言で歌いよったよ。」と言った。
何の歌かはわからなかったそうだが、普通の音量で30秒ほど歌っていたらしい。
「録音しとけばよかった」と、笑いながら残念がっていた。

夢の記憶もないし、夢の中で歌いたくなるほど、楽しいことなど最近あっただろうか?
一昨日は父とケンカして、心はささくれ立っていたのに…。
いったいどんな夢を見ていたんだろう?
私自身が一番知りたい…。

30 12月, 2015

こんにゃくの謎

我が家の正月料理の定番、筑前煮(九州では”がめ煮”とも言う)を作っているところ。

私は最初に材料をざっと炒めるのですが、こんにゃくを炒めたら、すごい緑色に…。
そこに赤い金時人参を入れたら、クリスマスカラーになってしまった…。

しかし、調味料など入れて煮詰めるうちに、こんにゃくは通常の色に戻りました。
ホッ…。

さて、一体どんな化学変化だったのでしょうか?

答え:野菜に含まれる物質が、こんにゃくの凝固剤・水酸化カルシウムに触れて化学変化を起こし、こんにゃくの色を変えるらしい…。
http://www.mutsumi-tokyo.co.jp/faq/index.html

25 12月, 2015

高島野十郎展

青い林檎を右手に持ち、ところどころ破れた袈裟を着て、こちらを上目遣いに見つめる男の肖像画。薄暗い画面の中に、青い林檎だけが美しく光っている。
肖像画は画家本人。殺気立つような自画像だ。
惹き付けられるように、画家を見つめてしまった。
福岡県立美術館(地下鉄・天神駅から徒歩10分)で1月31日まで開催中の、高島野十郎展へ。

私は最初、福岡市内にあるもう一つの美術館・福岡市美術館(地下鉄・大濠公園駅から徒歩15分)だと勘違いして、「大濠公園を久しぶりにウォーキングた~、気持ちいいな~。」とさわやかな気分で美術館に4時に到着したら、やっていたのはモネ展ではないか。

ガ~ン!慌てて美術館そばのバス停に走り、天神行きのバスに飛び乗って、県立美術館へ向かった。
幸い県立美術館は夕方6時まで開館なので間に合った。ホッ…。

高島野十郎は1890年に福岡県久留米市の裕福な酒造家に生まれ育ち、東大に入って首席で卒業したにも関わらず、学問の道を捨てて画家になった人。
師を持たず、画壇に属さず、独学で、生涯独身で85歳まで画業を極めた。
青い林檎を持つ自画像は、その強い意志をあらわにしたような風貌だった。

岸田劉生の麗子像という有名な絵があるが、野十郎の自画像は”岸田劉生の人物の絵をもっと繊細にして洗練された感じにしたような”と表現すれば想像がつくだろうか…。
野十郎の林檎は、ほんとうにかじってみたいと思えるほど生命力に満ちている。

初期の作品は、繊細な筆さばきでありながら独特のタッチがあって、どれをとっても魅力的だ。
実家が裕福だったこともあり、3年ほど欧米を遊学しており、帰国後は遊学前の暗い色彩は消え、野十郎の作品に色彩が加わり、油絵の具で描かれたとは思えないほどの繊細な描写は更に極まっていく。

欧米遊学後の絵で私が惹かれたのは、蝋燭の絵と、果物の静物画、そしてタバコの絵。
「蝋燭の画家」とも言われる所以となった、小さい部屋の3つの壁にずらりと並んだ蝋燭の小さな絵たちは、その絵の前にずっとたたずんでいたいと思わせる魅力がある。
たとえば、悲しいことがあったとき、その絵の前に立つだけで心が落ち着くのではないか、と思えるような…。

蝋燭の絵は人への贈り物としてだけ描かれたもので、展覧会に出す絵ではなかったというが、蝋燭の絵をもらった方々がとてもうらやましくなるくらい魅力的だ。

ただ、私個人としては、欧州遊学後の風景画には、あまり惹かれなかった。
写実を極めた感はあるにしろキレイすぎて、きれいだな、と思う以外に琴線に触れるものがなかった。初期の作品に見られた独特の精神性や個性は暗闇があってこそのものであり、欧州で取り入れた光や色彩は、彼の個性を隠してしまう要素になっていたのではないだろうか?
師を持たず、独学で行くと決めたなら、欧州になど行かない方が良かったのではないかと思ってしまったのは、外野の勝手な意見であることは百も承知なんだけど…。

そう言いたくなるくらい、遊学前の野十郎の絵の暗さは魅力的だ。

暗闇は光を引き立たせ、光は闇を美しく照らす。
人は光だけを求めがちだが、闇を消してしまうことは、光を光たらしめないのではないか、と、光と闇について考えてしまった。

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来年4月には、東京にも巡回すると友人から聞きましたが、詳しい情報はまだ見つけられません。
展覧会が始まれば、日曜美術館あたりで取り上げられることでしょう。
生前はあまり知られることがなく、最近になって再評価されてきた野十郎。
ネット検索すると、野十郎の絵を探して高値買取するとの広告を出している画廊もあります。
ゴッホに影響を受けたといわれ、超俗的な生活を送った野十郎は、評価されようがされまいが、どこ吹く風、って感じでしょう…。

24 12月, 2015

クリスマスイブだったんですね

今日は、何をしたかしら?

明後日には施設を退所する母の面会に行った後、亡き祖父の家に出かけ、畑に建っているビニールハウスの小屋の中の片付けに着手した。着手したことをすぐに後悔するほど、大量のゴミがあり、祖父と祖母が生前無造作に突っ込んだり重ねたりした物たちを、市の指定ゴミ袋5袋分詰めたところで今日はあきらめ、大きな焼却炉が欲しい、と思いながら帰路についた。

夜は父と会話のない夕食をとり、食後はそんな父から逃げるように、ひとり温泉へ車を走らせた。

温泉から帰り、友人に電話した。転んで顔から地面に落ちて唇を切ったという便りをもらったから。詳しい話を聞きながら、お互い笑った。

それから、天然石をワイヤーでくるむ作業をした。
そのとき、ラインで、Happy Christmas!とメッセージをくれた人がいて、「あ、そうか。今日はクリスマスイブだったか。」と思った。

たまに考える。クリスチャンになろうかな、と。
チェコの首都プラハを旅したとき、ある教会の中で、世界各地から来たであろう他の観光客に混じって、装飾的な祭壇をジーっと見ていたら、その教会の神父さんが近づいてきて、「クリスチャンですか?」と聞かれた。
私は「いいえ、仏教徒です。」と、答えたので、神父さんはそれ以上話をせず、離れていった。
他にも観光客はいたのに、なぜ私にだけ聞いたのだろう?

もし、「はい、クリスチャンです」と答えたら、その先、違う展開があっただろうか?と、その時のことをたまに思い出すのだ。


いつかクリスチャンになって、またプラハの教会に行ってみようかな。
プラハではいくつもの教会に行ったので、どの教会だったか実は覚えていないのだが、中に入って内部の装飾を見れば思い出すはず。

そんなことをつらつら考えるクリスマスイブの夜でした。

22 12月, 2015

サバイバルゲーム

私が大好きな番組のひとつに「サバイバルゲーム」というイギリスの番組がある。
英国特殊部隊出身のイケメン冒険家ベア・グリルスが、地球上のあらゆる過酷な地に実際に赴いて、毎回最低限の少ない装備で、遭難から救助までの生き延びる術を見せてくれるディスカバリーチャンネルの番組。
これは、自然と親しむのではなく、過酷な自然の中でどう生き残るかがテーマの番組なので、生き残るためには何でもするサバイバル術が満載。テクニック的にも精神的にも高度な面が多々あるが、とても面白いのだ。

あるときは、砂漠で体温が上がりすぎないために、オシッコで濡らしたTシャツを頭に巻きもするし、オシッコを飲みもする。また、死んだラクダの内臓(かなりの悪臭がするらしい)を取り出して空洞になった腹の中に隠れて砂漠の砂嵐から身を守ったりもする。

またある時は洞窟の中で大きめのカエルを捕獲。「カエルは鶏肉に味が似ています。」とか言いながらカエルを岩壁に打ちつけて死なせ、おもむろにカエルの頭を食いちぎっていた。すげ~!
これも生き残るためだ。
片手にたいまつを持っていたからナイフは持てずに食いちぎったんだろうが、内臓を絞り出すそのりりしいお姿、なぜか憎めない…。

これは決してお笑い芸人によるゲテモノ喰い番組レベルじゃない。生き残るためなら、こんなものでも食べるんだぞ!というシリアスな動機があるわけだが、なぜかモニターの前の平和な状況下で見ている私たちは、つい笑ってしまう…。

ベアはいろんなものを食べているが、スカンク編はかなり笑った。ワナにかかって暴れているスカンクを捕獲するときも相当臭い思いをしていたが、その肉も相当臭いようで「(しかめながら)ウウ…。ステーキ肉に犬のフン(食ったことあるんかー?)を塗り付けたような味です。」とコメントし、さらに食いついていた…。生き残るためだね、ウン。

またある時は「食べられる動物のフンもあります。」と言いながら、森の中で鹿のフンを探して食べていたよ〜。草食動物のフンは食べれるものもあるそうな…。そう、真冬の山で遭難したときのために憶えておこう…。

一番ビックリなのが、水がない場所で動物のフンから水分を摂っていたこともあった時。それは象のフン。排泄されたばかりの象のフンは水分をたくさん含んでいる。彼はおもむろにフンを両手で持ち上げ、ギュッと絞って滴り落ちる水分を口で直接受け止めて飲んだのである。あっぱれ…。これも生き残るためです。
サファリで迷子になったら役に立つね!

