31 12月, 2015

歌う女

実家では、妹と隣り合って寝ているので、「夕べは、姉ちゃんイビキかいてたよ。」とか、「歯軋りしてたよ。」とか、たまに言われる。

今朝は、妹が笑いながら「姉ちゃん、夕べは寝言で歌いよったよ。」と言った。
何の歌かはわからなかったそうだが、普通の音量で30秒ほど歌っていたらしい。
「録音しとけばよかった」と、笑いながら残念がっていた。

夢の記憶もないし、夢の中で歌いたくなるほど、楽しいことなど最近あっただろうか?
一昨日は父とケンカして、心はささくれ立っていたのに…。
いったいどんな夢を見ていたんだろう?
私自身が一番知りたい…。

30 12月, 2015

こんにゃくの謎

我が家の正月料理の定番、筑前煮(九州では”がめ煮”とも言う)を作っているところ。

私は最初に材料をざっと炒めるのですが、こんにゃくを炒めたら、すごい緑色に…。
そこに赤い金時人参を入れたら、クリスマスカラーになってしまった…。

しかし、調味料など入れて煮詰めるうちに、こんにゃくは通常の色に戻りました。
ホッ…。

さて、一体どんな化学変化だったのでしょうか?

答え:野菜に含まれる物質が、こんにゃくの凝固剤・水酸化カルシウムに触れて化学変化を起こし、こんにゃくの色を変えるらしい…。
http://www.mutsumi-tokyo.co.jp/faq/index.html

25 12月, 2015

高島野十郎展

青い林檎を右手に持ち、ところどころ破れた袈裟を着て、こちらを上目遣いに見つめる男の肖像画。薄暗い画面の中に、青い林檎だけが美しく光っている。
肖像画は画家本人。殺気立つような自画像だ。
惹き付けられるように、画家を見つめてしまった。
福岡県立美術館(地下鉄・天神駅から徒歩10分)で1月31日まで開催中の、高島野十郎展へ。

私は最初、福岡市内にあるもう一つの美術館・福岡市美術館(地下鉄・大濠公園駅から徒歩15分)だと勘違いして、「大濠公園を久しぶりにウォーキングた~、気持ちいいな~。」とさわやかな気分で美術館に4時に到着したら、やっていたのはモネ展ではないか。

ガ~ン!慌てて美術館そばのバス停に走り、天神行きのバスに飛び乗って、県立美術館へ向かった。
幸い県立美術館は夕方6時まで開館なので間に合った。ホッ…。

高島野十郎は1890年に福岡県久留米市の裕福な酒造家に生まれ育ち、東大に入って首席で卒業したにも関わらず、学問の道を捨てて画家になった人。
師を持たず、画壇に属さず、独学で、生涯独身で85歳まで画業を極めた。
青い林檎を持つ自画像は、その強い意志をあらわにしたような風貌だった。

岸田劉生の麗子像という有名な絵があるが、野十郎の自画像は”岸田劉生の人物の絵をもっと繊細にして洗練された感じにしたような”と表現すれば想像がつくだろうか…。
野十郎の林檎は、ほんとうにかじってみたいと思えるほど生命力に満ちている。

初期の作品は、繊細な筆さばきでありながら独特のタッチがあって、どれをとっても魅力的だ。
実家が裕福だったこともあり、3年ほど欧米を遊学しており、帰国後は遊学前の暗い色彩は消え、野十郎の作品に色彩が加わり、油絵の具で描かれたとは思えないほどの繊細な描写は更に極まっていく。

欧米遊学後の絵で私が惹かれたのは、蝋燭の絵と、果物の静物画、そしてタバコの絵。
「蝋燭の画家」とも言われる所以となった、小さい部屋の3つの壁にずらりと並んだ蝋燭の小さな絵たちは、その絵の前にずっとたたずんでいたいと思わせる魅力がある。
たとえば、悲しいことがあったとき、その絵の前に立つだけで心が落ち着くのではないか、と思えるような…。

蝋燭の絵は人への贈り物としてだけ描かれたもので、展覧会に出す絵ではなかったというが、蝋燭の絵をもらった方々がとてもうらやましくなるくらい魅力的だ。

ただ、私個人としては、欧州遊学後の風景画には、あまり惹かれなかった。
写実を極めた感はあるにしろキレイすぎて、きれいだな、と思う以外に琴線に触れるものがなかった。初期の作品に見られた独特の精神性や個性は暗闇があってこそのものであり、欧州で取り入れた光や色彩は、彼の個性を隠してしまう要素になっていたのではないだろうか?
師を持たず、独学で行くと決めたなら、欧州になど行かない方が良かったのではないかと思ってしまったのは、外野の勝手な意見であることは百も承知なんだけど…。