そんな過酷な状況下で、ベアが時たま見せる少年のような表情がまたいいのでござる。ベアが手際よく枝や葉でシェルターを作っている時などは、私もそこに行きたくなる。子供の頃に”基地”を作って遊んだことがある昔少年たちにはたまらない番組だろう。
彼はもちろんスゴいが、撮影しながらついていくクルーも相当スゴい。ちゃんと別のスペシャリストがクルーの安全を守りながらの撮影なのだが、メイキングでのクルーのインタビューを聞くと、過酷な撮影にもかかわらず、愚痴をこぼさず、全員がやりがいを感じているようだった。
番組の最初にベアは目的地に大抵ヘリから降下(あるいは落下)するんだけど、その落下していく姿がなんとなく気持ちよさげ。怖い反面、きっと胸をワクワクさせて落ちてゆくのだろう。

ベアが各地に赴く時は、遭難した場合のサバイバルを想定しているためか、最低限の装備しか持たない。その数少ない装備の中でも、毎回必ず持参しているのが、水筒、サバイバルナイフ、火打石(棒状の。ナイフとの摩擦で火花が散るヤツ。)だ。
伊勢神宮に行ったとき、参道に並ぶお店の中に神棚やろうそくなどを売っている神具店の店先に古典的な火打石が置いてあったのを発見した私は、それを目にするなり迷わず買ってしまいました…。
その直後、アマゾンでベアが使っているタイプの火打石やナイフが買えることを知り、ちょっと早まったかと思ったけど…。
欲しいものがあったら、とりあえずアマゾンで検索すべし、ですね…。
次はナイフだな…。

それにしても、どこへ行くにも水筒と火打石とサバイバルナイフを持っていかないと生き残れないだろうか…。
そんなの持って歩いてたら、相当危険な女です…。
とりあえずは、災害用非常袋に装備しておこう~。

ちなみに、生き残るために最も重要な事は、と前置きして彼は、「絶対に生き残るという強い意志だ。信仰心も大切。自分自身、信仰心に何度も助けられた。」と語っていたのが印象的だった。意志の弱い私には大変勉強になる番組である。
インタビュー記事 http://japan.discovery.com/manvswild/interview.html

さあ、ベアに学んで、みんなで生き残ろう!
災害の多い日本にこそ、必要な番組だと思うのですが…。

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●ベアの著書「究極のサバイバルテクニック」---------http://www.amazon.co.jp/%E7%A9%B6%E6%A5%B5%E3%81%AE%E3%82%B5%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%AF%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF-%E3%83%99%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%AB%E3%82%B9/dp/4023312665/ref=pd_sim_14_4?ie=UTF8&dpID=51Js%2B97cMlL&dpSrc=sims&preST=_AC_UL160_SR97%2C160_&refRID=0KPFBDZDZVWNXDPC507E
●ファイヤースターター----------http://www.amazon.co.jp/GERBER-ガーバー-31-000699-ベア・グリルス-ファイヤースターター/dp/B004DT6TEK/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1320674656&sr=8-1
●サバイバルナイフ--------http://www.amazon.co.jp/GERBER-%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC-31-001901-%E3%82%B5%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%95-31001901/dp/B00AU6H3UY/ref=pd_cp_60_2?ie=UTF8&refRID=1BQK6FXR5ME9E35BS8JX

19 12月, 2015

色あわせ

私がネックレスを作るとき、色合いを重視します。
色の違うビーズでネックレスを作る場合、隣り合うビーズの色の響き合いで、ネックレスの印象がちがってくるからです。
自分が思っているイメージに近づくまで、何度でもビーズを入れ替えます。
そういう作業をしていると、作業台の上にはいろんな色の天然石ビーズがたまってきて、それを元の場所に分類して戻すのに時間がかかるため、ついついそのまま一つの箱に一緒くたに入れてしまいます。

それが、いつの間にか作品がいくつかできる程度にたまってしまったので、実家に帰ったときにそれだけ持ち帰り、おおまかに色分類をしてみました。
意図せぬ色の選択の集合体は、ランダムでありながら意外に調和がとれていたりして、「あ、これきれいな組み合わせの色だな。」と新しい発見をすることもあります。

赤系、茶系、紫系、白系、青緑系と分けてみたら、それぞれにネックレスができそうだったので、さっそく茶系からネックレスにしてみました。

例えば、茶系のネックレスをつくるとき、同じ茶色のビーズだけ使うと単調になります。
ヘッドに使う石や、ネックレスに合う洋服も限られたものになってきます。

でも、その茶系の中に、イエローやグレイやワインレッドを混ぜていくと茶系の色合いに深みが出てきて、合わせるヘッドの石や、洋服の選択肢が広がります。
そういうふうに色の混ぜ方で印象が違ってくるので、その作業を色合いが気に入るまで延々と繰り替えすわけです。

作業を重ねていると、合わせやすい石、合わせにくい石、というのがだんだんわかってきます。
作家さんによっても違うと思いますが、私の場合、ガーネット、ラブラドライト、ペリドットなどは他の石に合わせやすい石です。一方、トルコ石は他の石に合わせにくいと感じます。個性が強いのです。トルコ石には、シェル(貝)やボーン(動物の角や骨)、シルバーなどの他の素材のビーズが合います。

色あわせをしていると、人に似ているな、といつも思います。
響きあう色(人)、ケンカする色(人)、引き立てる色(人)…、というぐあいに。
まったく同じ色のビーズが連なったネックレスだけでは面白くありません。
いろんな色が響きあったネックレスが好きです。
どんな色のビーズにも、かならず調和する違う色のビーズがあります。
人も同じです。ただ、色数が増えれば、そこに調和をもたらすには時間と工夫とイマジネーションが必要になってきます。

調和(平和)を獲得するには、時間がかかります。

18 12月, 2015

墓場まで持っていく話

10日ほど前のこと、親しくなったアクセサリーのお客様2人と私との3人で立ち話をしていたとき、どういう話の流れだったか、人には恥ずかしくてとても言えない”墓場まで持っていく話”があるか、という話になった。
3人とも「あるよ~、あるある。」と、意見の一致をみた。
Aさんが「オーバリー、それどんな話?」と言うので、「それ、ここで話したら、墓場まで持っていく話にならないじゃん。」と言うと、Aさんが今度はBさんに「どんな話?」と話を振ったら、Bさんが「私さあ~…。」と、意外にすんなり話し始めた。

墓場まで持っていきたいくらい恥ずかしいだけあって、聞いてる方は笑える。
Bさんが話し終えると、今度はBさんがAさんに「どんな話?」とバトンを渡すように言った。
そしてAさんも抵抗なく話始めた。
Aさんの話はBさんよりもさらに爆笑度が高く、話してる本人さえも一緒に笑っていた。

Bさん、Aさんときたら、私だけ話さないわけにはいかなくなった。
それに、BさんとAさんの話を聞いていたら、自分のも彼女たちと同じ程度で、ここでひた隠しにするほどでもないか、と思えた。
私が話し終えると、Aさんに「私ほど墓場に持っていく感じじゃないじゃん。」と、言われ、そうか~、人によって受け取り方は違うのね、と思った。

で、安心した私は、今度は笑いをとってやろうと思い、「人には言えるけど割りと恥ずかしい話、他にもあるよ。」と前置きして、別の話をした。

もう15年以上前のある日のこと。その頃、カゼをひいてしょっちゅう鼻をかんでいたせいか、強く鼻をかむと鼻血が出やすい時期があったのだが、その日は、ちょっと全身に力を入れなくてはいけないことがあって、グッと力んだ瞬間、また鼻血が出たのだ。しかも両穴から…。
あれれ~、と思いながら、いつものように鼻の両穴に丸めたティシュを詰め込んだ。

そのとき、「オオバさ~ん、宅急便でーす!」と玄関のドア越しに声が聞こえた。
そのひと声で、私はまるで催眠術にでもかかったかのように、ティッシュを鼻に詰めていることなど一瞬にして忘れてしまったのだ。
私は「は~い!」と元気よく返事して、元気よくドアを開けたのだが、いつもはおじさんが来るのに、その日に限って若い男性がしかも二人組みで来ていたのだ。
おっ、しかも一人はイケメンだ、と心の中で思いながら、伝票にサインをした。
そのときも、まだティッシュのことなど忘れたままだ。

荷物を部屋に運びいれ、ホッと一息入れたとき、壁に立てかけた姿見に映った自分が見えた。
そこには鼻から2つのティッシュの固まりがのぞいている自分がいた…。

一瞬にして催眠術が解け、そこからは頭をかきむしりたくなるほどの自己嫌悪タイムが始まったことは言うまでもない。

という話をしたら、AさんもBさんも大笑いしていたが、Aさんが「さっきの話より、それの方が墓場に持っていきたい話じゃん!」と言った。

え?そうなの?これ、何度となくひとに話してきたことだけど~、そんなに恥ずかしかった?


と言うワケで、今これを読んでいる皆さんは、ご自分の墓場まで持っていきたい話を、頭に思い浮かべていることでしょう…。でしょ?

16 12月, 2015

又吉直樹 「第2図書係補佐」

私は、美大に入る前に1年浪人した。
福岡の繁華街・天神から歩いてすぐの予備校の日本画科コースに通った。
その年の日本画コースの生徒は私を入れて4人しかいなかった。男子2人に女子2人である。
3ヶ月くらいたったある日、女子のTさんが、今ならやっと言える、という感じでこう言った。
「初めてオオバちゃんとここで会ったとき、この人と1年間どうやってつきあっていこうか、って思ったくらい、オオバちゃん暗かったよ。」と言われた。
暗かった、って言えるってことは、今は暗いとは思ってないから言えるんだろうけど、一年の始まりに人様にそんな不安感を与えたのかと思うと、本気で暗くなりそうだった。

その後、東京の美大にやっと入って、伯母の影響で以前から好きだった山歩きをした。今と違って当時は、山歩きは女子が口にだして自慢できる趣味ではなかった。
親しくなった友人に「一人で高尾山にの登りに行ってる」と言うと、「一人で山歩きなんて、暗いね」とハッキリ言われた。そう言われて、また暗くなりそうだった。

実際のところ、私は決して明るくないし、私自身、天真爛漫な明るい人になりたいとも思ってないし、上記の暗い(?)思い出も嫌いじゃない。
今は、人からどう思われているか、確認作業をしたことはないのでわからないが、親しい友人は私を暗いとは思ってないようではある。

「第2図書係補佐」を読んでいると、そういう自分の青春時代の暗い面を、嫌悪感ではなく、何か親しみのある懐かしさのようなものを伴って思い出す。
一時期、キャピキャピとかいう形容詞がはやったことがあったが、我輩の辞書にはキャピキャピはなかった。今、もう一度青春時代をやり直すとしても、キャピキャピは絶対ないだろう。

昨日東京から福岡空港に着いて、カフェで一服したあと、カフェの隣の本屋で表紙の写真を見て、ジャケ買いとでも申しますか、好みの風貌(変?)だったので、なんとなく手に取っただけの本だったけど、読み始めて数分でクスっと笑ってしまった。
私は、ピース又吉のお笑いは見たことないけど、これを読んでファンになってしまった。
一応、古今東西の本の紹介の形はとってあるけど、本の紹介はほとんどしてなくて、又吉直樹の青春の思い出が詰まっている。思い出だろうけど、今の又吉直樹もそのままなんだろうと想像する。
そして、どれもちょっと可笑しい。

一冊の本に対して3ページの文章のうち、本の紹介は最後の数行だけだし、一見本と関係ないエッセイなんだけど、紹介されている本を読んでみようかな、と思えるから不思議だ。
本屋では近寄りもしないコーナーにありそうな本であっても、又吉直樹がススメてくれたら、手にとってみたくなるんじゃないかと思うような、不思議な力を持ってる人だ。

第2図書係補佐
又吉 直樹
 

12 12月, 2015

色に癒される

山手線の目白駅と池袋駅の中間地点あたりに、ポポタムというブックギャラリーがあります。
本はイラストなど美術系中心で、便せんやポストカードなどの雑貨もあります。
目白の友人の部屋に寄ったついでに、ポポタムに寄ってみました。

奥のギャラリーで何かやってるな〜、と思って、ギャラリーに足を踏み入れた途端、私は壁にかかった絵の色彩に心を奪われました。
その絵の作者は、横山大河さん。

案内状とカタログ。
残念ながら、印刷物では、彼の作品の良さは
伝わりにくい。是非とも、作品の前に立って
見つめてほしい作品たちです。
小さいものは18㎝×14㎝、大きいものは160㎝×120㎝という大小様々の額装されていないパネルが白い壁に並んでいます。
一見、繊細な日本画に見えたその全ての作品が、なんと色鉛筆だけで描かれていました。

作品から離れて見ると、樹木や風景などの具象的な形が見えて、思い切り近づいて見ると色鉛筆の粒子と粒子の重なりが心地良い抽象画に見えてきます。色は粒子であり、その粒子は常にゆらいでいるんだな、と思える作品たちでした。

願わくば、ギャラリーに一泊して、虫眼鏡を片手に、作品に近づいたり離れたりしながら、この夢のワンシーンのような色の重なりをいつまでも見ていたい、と思いながら会場をあとにしました。





横山大河さんのホームページ:http://yokoyama-taiga.sakura.ne.jp/
ギャラリーポポタム:http://popotame.net/

ギャラリー・ポポタムでの横山さんの展示会は12月14日(火)まで。
横山さんは、私のささいな質問にも気さくに答えてくれて、その絵の雰囲気そのままの、やさしいお人柄の男性でした。

10 12月, 2015

映画「007〜スペクター」

今週のロードショー/キネマ大羽

映画に感動すると、それがロードショーだった場合、私は映画館を出てから帰宅して就寝するまで、夢見心地でいられる。
前作「スカイフォール」が、あまりにも良かったし、シリーズでは珍しく前作から続投の監督だし、期待してしまった。

何事もそうだと思うが、人を動かすのは、書いて字のごとく「動機」だ。
そして、人間の持つその動機は大きく二つに分かれている。
「愛すること、愛されることからくる喜び」と「愛されなかった(もしくは、そう思い込む)ことから来る恐怖と怒り」だ。
歴史の中の独裁者たち、刑務所で服役する犯罪者たち、現在お騒がせ中の安倍首相だって、また家族などの身内であっても、「なんでこんなことするのよ!?」と思うことをする人たちは、なんとなくそれをやるわけじゃない。遠い過去に、もしくは今その人の心の陰に強い動機があるはずなのだ。

前作「スカイフォール」では、その動機が痛いほど伝わって来て、ボンドと敵のシルヴァとの闘いが、あ・うんの呼吸にさえ感じられた。
だがしかし、今回の「スペクター」では、その強い動機が終盤まで見えてこなかったのだ。
こんだけのことするんだから、なんか強〜い恨みがあるんだよね?と思いながら、次のシーンでは納得させてくれるだろうと2時間以上待って待って待った、という感じ。
まあ最後には動機はわかるんだが、単純に言えば、黒幕オーペルハウザーの”少年期の愛情不足”。それも本人がそう思い込んでるだけでほんとは違ったんじゃねえの?と思えるほどの説明不足で、私は欲求不満になってしまった。


それから、今回ボンドを追いつめて行くオーペルハウザーの手下が、拳銃とか道具使うのが下手そうな力任せのプロレスラーみたいなヤツで、ちょっと前時代的すぎ。ボンドとの格闘シーンが美しくなくて、早く次のシーンに行ってくれ〜、と思いながら見ていた。

ボンド演じるダニエル・クレイグは、ボンド役を降りたがってるらしいが、次回もこんなシナリオじゃ降りたいだろうな、って思うし、降りればいい。
もしかしたら、「スカイフォール」で、ジュディ・デンチのM(ボンドの上司)が死んだとき、ダニエル・クレイグのボンドも精神的に一緒に死んだのかもしれない。

思うに、ボンドはスパイなんだから、もっと本来のスパイらしい心理戦とか、スパイ活動がバレたらどうしよう?的なドキドキするよなヒッチコック張りの諜報活動をしていただきたい。
爆発やアクションの派手さで前作を凌ぐのではなく、心理戦の秀逸なシナリオを用意すれば、ダニエル・クレイグも続投してくれるのではないかしらん?

前作「スカイフォール」をまだ見てないひとは、幸いです。先に、「スペクター」を見てから、「スカイフォール」を見るとよろし。
ダニエル・クレイグ版007を全部見るなら、「慰めの報酬」→「スペクター」→「カジノロワイヤル」→「スカイフォール」の順番で見ることを私はおススメします。

07 12月, 2015

今日、嬉しかったこと

今日は、府中アートマンでのアクセサリー販売の最終日でした。
そして、ちょっと印象的な初めてのお客様と出会いました。

私はお客様に話しかけるのが苦手で、初めてのお客様がテーブルの前にいらっしゃると、「どのタイミングで話しかけようか、話しかけたら逃げるかな?、今か?いや、もちょっと後か?」とグルグル考えすぎて、結局話しかけられず…みたいなことが多々あります。

今日のそのお客様は熱心に作品を見てくださってました。
ちょっとだけ話しかけて、逃げる気配がなく(笑)、ある1点を集中的に見てらしたので、「興味のあるものがおありでしたか?」と聞きました。
その方は、濃いオレンジ色のカーネリアンのペンダントを指差しながら、「私、アクセサリーなんてほとんどしたことがなくて、したことがあるのは北海道で買ったアイヌの木彫りのペンダントだけなんですよ。普段、興味もないんですけど、これキレイですね。」とおっしゃるので、押し売りしませんから、と前置きして試着をおすすめしました。
グレーっぽいセーターの胸元に、ポッとオレンジ色の花が咲いたようで、お似合いでした。

とても気にいられたご様子でしたが、あまり手持ちがないので次回また、という雰囲気でした。が、その場にまだとどまってらっしゃいました。
そして、また雑談などしているうちに、意を決したように「これ、いただきます。」と言われました。

こんな例えは変かもしれませんが、なんと言うか、そのお客様にとって私(のアクセサリー)が初めての恋人になったような気分でした。
笑顔がとてもかわいい方でした。
アクセサリーが、身につける人の魅力を引き出す瞬間を垣間みたようなひとときでした。

お客様は嬉しそうに帰っていかれました。
私も嬉しかったです。

06 12月, 2015

ポルーニン♥

今の私のお目めの保養は、実際の舞台を見た事はないけど機会とお金があれば大枚はたいてでも是非見に行きたいバレエ界の異端のプリンス、セルゲイ・ポルーニン。

美しい肉体の背中や腹や手に入れ墨をしていることでも有名です。舞台では、必要に応じてメイクで隠してらっしゃいますが…。

ウクライナの片田舎の貧しい家庭に生まれ、13歳で英国に渡って研鑽を積み、見事英国ロイヤルバレエ団の史上最年少プリンシパルになりながらも、人気絶頂のときにドタキャン同然に公演初日の一週間前にお騒がせ退団表明したことでも有名です。
そして、現在はロシアに。



今、私のパソコンの壁紙はポルーニン。
Youtubeでお気に入り画面のところで静止画像にして、スクリーンショットを撮って、それを壁紙に。ポルーニンにいつも私の散らかったお部屋を見られてます。恥ずかしいワ。
アートマンの出店が終わったら、お掃除します。

●お美しいです…VOGUEロシア版の撮影メイキング:
         https://www.youtube.com/watch?v=mGc0_A4fsu4

●ホージアの「Take Me Church」とのコラボ:
         https://www.youtube.com/watch?v=FH8BYfsot4o

●こんな庭師が居たらいいのに:
         https://www.youtube.com/watch?v=Za8pDKVui0Y

●おっ、ボリショイバレエ団の映画を来年までやってるみたいだ。
http://bolshoi-cinema.jp/
でも、残念、ポルーニンが出てる演目「ジゼル」の上映は11月で終わっているぅ〜。
映画・ボリショイバレエinシネマの予告編(かっこいい〜):
https://www.youtube.com/watch?v=996PYNObKRk
フルバージョン:https://www.youtube.com/watch?v=r0S7pXylIjo
しかし、全演目1回ずつの上映(今後は12月16日、来年1月13日、2月17日、4月20日いずれも19:30からの1回きりの上映)なんて、いまからチケット手に入るんかいな?
とりあえず、サイトチェックしてみよう…。
あ、チケットまだありそう…。

04 12月, 2015

救いの言葉

二十年くらい前に、ひどく悲しい経験をした。
そのときは毎日、この世から消えてしまいたいと思っていた。
電車に乗っていても、「この車両で一番悲しいのは私…。」なんて思ったりもした。

そんな時、仕事をもらっていたとある事務所で、同じように外部から仕事をとりにくる男性と顔を合わせることがあって、挨拶程度しか言葉をかわさないくらいの人だったけど、その人とはじめてお茶を飲む機会があった。
その人からちょっとした仕事を依頼され、その仕事を納品して、お茶をご馳走になったと記憶する。
20歳くらいは年上で、やさしい感じのおじさんだった。

かなり落ち込んで元気のないときだったので、お茶を飲みながらの雑談のなかで、その悲しい出来事をその人に打ち明けた。
親しくもない人に、なぜプライベートな話をしたのか、そのときの話の流れは何もかも忘れてしまっている。
その人の口から出た言葉以外は…。

その人は、私の話をだまって聞いていたけれど、私が話し終わったとき、ひと言こう言った。

「悲劇のヒロインになってない?」と。
 
illustrated by obarie
一瞬、わが耳を疑った。
えっ?なんて…?