そう言いたくなるくらい、遊学前の野十郎の絵の暗さは魅力的だ。

暗闇は光を引き立たせ、光は闇を美しく照らす。
人は光だけを求めがちだが、闇を消してしまうことは、光を光たらしめないのではないか、と、光と闇について考えてしまった。

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来年4月には、東京にも巡回すると友人から聞きましたが、詳しい情報はまだ見つけられません。
展覧会が始まれば、日曜美術館あたりで取り上げられることでしょう。
生前はあまり知られることがなく、最近になって再評価されてきた野十郎。
ネット検索すると、野十郎の絵を探して高値買取するとの広告を出している画廊もあります。
ゴッホに影響を受けたといわれ、超俗的な生活を送った野十郎は、評価されようがされまいが、どこ吹く風、って感じでしょう…。

24 12月, 2015

クリスマスイブだったんですね

今日は、何をしたかしら?

明後日には施設を退所する母の面会に行った後、亡き祖父の家に出かけ、畑に建っているビニールハウスの小屋の中の片付けに着手した。着手したことをすぐに後悔するほど、大量のゴミがあり、祖父と祖母が生前無造作に突っ込んだり重ねたりした物たちを、市の指定ゴミ袋5袋分詰めたところで今日はあきらめ、大きな焼却炉が欲しい、と思いながら帰路についた。

夜は父と会話のない夕食をとり、食後はそんな父から逃げるように、ひとり温泉へ車を走らせた。

温泉から帰り、友人に電話した。転んで顔から地面に落ちて唇を切ったという便りをもらったから。詳しい話を聞きながら、お互い笑った。

それから、天然石をワイヤーでくるむ作業をした。
そのとき、ラインで、Happy Christmas!とメッセージをくれた人がいて、「あ、そうか。今日はクリスマスイブだったか。」と思った。

たまに考える。クリスチャンになろうかな、と。
チェコの首都プラハを旅したとき、ある教会の中で、世界各地から来たであろう他の観光客に混じって、装飾的な祭壇をジーっと見ていたら、その教会の神父さんが近づいてきて、「クリスチャンですか?」と聞かれた。
私は「いいえ、仏教徒です。」と、答えたので、神父さんはそれ以上話をせず、離れていった。
他にも観光客はいたのに、なぜ私にだけ聞いたのだろう?

もし、「はい、クリスチャンです」と答えたら、その先、違う展開があっただろうか?と、その時のことをたまに思い出すのだ。


いつかクリスチャンになって、またプラハの教会に行ってみようかな。
プラハではいくつもの教会に行ったので、どの教会だったか実は覚えていないのだが、中に入って内部の装飾を見れば思い出すはず。

そんなことをつらつら考えるクリスマスイブの夜でした。

22 12月, 2015

サバイバルゲーム

私が大好きな番組のひとつに「サバイバルゲーム」というイギリスの番組がある。
英国特殊部隊出身のイケメン冒険家ベア・グリルスが、地球上のあらゆる過酷な地に実際に赴いて、毎回最低限の少ない装備で、遭難から救助までの生き延びる術を見せてくれるディスカバリーチャンネルの番組。
これは、自然と親しむのではなく、過酷な自然の中でどう生き残るかがテーマの番組なので、生き残るためには何でもするサバイバル術が満載。テクニック的にも精神的にも高度な面が多々あるが、とても面白いのだ。

あるときは、砂漠で体温が上がりすぎないために、オシッコで濡らしたTシャツを頭に巻きもするし、オシッコを飲みもする。また、死んだラクダの内臓(かなりの悪臭がするらしい)を取り出して空洞になった腹の中に隠れて砂漠の砂嵐から身を守ったりもする。

またある時は洞窟の中で大きめのカエルを捕獲。「カエルは鶏肉に味が似ています。」とか言いながらカエルを岩壁に打ちつけて死なせ、おもむろにカエルの頭を食いちぎっていた。すげ~!
これも生き残るためだ。
片手にたいまつを持っていたからナイフは持てずに食いちぎったんだろうが、内臓を絞り出すそのりりしいお姿、なぜか憎めない…。

これは決してお笑い芸人によるゲテモノ喰い番組レベルじゃない。生き残るためなら、こんなものでも食べるんだぞ!というシリアスな動機があるわけだが、なぜかモニターの前の平和な状況下で見ている私たちは、つい笑ってしまう…。

ベアはいろんなものを食べているが、スカンク編はかなり笑った。ワナにかかって暴れているスカンクを捕獲するときも相当臭い思いをしていたが、その肉も相当臭いようで「(しかめながら)ウウ…。ステーキ肉に犬のフン(食ったことあるんかー?)を塗り付けたような味です。」とコメントし、さらに食いついていた…。生き残るためだね、ウン。

またある時は「食べられる動物のフンもあります。」と言いながら、森の中で鹿のフンを探して食べていたよ〜。草食動物のフンは食べれるものもあるそうな…。そう、真冬の山で遭難したときのために憶えておこう…。

一番ビックリなのが、水がない場所で動物のフンから水分を摂っていたこともあった時。それは象のフン。排泄されたばかりの象のフンは水分をたくさん含んでいる。彼はおもむろにフンを両手で持ち上げ、ギュッと絞って滴り落ちる水分を口で直接受け止めて飲んだのである。あっぱれ…。これも生き残るためです。
サファリで迷子になったら役に立つね!