そして次の瞬間、腹がたった。
私は、何か言い返したのかどうかも覚えてない。
もう、その言葉以外は。

慰めてくれるとばかり思っていたのに、なんで?
なんでそんなこと言われなきゃいけないんだよー!?
と、心がざわめきだった感覚だけは思い出せる。

その人とは、それ以来会ってない。
事務所に行っても、その人と出会う機会はなかった。




人生には不思議なことがあるものだと思う。
あることを伝えるためだけに遣わされる人が居るのだと、今は思う。
その人が、そうだから。

私は、あの言葉で目が覚めた。ビンタを一発喰らったような感じで。
それまでは慰めてくれる友人もいたが、悲しさにはまりこんでいる私には、どんな慰めの言葉も上滑りして、心のなかに入ってこなかった。
あの言葉は、思い切り私の心に突き刺さって、でも結果的には私を救い出してくれた。

仕事上のつきあいだけなら、あたりさわりない慰めの言葉をかけていればいいものを、そんな言葉をかけてくれるなんて、人間業ではない気がするのだ。

今も、時々悲しみにはまりこもうとするときがあるけれど、そのたびに「悲劇のヒロインになってない?」と、どこからか声が聞こえてくる。

03 12月, 2015

関田さんの鍋

10年くらい前に、立川の石田倉庫でのアートイベントを訪ねたとき、ひと目惚れして買ったミルクパン。カップ3杯分くらいのチャイが作れるくらいの大きさ。握り手のカーブと、思わず両手の平で持ちたくなるような丸みに魅かれた。会場には作家さんがいて、本人から買ったけど、10年もたった今では顔も名前も忘れていた。

ベースは銅鍋で、当時は錫(スズ)がひかれて銀色に光っていた。じゃ、なぜ今は光ってないのかと申しますと、何回か空焚きして、何回か黒こげにして、融点温度の低いスズが溶けて下にたまったりして、こんなになっちゃったのだ。
溶けたスズでボコボコになった鍋肌にミルクがはまり込んで洗いにくいから、さすがにミルクを温めることはできないのだが、銅鍋だから水がすぐ沸いて、卵やジャガイモを茹でるのにとても重宝している。


話しは変わって、去年うちの近くにオープンしたギャラリー・ラマパコスを3度目に訪れた時、オーナーの男性が店番してた。
彼が金属の物作りをしてるのは少し前に聞いていたので、普段どんな作品を作ってるのかを尋ねたら、彼はカタログを取り出して見せてくれた。
で、ページをめくったら、私のミルクパンとよく似たミルクパンが載ってるじゃないですか。私の黒こげの愛しい鍋の作者が目の前に偶然居たのでした。
ここで会ったが100年目、じゃなくて10年目だったわけですが、「もしかして立川の倉庫に居ました?私、これ10年前に買いましたよー。」と言って、私も彼も驚いた、というわけ。彼の名前は関田孝将さん。ステキな金属のものをスプーンから家具まで、何でも作ってる。
黒こげの件を話したら、スズの引き直しができるそうで、「今度、鍋を持って来てくださいね。」と言ってくれた。

関田さんのステキな作品はコチラ→ http://sekita-w.com/kitc.html

その日の夕方、早速鍋を持ってギャラリーに行ったら、今度は奥様が店番してて、鍋のことを言うと「主人に聞きましたー。」との返事。
鍋を見た奥様は「うわ〜、彼が駆け出しの頃の初期の作品だ〜!」と懐かしさと驚きがまじったような声をあげた。そして、うっすら目に涙を浮かべている。本当に感激していたようだった。当時の記憶が一瞬にしてよみがえったのかもしれない。

彼女は「いや〜、愛しいですね、このカタチ。今はこの形は作ってないんですよー。今のミルクパン、見ました?」と言いながら、奥の台所に一瞬消えて、今のミルクパンを抱えて出てきた。
今のミルクパンは、握り手も胴体も直線のすっきりとした形で洗練されていた。
「今は鍋の注文が増えたんですが、今の形の方が好まれて…。本人は、ひとつひとつ全部違う形のものを作りたいみたいなんですけど。10年前のを見ると、今のはきれいすぎますよね。」と、物作りをする人なら必ず通る”道”みたいなものを垣間みた。

スズが引き直されて、また私のところに戻ってくる日が楽しみだ。

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上記は去年書いて、下書きに保存したままアップするのを忘れていた記事。

で、鍋はきれいになって戻ってきたのに、また空焚きを何回かして、この一年半の間にまた内側の錫が溶けて、写真のようになっちゃった。
またスズの引きなおしをお願いに行こう~っと。
ちょっと恥ずかしいけど…。

01 12月, 2015

12月のアートマン

今日1日から7日までの一週間、府中アートマン2階で出店しております。
お近くにお越しの際は、お立ち寄りくださいませ。

もう12月なんですね。
会う人ごとに同じセリフを言ってます。
時は駆け足で過ぎて行く…。

一方、天然石はゆっくりとした時間をかけてできたものです。例えば、天然の水晶はできるまでに、数年から数百年の間、と言われていて、かなりの幅があります。
場所や温度などの環境で違ってくるようです。



私たちは、結果を早く望みますが、大自然の持つ悠久の時の流れにも憧れます。
人間はわがままです…。

30 11月, 2015

みかんの葛練り


2週間ぶりに実家から東京に戻ったら、「風邪がはやってるみたいよ。気をつけてね。」と友達に言われました。
私の風邪対策は決まってます。
ビタミンC大量摂取。
のどが痛かったり、風邪ひいたかな?と思ったら、一時間おきくらいにビタミンC1000mgを飲むのです。

食欲が無いときは無理して食べないことですが、食べれそうなら、葛練りはおススメです。
葛はからだを温める働きがあります。

水1カップにつき、葛粉大さじ3の割合で、鍋を火にかけながら透明になるまでかき混ぜます。葛だけだと味はないので、梅干しを入れたり、リンゴを入れたりするといいです。

実家で穫ったクズみかんがたくさんあるので、透明になったあとでざく切りしたみかんを入れてみました。あったかいゼリーみたいで美味しいですよ。
小さいお子さんには、みかんの袋をむいて入れた方がいいかもしれません。

25 11月, 2015

逆説の10ヶ条

何年もかけて築き上げたものが、一夜にして崩れ去るかもしれない。
                   それでもなお、築き上げなさい。

これは「逆説の10ヶ条」という10ヶ条のなかの一つ。
この言葉がなんとなく好きで、好きな言葉は?と聞かれたら、これを言う(又は書く)ようにしています。

illustrated by obarie
この世は捨てたもんじゃない、とたまに思うことはあるけれど、でもどちらかと言うと「世の中は不条理なことだらけだ~」と思ってしまうことが多いオーバリーです。
つらすぎて、どんな慰めのことばも、うわ滑りして心の中に入ってこないとき、この「逆説の10ヶ条」は、いいかもしれない、と最近思います。
なぜなら、この10か条は慰めではないからです。
一見、あきらめるな、って言ってるだけじゃん、って気もするかもしれないけど、なんかそういう感じでもないような気がするんです。

この10ヶ条は、かのマザーテレサも、壁に掲げていたそうです。
そのため、これはマザーテレサの言葉だと一時期思われていたそうですが、実際はケント・M・キースというアメリカ人が、1968年に学生のときに書いた10ヶ条だそうです。
19歳でこれが書けるなんてスゴイです。

10ヶ条の原文・和訳の全部と、詳しい経緯はウィキでごらんください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BBM%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%82%B9

Amazon 書籍「それでもなお人を愛しなさい」→ http://amzn.to/1PMbJOy

24 11月, 2015

NHKドラマ「七つの会議」

2013年の8月の半ばに、この記事を下書きしたまま忘れていた。
当時カネボウの化粧品の問題がニュースになり、同時期に放映されたテレビドラマに感動して書いたものだ。
企業(仕事)のあり方について考えさせられる事件は、この記事を書いたあとも起きていて、つい最近は、マンションの杭打ちの問題がニュース番組をにぎわした。
旭化成建材の杭打ちの偽装は360件になったという。
いったいどうするんだろう…。
そして旭化成建材だけなのか…。
  
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「七つの会議」

部品などの欠陥・不備による車をはじめ、安全性を無視した商品のリコール報道はときたま聞く。
新しいところではカネボウの化粧品。
ドラマ「七つの会議」の舞台は、ネジのメーカー・東京建電。ドラマの最初から、この会社名を聞くたびに、「東京電力」が反射的に思い浮かんでしょうがなかった。

車や飛行機や建物などの製造物から比べれば、ネジは小さな小さな部品だが、ネジがなくては何も作れない。(そう、電気についても電気なしには何も作れない、製造業にとっては必須の材料だね。)
そのネジの強度不足が発覚し、東京建電倒産の危機に陥る。ネジの強度が不足していたら、どうなるか。
飛行機、列車、自動車、建物などが、衝撃に耐えられず、人命にかかわる事故が起きる。(原発も地震や津波の衝撃に耐えられず、放射能漏れたら、人命にかかわるねー。似てる、似てる、と思いながら見てしまう。)

一個人の営業がノルマ達成のために仕掛けたことを発端としたと思われた、人命に関わる自社内の故意の不正を、会社のトップが知った時どうするのか…。(東電も原発のメルトダウンを知ったとき、東電トップは何と言うたんでしょうねー?)

東京建電の社長はひとこと「隠蔽せよ。」
そして、問題のネジの受注に関わった営業社員はスケープゴートにされ、主人公・原島(東紀之、好演です)は、不正の隠蔽工作を命じられるが、まだ知らされていない不正の真実を秘密裏にさぐり始める。

原発問題に関わる発言の中でよく聞かれる原発温存派の言葉、「原発に関わる社員たちとその家族をどうするのか?原発止めて、路頭に迷わせるのか?」と同じような意味の言葉を劇中、東京建電の社長も言う。

不正を隠蔽することが、社員を守ることになるのか?
真犯人ではない一人の社員を犠牲にすることでしか会社は生き残れないのか?
何よりも、もしネジ一本で多くの人命が奪われたら?
原島は悩み苦しむ。そしてひとつの結論に達する。
隠蔽工作が成功したら、この会社はまた同じことを繰り返す。と。
だって、それが初めての不正事件ではなかったから…。(電力会社もねー、繰り返してるよねー、放射能漏れねー。)

原島は強度不足のネジを作った子会社の社長に問う。
「どんな気持ちでネジを作ってるんですか?」と。
私も自分に問うてみたい。「どんな気持ちでアクセサリーを作っているのか?どんな気持ちでイラストを描くのか?」と。たぶん、そこにその仕事をする人間の全てが投影される。

会社という組織の恐ろしい力の一端と、また一方で個人の勇気がもたらす希望の両方をドラマの中に見た。日本の電力会社のどこかに原島君はいないだろうか…。

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旭化成建材に、原島君はいただろうか…?

23 11月, 2015

くも

実家の台所の冷蔵庫の横で見つけた蜘蛛の抜けがら。
壁面に数本の蜘蛛の糸でぶらさがっていた。
素手で触るのは気持ち悪いので、割り箸で取ろうとしたら、意外に蜘蛛の糸が強くて取れないので、ティッシュでくるんで引っぱった。

この蜘蛛は体長が大きくなるヤツだな、きっと。
調べてみるとアシダカグモというらしい。
実家でたま〜に見かける。この蜘蛛は家のゴキブリなどの虫を食べてくれると聞いたことがあるから、見かけてもそっとしておく。
参考記事:http://www.asahi-net.or.jp/~dp7a-tnkw/asidaka.htm

それにしても、不思議な形。特に、ラッパ状のものはからだのどの部分なんだろう?

20 11月, 2015

切り抜き魔

昨日、従姉妹の家に行き、5月に亡くなった伯母の遺品の整理をちょっとだけ手伝った。
ちょっとだけしかできなかったのは、出てきた遺品に見入ってしまい、それを見ながら従姉妹と雑談に花が咲いてしまったからだ。

伯母の新聞切り抜き
伯母は、新聞の切り抜きが好きだったようで、新聞小説を毎日丁寧に切り抜いて、一冊にまとめて綴じていた。また、これも毎日掲載される約7cm四方の野鳥の紹介のコーナーも切り取って351種(351日分)をカレンダーの紙に貼り付けて、ちょっとした鳥類図鑑を作っていた。
私は、そのお手製の鳥類図鑑をもらった。イラストの資料として使えそうだったから。

雑談のあと、仏壇の下の収納を整理していたら、たまった切り抜きを整理しようと買ったのであろうファイルがあった。その中に入っていた、やはり伯母が気に入って新聞の美術欄から切り抜いたと思われる写真家の作品が目を惹いた。

それは10年くらい前に、私が見に行ったことのある話題の写真展のものだった。伯母は、新聞で写真展の紹介記事を見たのだろう。東京でしか開催されなかった展覧会だったから、福岡に居た伯母は見れなかったのだ。
「あ~、伯母ちゃんこれ好きだったんだ~、知っていたら、伯母ちゃんにカタログ買ってきたのに~」と思った。

写真家の名前はグレゴリー・コルベール
オフィシャルサイトを検索して、10年ぶりにあの感動に浸った。
あぁ~、なんて‥‥美しい…。


グレゴリー・コルベール オフィシャルサイト : https://gregorycolbert.com/
サイト内のギャラリー : https://gregorycolbert.com/ashesandsnowGallery.php

19 11月, 2015

静物画

仕事で描いた静物画。ガスールというモロッコ産の粘土の使用風景を描いたもの。
粘土を器に入れて、水を加えてふやかした後、洗顔やパックや洗髪に使う商品。

白い布の上に、白い器、透明なガラス容器、というモチーフは正直言って、少々苦戦した。
色を使いながらも白さを表現しなくてはいけないから。

白いものは影をつけることで形を浮き上がらせるしかないのだが、影をグレーにしただけでは、絵が冷たくなってしまい、わざわざ水彩画にする意味がなくなってしまう。

クライアントさんは、水彩画にすることでやわらかい雰囲気を出したい、とおっしゃった。 

私が美大の日本画科を受験した頃は、実技試験で必ずこういうのを描かなければならなかったものだが、今も同じだろうか?


今の私の技量で、今受験したら、どこかの美大に入れるかしら?

浪人生活や志望校不合格など、懐かしくも切ない思い出がよみがえる、水彩画の時間でした。

18 11月, 2015

父帰る

父が入院先の精神科の病院から帰ってきた。

父は、母が入院して自宅で一人住まいになったときから、夜一人で寝ていると不安で不安で眠れなくなり、二年前からかかっている精神科の病院に「入院させてください」と自らお願いして、入院した。不安神経症ってやつらしい。

さて、どうなることやら

illustrated  by  obarie
そんな父だったが、私が月の半分実家に帰っているときは、病院から自宅に毎日”外出”していたのである。
父が病院での昼食を摂りおえたころ、私が車で迎えに行き、午後の4時間ほどを自宅で過ごして、また病院に送り届けていた。

毎日帰ってくるなら何のために入院すんの~?と思うけど、とにかく夜が死にそうに不安だったらしい。私が居ても、「娘がまた東京に行ったら一人でどうしよう~。」と不安になっていたようだ。

そんな感じで二ヶ月半入院していたが、父は今月に入って「入院生活に飽きた」と言いはじめた。
そして、昨日の受診で医師に退院したいと告げ、即日退院の運びとなった。
父を迎えに行ったら、ある看護師さんが「オオバさんが退院されるって聞いて、ショック(大げさ過ぎやしませんか~)なんですよ~。オオバさんは、この病棟の癒しだったから~。」とおっしゃるではないか。

父よ、病院でどないな活動しとったんじゃ?
私は生まれてこの方一度も父に癒されたこと(というより記憶)はないぞ~。

父は家庭内では、どちらかといえばキレやすい人で、私はどんだけ父の毒牙にやられたことか…。看護師さんたち、父の本性を知らないのね…。
父は病んでるときはおとなしいが、調子が良くなってくると、毒牙が出てくる。特に私に対して。
少し調子が良くなった先月末に大喧嘩したときは、一生入院しとけ~!!、と思ったほどだ。

さて、どうなることやら…。

17 11月, 2015

先輩

ブログを7ヶ月ぶりに再開した数日後の昨日、高校時代の剣道部の先輩Ⅰさんからメールが来た。
「しばらく更新ないからどうしたかと思うとったけど、ちゃんと生きとったね(笑)。」と。

Ⅰさんは男子剣道部員で、私の一年先輩。私たち女子剣道部員は多いときでも5人しか居なかったので、いつも男子と一緒の稽古だった。
剣道部の先輩の中でも、「コワい」先輩として通っていたⅠ先輩は、稽古では相手が女子といえども手加減なしだった。

私が今、先輩と呼べるのは、このⅠ先輩だけかもしれない。
もう何年もお会いしてないけど、遠くからブログを介して見守ってくれてたんだと思うと、じ~んときます。
眼光鋭く、防具の面越しに睨まれた日々は懐かしく、あれは幻だったんじゃないかと思うほどその日々は遠くなった。
運動音痴の私が、なぜ剣道部に入部したのか、自分で決断したことなのに動機はあまり憶えてないのだ。
部員のほとんどが小学校からの経験者なのに、高校から初心者で入部するなんて、自分でも血迷ったとしか思えない。
ちょうど父との関係が最悪の時期だった。

今思うに、剣道部でしごかれることで、父から受ける心身の痛みをごまかしたかったのだろう。
ま、簡単に言うとマゾ体質ですね。

結局、自分を変えることはできなかったと思うけど、剣道部だけに、打たれ強くはなったかも。

Ⅰ先輩、来年は何か美味しいもの食べに連れてってくださ~い。

16 11月, 2015

石の贈り物

ひと月ほど前に、たまたま知り合ったHさんから、石をいただきました。
初めて通りがかって、たまたまフラッと入ったお店の方です。
私はそのお店で2000円のニットキャップを買っただけですが、Hさんは私が身につけていた水晶原石のペンダントを見て、ご自身がアメリカの鉱山で拾ってきたという原石をくれたのです。
それはトルコ石の原石でした。

半分以上不純物に覆われた原石でしたが、砥石で磨いていくと、しっかりとした青緑の色が現れてきました。不純物が網目のように走っているため、不純物のところから割れやすく、研磨中に端が欠けたので、磨くのを中断しました。
いずれ自分のアクセサリーにしつらえようと思ってますが、当分の間伯母の形見の小銭入れに入れて、お守りとして持ち歩くことにしました。

トルコ石は古来より旅のお守りでした。
邪悪なものを寄せ付けない力があり、あらゆる危険から身を守ってくれるといわれています。
トルコ石は、人から贈られる方がお守りとしてのパワーをより発揮すると本で読みました。
いただいた原石は、私にとってなくてはならないお守りになりました。

石をいただいて3週間ほどたったとき、石をくれたHさんと、私のアクセサリーのお客様とのご縁がつながる出来事がありました。Hさんは、そのご縁を「夢のよう」だと言っています。そして、そのご縁は私にも楽しみなイベントを呼び込むことになりました。石をもらう人にも、石を贈る人にも、石のパワーが幸いするのだと実感した瞬間でした。

私自身は、石のパワーは石の市場価値とは関係ないと思っています。
アクセサリー販売をしていると、「これはパワーストーンですか?」と、時々聞かれます。

パワーを持っているのは、あなた自身であり、それが石の波動を増幅させるのだと私は信じています。
石の波動を増幅させる条件をひとつ挙げるとすると、「あなたがその石を心から美しいと思って愛すること」だと私は思います。

3年前のある出来事をきっかけに、私は夢を見なくなっていました。
石をいただいて、また夢を見てみよう、と思い始めました。
ありがとう、Hさん。

15 11月, 2015

旅の便り

友人Kちゃんがインドの旅から帰ってきた。
旅先から何回かメールをもらって、それも嬉しかったけど、葉書も書いてほしいとあらかじめリクエストしておいたら、それも送ってくれた。

インド人の得意技”横入り”にへきえきしながら、30分も並んで買ったという切手が貼られた葉書には、インドの空気とインド人のにぎやかなお喋りの余韻がくっついているようだ。

私もインドに行きたい。
旅行中、思い通りにいかないことが時々起こるインドだが、だからこそインドに入国すると、自分の生存本能にスイッチが入るような感覚がある。
そして、キタナイものもあるけれど、それ以上に美しいものもたくさんある。

Kちゃんが、これからフェイスブックにアップするという旅日記が楽しみです。

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注) もちろん、親切でやさしくて穏やかなインド人もたくさん居ます。

13 11月, 2015

石のおじさん

アクセサリーのお客様から、「大きな水晶のペンダントを作っておいてもらえますか?」と、前々から頼まれていたこともあり、そんな水晶を探しにミネラルショーへ。

目的の水晶を手に入れた後、他になにかないか物色してまわることに。
写真で茶色に見えるのが、初めて買ったオーストラリア産ボルダーオパールの原石。さまざまな色が妖しく光るのが魅力の石。研磨されて綺麗なものは高いので、原石を買って自分で磨いてみることにした。


最後に会場の端で、商売っ気なく石の陳列棚の後ろに座ってるオジサンのブースに立ち寄った。他のブースの石より安めの原石が並んでる。アクアマリンの可愛い原石を見ると、なんと産地・佐賀県と書いてあるじゃないですか。しかも安い。佐賀県でアクアマリンが採れるのかー、と感動。
話しをしてみると、石の業者さんじゃなくて、個人のコレクターさん。もらった名刺には、某通信会社の子会社の支店の課長代理と書いてある。初めての出店で、集めた石のコレクションを売りにきたのだそう。

定年も近そうなお年まわりからして、会社の出世街道には目もくれず、サラリーマンのかたわら石のコレクションに情熱を注いできたんだんだろうなあ、といういかにも石フェチな風貌。
会社側からすれば浮いた存在でしょうが、私からすれば、親戚に居たらオモシロいだろうなあと思える石のオジサン。竹中直人が主演した石の映画「無能の人」を、ちょいと思い出した。

私が買った緑鉛鉱という若葉色した石の、産地を書いた紙がないことを私は気にしてないのに、オジサンはひとりで気にして「皆さんあまり気にしないけど、石はね、産地が重要なんですよ〜」とおっしゃる。後で調べてメールしてくれることとなった。
その石でペンダントを作ると言ったら、「いやあ、この石はこうやって眺めて楽しむ石ですよ~」と、石を目の前に掲げ持ちながら、やんわりと抵抗を見せるあたりが商売人らしくなくて好ましい。

オジサンには悪いけど、作っちゃうよ、ペンダント。

11 11月, 2015

タロット講座

タロット講座を受けに銀座へ行ってきました。
いずれ、アクセサリーのお客様へのサービスのひとつにならないかと考えて、タロットカードと解説本を買ったはいいけど、どこから手を付けていいかわからなかったからです。