そんな過酷な状況下で、ベアが時たま見せる少年のような表情がまたいいのでござる。ベアが手際よく枝や葉でシェルターを作っている時などは、私もそこに行きたくなる。子供の頃に”基地”を作って遊んだことがある昔少年たちにはたまらない番組だろう。
彼はもちろんスゴいが、撮影しながらついていくクルーも相当スゴい。ちゃんと別のスペシャリストがクルーの安全を守りながらの撮影なのだが、メイキングでのクルーのインタビューを聞くと、過酷な撮影にもかかわらず、愚痴をこぼさず、全員がやりがいを感じているようだった。
番組の最初にベアは目的地に大抵ヘリから降下(あるいは落下)するんだけど、その落下していく姿がなんとなく気持ちよさげ。怖い反面、きっと胸をワクワクさせて落ちてゆくのだろう。

ベアが各地に赴く時は、遭難した場合のサバイバルを想定しているためか、最低限の装備しか持たない。その数少ない装備の中でも、毎回必ず持参しているのが、水筒、サバイバルナイフ、火打石(棒状の。ナイフとの摩擦で火花が散るヤツ。)だ。
伊勢神宮に行ったとき、参道に並ぶお店の中に神棚やろうそくなどを売っている神具店の店先に古典的な火打石が置いてあったのを発見した私は、それを目にするなり迷わず買ってしまいました…。
その直後、アマゾンでベアが使っているタイプの火打石やナイフが買えることを知り、ちょっと早まったかと思ったけど…。
欲しいものがあったら、とりあえずアマゾンで検索すべし、ですね…。
次はナイフだな…。

それにしても、どこへ行くにも水筒と火打石とサバイバルナイフを持っていかないと生き残れないだろうか…。
そんなの持って歩いてたら、相当危険な女です…。
とりあえずは、災害用非常袋に装備しておこう~。

ちなみに、生き残るために最も重要な事は、と前置きして彼は、「絶対に生き残るという強い意志だ。信仰心も大切。自分自身、信仰心に何度も助けられた。」と語っていたのが印象的だった。意志の弱い私には大変勉強になる番組である。
インタビュー記事 http://japan.discovery.com/manvswild/interview.html

さあ、ベアに学んで、みんなで生き残ろう!
災害の多い日本にこそ、必要な番組だと思うのですが…。

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●ベアの著書「究極のサバイバルテクニック」---------http://www.amazon.co.jp/%E7%A9%B6%E6%A5%B5%E3%81%AE%E3%82%B5%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%AF%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF-%E3%83%99%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%AB%E3%82%B9/dp/4023312665/ref=pd_sim_14_4?ie=UTF8&dpID=51Js%2B97cMlL&dpSrc=sims&preST=_AC_UL160_SR97%2C160_&refRID=0KPFBDZDZVWNXDPC507E
●ファイヤースターター----------http://www.amazon.co.jp/GERBER-ガーバー-31-000699-ベア・グリルス-ファイヤースターター/dp/B004DT6TEK/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1320674656&sr=8-1
●サバイバルナイフ--------http://www.amazon.co.jp/GERBER-%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC-31-001901-%E3%82%B5%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%95-31001901/dp/B00AU6H3UY/ref=pd_cp_60_2?ie=UTF8&refRID=1BQK6FXR5ME9E35BS8JX

19 12月, 2015

色あわせ

私がネックレスを作るとき、色合いを重視します。
色の違うビーズでネックレスを作る場合、隣り合うビーズの色の響き合いで、ネックレスの印象がちがってくるからです。
自分が思っているイメージに近づくまで、何度でもビーズを入れ替えます。
そういう作業をしていると、作業台の上にはいろんな色の天然石ビーズがたまってきて、それを元の場所に分類して戻すのに時間がかかるため、ついついそのまま一つの箱に一緒くたに入れてしまいます。

それが、いつの間にか作品がいくつかできる程度にたまってしまったので、実家に帰ったときにそれだけ持ち帰り、おおまかに色分類をしてみました。
意図せぬ色の選択の集合体は、ランダムでありながら意外に調和がとれていたりして、「あ、これきれいな組み合わせの色だな。」と新しい発見をすることもあります。