朝9時半から夕方5時までの、とても楽しい講座でした。
何の知識もない全くの初心者でも参加できます。
講師は清水空(ソラ)さん。語り口がとてもオモシロくて、夕べ泣いてた私なのに、今日はよく笑いました。

ひととおり学んだら、受講生同士で占う時間があります。

私が最近気になる、ある事柄を占ってもらいました。
出たカードは、葛藤を意味する「女教皇」と実りを意味する「女帝」。
1月くらいまでそのことで葛藤するけれど、2月くらいから4月くらいまでの間に、その件は実りを見せるだろう、という、未来に希望の見えるカードでした。

タロット以外にも、西洋占星術、数秘術、手相占い、ルーン占いなどの講座があります。
占い教室ソラ -------- http://uranai-kyoushitsu.com/

10 11月, 2015

ブログ再開

半年以上も更新しなかったブログを、そろそろ再開しようと思っていました。

いろいろあって、泣いたり怒ったりいじけたりしてました。
でも、そろそろ立ち上がろうとしたら、また突き落とされた。
ああ〜、神様って意地悪。

今日の「突き落とし」に意味なぞあるんでしょうか?
ああ〜、神様に仕返ししたい。

この記念すべき悲しい日を、ブログ再開の日といたします。

明日は銀座でタロットのお勉強。
涙をふいて行ってきます。


02 4月, 2015

4月のアートマン

1日から4月のアートマン、始まりました。
7日までの出店です。
この写真は、前回2月にいただいたセミオーダーのもの。
お客様の手持ちの琥珀に合うネックスをオーダーいただきました。

黄緑の石ががご希望だったので、ペリドットをメインに、タイガーアイとアイドクレースという少しだけモスグリーンの入った緑色とラブラドライトのカーキ色を組み合わている最中の写真です。

それにしてもステキな琥珀です。丸く光るものは魚のウロコのように見えます。
琥珀の中で、光るお花が咲いているようです。
私もこんな琥珀が欲しくなりました。

23 3月, 2015

今夜の音楽〜「シンドラーのリスト」

11月からず〜っとやってるイラストの仕事があって、私の苦手なソフト”イラストレーター”を使って描かなきゃいけない。私にとっては、描くというより、製図しているというか、精密機械のオペレーターにでもなったような感覚だ。
煮詰まると頭蓋骨の中の圧力が増すようで、今夜も脳圧を下げてくれそうな音楽を探した。
今夜の脳圧降下剤は名画「シンドラーのリスト」のテーマ曲。
  予告編https://www.youtube.com/watch?v=JdRGC-w9syA
Youtubeを検索すると、いろんな楽器でカバーされたものがある。
ピアノ、ヴァイオリン、ギター、チェロ、コントラバス(ダブルベース)などなど…。

イツァーク・パールマンオリジナルサウンドトラックで演奏したイスラエル人ヴァイオリニスト)
https://www.youtube.com/watch?v=WPsAR9Sx-JQ
ルカ・スーリッチ(若手チェリストデュオ2chellosで活躍中のスロヴェニア人。ドコモのCMに出てたんですな〜。)
https://www.youtube.com/channel/UCm9MJM9JbwjilkOX7zUtm7A
フラビオ・サライタリア人ギタリスト。クラッシックからフラメンコやポップスもこなす天才。)
https://www.youtube.com/watch?v=F1_PTRdeO-A
Bozo Paradzik名前の読み方わからない〜。ボスニア人?。コントラバスって主役になるんだね〜。
https://www.youtube.com/watch?v=XWkpC7jmADI
オリジナルサウンドトラック版(放っておいても、勝手に全曲プレイされます。)
https://www.youtube.com/watch?v=t8sEtZiAQQI&list=PL33AF71275D8AECEA

25 2月, 2015

チャパティ焼いてみた

チャパティとは、インドの一般家庭の人たちが日常に食べている全粒粉のパン。

ナンはイースト菌もしくはベーキングパウダーを入れるのでふっくらしているが、チャパティは粉と油と水だけなので、ぺちゃんこでふくらまない。

精白した小麦粉を使うナンはインドではもともと上流階級の食べ物だった。
今ではレストランに行けば、どこでもナンは食べられるが、一般家庭で食べられるのは、米かチャパティなどの薄焼きパンなのだ。




インドを旅した時、友人と私は日本ではめったに食べられないチャパティやロティばかり注文していた。

ティラキタという東南アジアの雑貨を扱うお店の通販ページが好きで、よく見るのだが、インドの全粒粉を販売していたので、早速購入。チャパティを焼くための専用フライパンみたいなのも買った。単なる鉄の丸い板に、取っ手がついてるだけ。
縁が立ち上がってないので、ひっくり返しやすい。

レシピ通りに焼いてみたが、ちょっと堅めになってしまった。
もう少ししっとり焼けるよう、今後の研究が期待されるところ(誰からも期待されてないけど…)。


23 2月, 2015

捨てられない…

私の持ち物には仕事柄、紙類が多い。仕事柄、ってのはもう半分以上言い訳みたいなもので、紙そのものが好きなのだ。
例えば画用紙だけでも、ツルっとしたものやざらざらしたもの、そのざらざら加減も色もいろいろで、全部とっておきたい困った性分だ。
また、イラストを描くときの参考になるからと、雑誌のページを破りとったものや、いろんな切り抜きなどが、机の上に山と積まれている。
そんなこんなで、半分、もの置き状態になっている机を整理しようと、紙の山に向かったら、また久しぶりに見るものだから、懐かしかったり、「やっぱりコレきれい〜」と捨てられなくなる。

ルキノ・ビスコンティと妹のウベルタ。
背後の絵は、彼らの母親の肖像画。
9年前のANAの機内誌を破りとったもの。
雑誌のページを破ったまま、クリアファイルに入れていたものの中に、ルキノ・ビスコンティの記事があった。映画「ベニスに死す」で有名なイタリア映画の巨匠だ。アラン・ドロンのいちばん美しい頃を、一番美しく撮った人でもある。
名監督と呼ばれる人たちはたくさん居るけれど、貴族の出身という経歴を持つ監督は彼だけではないだろうか。貴族の生まれではあるけれど、若いときは共産党に入党していたこともあり、初期の監督作品は労働者階級を描いている。

私が二十代の頃、ビスコンティの映画を名画座で見たときは、長くて退屈と感じて途中で寝た映画もあったけど、人生の多少の波風にあたった後の今、同じ映画を見てみると、以前は気にもしなかったところに感動をおぼえ、また、完璧主義だったビスコンティが作り上げた美しい空間の隅々に目を見張ってしまうのだ。

彼の映画は一言で言えば、滅びの美学とでもいいますか、「本物の貴族が創った、滅びゆく貴族を描いた映画」だ。

記事の最後に、ビスコンティの妹が語ったという、イスキア島の別荘でビスコンティが亡くなるときの様子が書かれていた。
「夕方5時頃でした。ブラームスの交響曲第2番を聴いて、それが終わると私の方を向いて ”もう十分だ。疲れた” そう言って息をひきとったのです」

ひゃ〜、かっちょいい〜。映画のワンシーンみたいだ。
私は、その4枚のページを後生大事にとっておこうと、再びファイルにしまい込みました。

22 2月, 2015

泣けます「花燃ゆ」

放送開始早々から、視聴率サイテーとか、おもしろくない、とか、ある意味話題の「花燃ゆ」ですが、私はけっこう好きです。
大河ドラマというと、歴史の山あり谷ありを描いてあるイメージですが、「花燃ゆ」は家族や友との人間愛を描いたドラマとお見受け致しました(今のところは…)。

この家族が居たから、松蔭がいて、その後の歴史を動かして行く人々に影響を与えていけたのだということがわかります。家族が国家の礎だということが。

吉田松陰が歴史に直接手を下す武将ではなく、歴史を動かす者を育てる思想家(教育者)であることが、去年の官兵衛と比べると地味な印象を与えるのでしょう。一応主人公?のは、松蔭や門下生を支えた影の存在でもあったので、歴史の表舞台に出ない分やはり地味なのかな?

松蔭はインドのガンジーと似ています。ガンジーもまた、思想家であり、投獄された経験もあります。ガンジー自身は政治家ではなく、多くの政治家や国民が影響を受け、教えを請うたところは、松蔭と同じです。
松蔭は29歳で処刑されました。しかし、29歳の若さで、その後国を動かす者たちに影響を与えたというのはすごいことです。
今、日本が多くの国際問題にさらされて、ある意味、世界で独り立ちするためにも、松蔭の思想は何かのヒントになるかもしれません。

今のところ、ドラマはまだ松蔭と文、その家族と獄の仲間たちの話が主で、今後の展開は知りません。
が、家族のことで傷ついている人、また何かに挫折して苦しんでいる人、閉ざされた中にいて身動きがとれないと思っている人、自分の人生にもう希望などないと思っている人がいらしたら、どうぞ、ごらんください。珠玉のコトバがちりばめられてます。

私、毎回泣いております。

21 2月, 2015

聖歌「Agni Parthene」

友達のお兄さんがロシアに単身赴任するそうで、友達とロシアの話など長電話で盛り上がった。
電話を切ったあと、ロシアの宗教音楽が聞きたくなり、ネットで検索していたらロシアの曲ってわけじゃないが、お気に入りを見つけた。

それはアグニ・パルセネ(Agni Parthene)という、19世紀のギリシャの修道士ネクタリオスによって作られた聖歌で、現在は世界中の正教会で歌われているようだ。
聞いてるとからだが左右に揺れるような心地よさがある。

日本にも正教会がある。有名なのは、函館(ハリストス正教会)と東京のお茶の水(ニコライ堂)だが、ネット検索してみたら、思った以上に各地にあった。
正教会に行けば、この聖歌が聴けるのかしらん?


●ロシアのヴァーラム修道院版(この修道院の男声合唱団は世界でも有名らしい)
https://www.youtube.com/watch?v=C7vvPXz-Qes


●セルビア人歌手ディヴナ・リュボイエヴィッチDivna Ljubojevic)の美しい歌声版
https://www.youtube.com/watch?v=AE1FzSC8DBs

20 2月, 2015

彫金への道?

私は現在、隔月でアクセサリーの制作販売をしていますが、火を使うような彫金はやったことがなく、天然石のビーズや穴のあいてない原石を、ワイヤーなどで装飾したり、つないだりしたものを並べています。

昨年12月の販売のときに、年配の女性に声をかけられました。
えらくジーッと見てらっしゃるなー、と思っていたのですが、「これ、あなたが全部自分で作ったの?」と聞かれたので、そうですと答えました。
数年前まで彫金の先生をされていたというその女性 Iさんは、胸元に大振りの琥珀のかっこいい自作のペンダントをされていましたが、「もう80も目の前だし、目がだめになったから彫金を何年か前にやめちゃったのよ。」とおっしゃいました。
そして、ふとIさんが「バーナーとかいる?欲しいならあげるわよ。」と、思い出したようにおっしゃるではありませんか。

以前から、最低でも、アクセサリーを修理するのに必要な彫金の技法くらいは、例えばバーナーの火を使うロウ付けなどはマスターしておいた方が、制作販売の仕事にも幅が出るよな〜、と考えていたところでした。
ただ、ロウ付けだけを教えるようなところはなく、彫金を一から学ぶとなると、学校の講座代を始め、道具代、材料代など、今のアクセサリーの売り上げからは到底捻出できない金額がかかるため、半分あきらめてもいました。


道具の数々。右端に見えるのは、バーナーの火を
調節するためのふいご。使い込まれた道具を見ると
ワクワクする。
そんなこともあって、話し始めて10分もたつかたたないかで、初めて会った人に、前々から欲しいと思っていたものを「あげるわよ」と言われたのには、びっくりしました。

私は、ずうずうしくも「はい、欲しいです。ありがとうございます!」と、ありがたくそのお申し出を受けることにしました。
そして、2ヶ月たった今日、Iさんのおうちにお邪魔して、バーナーを始め、彫金に使う道具の数々を大きめの布の旅行バッグ一杯いただいてきました。
それでも、まだ全部ではなく、あまりに重くて、あと3分の1くらいの量の道具は後日またとりに行くことになりました。

お部屋にお邪魔してすぐ、Iさんは「私、なんであなたに声かけたのかしら?今でも不思議よ。私、そんな誰にでも声かけたりしないのよ。」と笑ってらして、「私も不思議ですよ。Iさん、魔がさしたんじゃないですか?」と半分冗談で返しました。

もうここまで来たら、彫金を始めないわけにはいかなくなりました。
彫金の講師をされてたIさんに「どこかで基礎から勉強した方がいいですよね?」と聞いたら、「学校は行かなくていいわよ。私も学校は行ってないのよ。本を見ながら始めてみたらいいわ。」と言われました。

Iさんの作品を見せていただいた。
いずれも個性的なリング。
私のアクセサリー自体が、そう細かい技法を要するタイプじゃないことも見てらっしゃるから言えることかもしれませんが、学校に行かなくてもいい、というお言葉に内心ホッとしました。
試行錯誤の連続になるかもしれませんが、まずは前々からやってみたかった金属の透かし模様のペンダントと基本的な技法のロウ付けに挑戦してみようかと思っています。

あとは、金属の板の中でも加工しやすいという銀板を買いにいくだけです。それと彫金の基礎の本!
そしてなにより部屋の片付け!!!
今はもの置きになっている机を彫金専用の作業机にできるように、4畳半の部屋の半分はまっさらにきれいに空けないといけません。

彫金への道は平坦ではありませんな〜。でも、楽しいでこぼこ道です。

14 2月, 2015

ロベール・クートラス

時々、絵葉書を送ってくれるMちゃんから、本が送られてきた。
昨年秋にくれた葉書にも、年賀状にもまだ返信してないこの不義理を尽くす私の扉を、彼女はコツコツとたたいて、私が扉を開けると、そこには1冊の本が置かれていた、という風に…。

Mちゃんからの便りには、日常の雑事に気をとられ流されてウロウロしている私の中の錆び付いた引き出しの取っ手に、ちょっと手をかけてくるような感覚がある。

届いた本は画家ロベール・クートラスの作品集(画集)だった。
私は今日までこの画家を知らなかった。タロットカードほどの大きさの紙に、暗い沈んだ色で描かれた、まるで現代とはかけはなれた中世の趣味人が手慰(なぐさ)みに描いたのかと思われるような、でもなんだか懐かしい親しみのある暗さが漂う絵が、1ページに1点ずつ収められている。

本には70枚ほどの絵が収められているが、一夜に一枚ずつ描かれたというその絵は、実際には6000枚もあるらしい。


音のない静かな夜に、画集を1ページずつめくるなんて、何年ぶりだろう。
こんな時間が毎日30分ずづでもあれば、きっと心豊かになれるかも、と思えるような時間だった。

渋谷区の松濤美術館で前期2月8日から2月22日まで、後期2月28日から3月15日までの日程で展覧会が催されている(入場料無料)、と手紙に書いてあった。
明日、行ってみよう。
そしてMちゃんに返事を書こう。
どこか静かな茶房で…。

私は、私の中の錆び付いた引き出しを開けて、その画集をそっと入れ、少しの隙間をのこして、引き出しをしめた。

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●ロベール・クートラス オフィシャルサイト
 http://www.robert-coutelas.com/index.html
●松濤美術館 http://www.shoto-museum.jp/05_exhibition/index.html
●R・クートラス略歴 http://www.robert-coutelas.com/jp/biography/
●R・クートラス関係者(晩年クートラスに寄り添った日本人女性)インタビュー
http://www.robert-coutelas.com/jp/interview/

13 2月, 2015

梅が咲いた

うちから徒歩30秒のところにある梅園の梅が咲き始めた。
毎年、1本だけ早々と咲き始めて、他がまだ固いつぼみをつけている時に、それだけ満開になっている木がある。同じ土に立っているのに、不思議だ。
花が咲き始めると、すぐに職人さんが来て枝の剪定がされる。

いつもなら、切った枝を山のように積み上げて一晩置いてあるのにたいてい気がつくのだが、今年は気がつかなかった。

山と積まれた枝にはたくさんのつぼみがついていて、散歩がてら訪れた人は、それをもらっていくのだ。当然つぼみの多い枝からなくなっていく。


今年はもらいそこねたな〜、と残念に思いながら、まだちらほらとしか咲いてない梅園を
花模様の湯のみに挿して、梅の絵の染め付けの
皿に乗せた。たった1〜2輪の花でも、ほんのり
梅の香りがする。
歩いていたら、短い枝が何本か地面に落ちているのを見つけた。短いのは5センチくらいで、長くても15センチほど。

剪定してから5日は経っていたと思うけど、枯れてる感じがしなかったので、拾い上げて持ち帰り、水に挿していたら、固いつぼみがちょっとずつふくらんできた。

そして、拾ってから5日後の今日花が咲いた。

朝、起きると真っ先に梅の枝を見る。
うれしかった…。

12 2月, 2015

意外とこわい自転車運転

免許更新しに府中試験場まで行ってきた。
受付時間が午後4時までだが、自転車を必死にこいで10分前に受付に駆け込んだ。
今日は小春日和でいつもより暖かかったところに、ガンガン自転車こいだから、汗かいて顔は赤く上気し、免許証の写真はいつにも増して変な顔。
ああ〜、これにまた5年間付き合わされるのか〜、って感じ…。

30分の運転講習、5年前とちょっと内容が違う感じした。
というのは、自転車事故についての話が半分くらい占めていたから。
自転車事故の深刻さが以前にも増しているのだろう。
先月、自転車同士で私もぶつかったばかりだし、話を聞いていてこわくなった。

最近は『自転車』対『歩行者』の事故で、死亡事故もあることから、裁判も多いらしい。
裁判で決まった賠償金額で一番多かったのが、神戸の事故で9521万円。1億にせまる金額だ。この時自転車に乗っていたのは小学5年生だったそうで、指導を怠ったとみなされた母親に対して支払いが命じられたそうだ。
1億を越えるだろうと予想される事故も最近起きたそうで、甲州街道(私もよく走ります…)を斜め横断した自転車が、直進していたバイクにぶつかり、バイクを運転していた男性は死亡。死亡したのは、まだ30代前半の男性だったため、この先得るであったろう年収を考えると、賠償額は軽く1億を越えるだろうという話だった。

今年6月1日から自転車の違反にも罰金が課せられるそうで、罰金は前科になるそうだ。
自転車の酒気帯び運転はもちろん、自動車並みの罰則規定がつくられているという。
ちなみに歩道を自転車が走る場合、建物側ではなく、道路側を走るのが決まりだそうです。→私は知らなかった…。
自転車運転、気をつけねば!!!


11 2月, 2015

ブログの仕事

私がイラストを描いている会員誌の仕事があるのですが、その会社のブログの記事を、1月から週2本くらいの割合で書くことになりました。
株式会社食健という健康食品を販売している会社で、千坂メソッドという食健独自の食事法の啓蒙にも力を入れている会社です。玄米を食べ、肉や魚や砂糖や乳製品を避けるところはマクロビオティックと同じですが、玄米に関しては最低2時間以上(何時間でも長ければ長いほどよい)は炊くなど、考え方や食べ方に少し違いがあります。
私はまだ詳しくないので、勉強しながらブログを書いてます。
千坂メソッドに関してはまだ初心者の一般読者と同じ立場で、ペンネームは「ナマケモノ科イラストレーター・バリエ」です。

体質改善を考えている方には、おススメの食品などありますので、下記ブログに是非お立ち寄りください。

私のキャラクターはナマケモノちゃんで、私が書いた記事には、いつも木にぶら下がったままのイラストが入ります。(内容によっては写真のこともあるかもしれません。)

●食健オフィシャルブログ http://ameblo.jp/chisakashokken/

ブログは私以外にも食健社員の方や、たまに社長など、数人で交互に書いてます。




私が書いた最新記事は、オナラがテーマ。
●〜オナラよサヨオナラ〜 http://ameblo.jp/chisakashokken/entry-11977518293.html

●食健オフィシャルサイト
http://www.shokken.jp/

10 2月, 2015

夏目漱石「文鳥」

仕事に追われて、ブログで告知しないまま終わってしまいましたが、イラストレーターや書家が集まった「私ノ漱石」展というグループ展に参加しました。アクセサリーの出店販売の仕事とグループ展の日程が重なったので、私自身が会場に行ったのは最終日の搬出の時だけでした。
その名も夏目坂という、漱石ゆかりの名前がついた坂の途中にあるギャラリー・ころころという小さなギャラリーが会場でした。

写真の作品は、私が出品した2点のうちの1点。
夏目漱石の短編集「文鳥・夢十夜」の中から、「文鳥」という作品を読んで描いたスクラッチボード作品です。

主人公の作家(たぶん夏目漱石自身?)の家に出入りする者が、ある日文鳥を持ってきます。最初は、言われたとおりに世話をする主人公でしたが、それがだんだんおろそかになり、世話は家人に引き継がれ、それもなんだかおろそかになり、ついには文鳥は死んでしまう、という切ないお話。

文鳥は女のイメージです。実際、主人公もかつて親しかったのであろう女のしぐさの記憶を文鳥に重ねます。
ということで、文鳥の羽に女の顔をあしらいました。
本の中で文鳥は死んでしまいますが、本当はカゴから逃げ出して、羽ばたいてほしかった、という私の願いを込めました。

普通だったら、いくら他人が勝手に持って来たとはいえ、一度飼い始めたものは最後まで責任持って飼いなよ!と言いたいくらいの内容の話ですが、こんな話をブンガクの領域に持ってくる夏目先生は流石(さすが)です。
短編集は面白いです。特に「夢十夜」は面白い。漱石が実際見た夢なのかどうかわからないけど、こわ〜いのやら不思議なのやら、映像が目に浮かぶような作品がいろいろあります。
長編小説は敷居が高い、と思ってる方には特におススメです。

ギャラリー・ころころでは、去年の「私ノ八雲」展、今回の「私ノ漱石」展に続き、文学シリーズで今年の秋は「私ノシェークスピア」を開催予定だそうで、私も参加します。シェークスピアの次は中原中也と続くそうです。次回は必ず、告知いたします。今回もそうでしたが、古本市も同時開催です。





01 2月, 2015

2月のアートマン

今日から7日まで、京王線・府中駅の駅ビルアートマン2階で、天然石のオリジナルアクセサリーを販売してます。お近くにおいでの際はお立ち寄りくださいませ。
私のいる場所の後ろには、人気のマッサージ機が置かれていて、自由にお試しできますので、お疲れの方も疲れてない方もお試しください。

今日、アートマンの外のコンコースで洋服雑貨を販売してる方(ご夫婦)とお話する機会がありました。その方のご自宅には、なんとライオンの剥製があるそうで、ワシントン条約が施行されるちょっと前に販売目的でトラの剥製と1頭ずつ仕入れたそうです。

新宿のマイシティ(現在ルミネエスト)の催事に出たとき、ライオンを持って来た(!!!)ことがあるそうですが、車(ハイエース)の上に縛り付けて高速を走ってきたんだって…。
みんなビックリして見たそうです。そりゃ、見るよね〜。
私も見たかった…。

トラの剥製は縁起もので欲しがる人もいるかも(朝ドラの鴨居社長とか?)ですが、ライオンの剥製が自宅にある人って、聞いたことないな〜、と思いながら話を聞いていました。結局、トラもライオンも売れなかったんだとか。
トラはバラした(?)、って言ってたけど、ライオンは足をネズミに食われたとかで、売り物にならなくなちゃった、と言ってました。

というわけで、こういう催事の仕事してると、おもしろい話を聞くことが、たまにあります。

30 1月, 2015

筆無精

もう30年以上のつきあいになる友人Mちゃんから、ときたま葉書が来る。
好きな庭木のことや、家族のこと、旅先の話などが淡々と書かれている。
彼女からの手紙は、短い随筆を読んでいるような感じがして、好きだ。
そのくせ、手紙を読みながら頭の中では返事の文章が浮かぶくせに、無精な私はなかなか返事を書かない。
でも、私が返事を書かなくても、また忘れた頃にぽつんと葉書を送ってきてくれる。

この天使の葉書は、直近のもの。好きな絵なので、パソコンに貼っている。
返事はまだ書いてない。
頭の中には文章はあるのに。
いろんなことを伝えたいのに、書いてない。
頭の中に手紙の返事がたまりすぎて、どこから書いていいかわからなくなって、なおさら書けない。

私にとって「手紙を書く」という作業は、目の前に相手の像をホログラムのように思い浮かべて、それと会話するようなイメージで書くので、走り書きでとりあえず返信、というのがなかなかできない。
しかも仕事道具が散らかった部屋なので、ホログラムを置く場所がなくて、なかなか手紙モードになれない。



手紙を書くための手紙部屋が欲しいなあ。
そうしたら、ホログラム映像の相手と会話をするかのように手紙が書けるような気がする。
私って一種の学習障害かな、と思うことさえある。

Mちゃんはパソコンをあまり見ないし、携帯も持たない。
Mちゃん、ごめんなさい、と、ここで謝っても伝わらんよね〜。エヘヘ…。

26 1月, 2015

ドラマ「プリズナーズ・オブ・ウォー」

国内外の映画やドラマが月額1007円(税込み)で見放題のHuluが、2週間無料視聴できるというので、登録申し込みした。
2週間で好きなものを見たら、課金される前にさっさと退会しようと思っていたのだが、無料視聴が切れる直前に「プリズナーズ・オブ・ウォー」というイスラエルのテレビドラマを見つけて見始めたらハマってしまい、無料期間を過ぎ、課金されることになってしまった。
このドラマは、イスラエルと敵対するレバノンに捕われたイスラエル兵士の捕虜と、イスラエルでテロ行為をして捕われたレバノン人の囚人との交換から物語は始まるのだが、話が進むにつれて、誰がどちらの味方なのか敵なのかわからないスリル感、そして17年間も捕虜だった男たちの帰国後も続く苦悩が丁寧に描かれていて、毎回見逃せなくなってしまった。

今まさに、日本人がイスラム国に捕われいて、安否が気遣われているときだけに、日本人にとっても、このドラマは他人事ではなくなった。

中東の敵対する国同士が国境を接しているのと違って、日本は海によって守られているのだと実感する。最近は、中国や韓国などと海(島)での小競り合いがあるにしろ、やはり守られている方だといえるのではないだろうか。ただ、今まで海に守られて国際問題が他より少ない分、危機管理への関心が薄かったかもしれない。

このドラマを見ていると、敵国と国境を接する国に住む人たちの日常がかいま見られて、興味深い。
おすすめです。無料期間の2週間あれば、全24話全部見れます。

Hulu公式サイト : http://www.hulu.jp/
参考サイト : http://hulu2weeks.com/
レバノンとイスラエルの歴史:http://www.zion-jpn.or.jp/israel_history05.html

16 1月, 2015

ゆずの蜂蜜漬け

今まで、なんでこの方法に気がつかなかった
のかしら、と思うくらい、簡単なのに美味しい。
実家の畑にゆずの木が1本あります。
知人から、無農薬のゆずが欲しい、という連絡がきたので、全部で40個くらい収穫し、30個ほどお譲りしました。

ゆずの木は、全然手入れしていないので、枝が伸び放題。ほんとは倍の数、実っていたのですが、長くて鋭いトゲが枝にたくさんついているので、せっかく実ったゆずの実は己のトゲで自殺状態…。

今年はちゃんと枝の剪定をしてあげようと思います。

ゆずを買うときは、黄色い皮の表面をうすく削いで使うか、絞り汁を使うかくらいで、残りカスが出ると思いますが、そんな残りを好みの大きさにざくざく切って、蜂蜜につけると2〜3日で蜂蜜が皮にしみ込んで、お茶請けやオードブルに使えます。加熱してないから、ビタミンCも壊れませんね。蜂蜜の持つ酵素と相まって、風邪の予防にももってこいの食品です。

料理のレシピなどには、白い部分は多少苦みがあるので除く、なんて書いてありますが、私はたいした苦みは感じないし、めんどくさいので、表面の目立つ傷だけ取り除くくらいです。超カンタン。

パンやクラッカーにのせても美味しいし、クリームチーズにも合います。ヨーグルトに入れても美味しい。マグカップに好みの量を入れて熱湯を注げば、ホットゆずの出来上がり。ホットゆずの場合は、ゆずは細い千切りにして漬けておいた方がいいでしょう。
加熱しないため、ジャムのように長期保存はできないので、一週間に一度ゆずを1〜2個買って蜂蜜に漬けるかまぶすかして、そのつど作って食べるのがいいと思います。

07 1月, 2015

鼻にヒビ

先日、長崎にガウディ展覧会を見に行って、ガウディの年表を見ていた時、ガウディは教会のミサに行く途中、つまづいて道に倒れたところを路面電車に轢かれて亡くなった、という一文が目にとまった。

なんか似ている…。年末の私に似ている…。

というのも、唐津の夜の田舎道で、たまたま車が通らなかったからよかったけど、私は道を横断しようとして、歩道と車道の間にある縁石に気がつかず、つまづいて道に倒れたのだ。
とっさに両手でからだを支えたつもりだったが、間に合わず、顔面から路面に激突する形となり、膝頭と鼻をしたたか打ち、鼻の骨にヒビが入ったのだ。

鼻からは大量の鼻血が流れ出て、地面にうつ伏せになったまま2〜3分起き上がれなかった。道の反対側で、妹が車に乗って私を待っていたのだが、私が視界から消えて「あれ?姉ちゃん、どこ行ったのかな?」と思いはしても、まさか地面に倒れているとは思わなかったらしい。
私は私で、妹が気付いてすぐ起こしにきてくれると期待していたが、2〜3分の間(この場合、超長い)待てど暮らせど、来てくれない。声が出なくて、叫ぶこともできなかった。

必死に立ち上がりましたよ〜。人生の中で、こんなに必死に立ち上がったことはありませんよ〜。格闘技のリング上で倒れた人の気持ちがよ〜くわかりましたよ〜。
「立て、立つんだオーバリー!」と、リングサイドで誰かに叫んで欲しかったですよ〜。

ほんとに車が来なくてよかった。
今、思い返してもゾッとする…。

夜は蛍光色のものを身につけて歩きましょう…。

04 1月, 2015

「ガウディ×井上雄彦」

いまさらですが、明けましておめでとうございます。
年末年始、いろいろ雑事あり〜の、怪我あり〜の、心配事あり〜ので、ブログ更新忘れておりやした。

実家の唐津から車で2時間くらいの長崎県立美術館で、3月8日まで開催中の「ガウディ×井上雄彦」〜シンクロする創造の源泉〜展へ。
私は井上雄彦氏の漫画は読んだことがなく、大人気漫画家ということしか知らずに出かけた。

会場に入ってすぐ、真正面に掲げられた大きな井上氏の手描きの作品に、心をわしづかみにされた。電車の中刷り広告で井上氏の絵をちらっと見ていた時から、墨で描く人なんだなー、という認識はあったけれど、漫画家という枠を越えて、「絵師」だった。

一見無機質な建築の世界に、ガウディがなぜ有機体をおもむろに取り込んだのか。
その理由が、井上氏の絵によってダイレクトに感覚として頭に入ってくる。


今回初めて知ったのは、ガウディが幼い時からリュウマチだった、ということ。
病気のためにあまり動けず、幼いときから植物や昆虫や動物をじっと観察して、それらを描いたりして過ごしていた、その経験が建築家ガウディを生んだということを。
つまり、ガウディがもしリュウマチでなかったなら、ガウディの建築は今この世にない、ということになる。

1882年に着工してから、現在まだ建設中のガウディの遺作ともいうべきサグラダ・ファミリア教会の扉に、世界中の言語で書かれた「我らを悪より救いたまえ」という一文が刻まれているそうだが、日本語版は井上氏の毛筆で書かれた文字が使われているそうだ。
今はまだサグラダ・ファミリア教会は完成してないので、その扉を見ることはできないが、完成した暁には、井上氏の書いた文字は、正面に向かって一番右の扉に見ることができるという。私はまだバルセロナに行ったことがなく、ガウディの建築物を見たことがないので、井上氏の文字とガウディ建築の両方を見るのを今から楽しみにしている。

「死ぬまでにしたいこと」リストに、ひとつ項目が加わった。
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展覧会オフィシャルサイト:http://www.gaudinoue.com/
長崎の次は、神戸の兵庫県立美術館で開催。会期は、3月21日〜5月24日。それが最後の開催となります。