赤系、茶系、紫系、白系、青緑系と分けてみたら、それぞれにネックレスができそうだったので、さっそく茶系からネックレスにしてみました。

例えば、茶系のネックレスをつくるとき、同じ茶色のビーズだけ使うと単調になります。
ヘッドに使う石や、ネックレスに合う洋服も限られたものになってきます。

でも、その茶系の中に、イエローやグレイやワインレッドを混ぜていくと茶系の色合いに深みが出てきて、合わせるヘッドの石や、洋服の選択肢が広がります。
そういうふうに色の混ぜ方で印象が違ってくるので、その作業を色合いが気に入るまで延々と繰り替えすわけです。

作業を重ねていると、合わせやすい石、合わせにくい石、というのがだんだんわかってきます。
作家さんによっても違うと思いますが、私の場合、ガーネット、ラブラドライト、ペリドットなどは他の石に合わせやすい石です。一方、トルコ石は他の石に合わせにくいと感じます。個性が強いのです。トルコ石には、シェル(貝)やボーン(動物の角や骨)、シルバーなどの他の素材のビーズが合います。

色あわせをしていると、人に似ているな、といつも思います。
響きあう色(人)、ケンカする色(人)、引き立てる色(人)…、というぐあいに。
まったく同じ色のビーズが連なったネックレスだけでは面白くありません。
いろんな色が響きあったネックレスが好きです。
どんな色のビーズにも、かならず調和する違う色のビーズがあります。
人も同じです。ただ、色数が増えれば、そこに調和をもたらすには時間と工夫とイマジネーションが必要になってきます。

調和(平和)を獲得するには、時間がかかります。

18 12月, 2015

墓場まで持っていく話

10日ほど前のこと、親しくなったアクセサリーのお客様2人と私との3人で立ち話をしていたとき、どういう話の流れだったか、人には恥ずかしくてとても言えない”墓場まで持っていく話”があるか、という話になった。
3人とも「あるよ~、あるある。」と、意見の一致をみた。
Aさんが「オーバリー、それどんな話?」と言うので、「それ、ここで話したら、墓場まで持っていく話にならないじゃん。」と言うと、Aさんが今度はBさんに「どんな話?」と話を振ったら、Bさんが「私さあ~…。」と、意外にすんなり話し始めた。

墓場まで持っていきたいくらい恥ずかしいだけあって、聞いてる方は笑える。
Bさんが話し終えると、今度はBさんがAさんに「どんな話?」とバトンを渡すように言った。
そしてAさんも抵抗なく話始めた。
Aさんの話はBさんよりもさらに爆笑度が高く、話してる本人さえも一緒に笑っていた。

Bさん、Aさんときたら、私だけ話さないわけにはいかなくなった。
それに、BさんとAさんの話を聞いていたら、自分のも彼女たちと同じ程度で、ここでひた隠しにするほどでもないか、と思えた。
私が話し終えると、Aさんに「私ほど墓場に持っていく感じじゃないじゃん。」と、言われ、そうか~、人によって受け取り方は違うのね、と思った。

で、安心した私は、今度は笑いをとってやろうと思い、「人には言えるけど割りと恥ずかしい話、他にもあるよ。」と前置きして、別の話をした。

もう15年以上前のある日のこと。その頃、カゼをひいてしょっちゅう鼻をかんでいたせいか、強く鼻をかむと鼻血が出やすい時期があったのだが、その日は、ちょっと全身に力を入れなくてはいけないことがあって、グッと力んだ瞬間、また鼻血が出たのだ。しかも両穴から…。
あれれ~、と思いながら、いつものように鼻の両穴に丸めたティシュを詰め込んだ。

そのとき、「オオバさ~ん、宅急便でーす!」と玄関のドア越しに声が聞こえた。
そのひと声で、私はまるで催眠術にでもかかったかのように、ティッシュを鼻に詰めていることなど一瞬にして忘れてしまったのだ。
私は「は~い!」と元気よく返事して、元気よくドアを開けたのだが、いつもはおじさんが来るのに、その日に限って若い男性がしかも二人組みで来ていたのだ。
おっ、しかも一人はイケメンだ、と心の中で思いながら、伝票にサインをした。
そのときも、まだティッシュのことなど忘れたままだ。

荷物を部屋に運びいれ、ホッと一息入れたとき、壁に立てかけた姿見に映った自分が見えた。
そこには鼻から2つのティッシュの固まりがのぞいている自分がいた…。

一瞬にして催眠術が解け、そこからは頭をかきむしりたくなるほどの自己嫌悪タイムが始まったことは言うまでもない。

という話をしたら、AさんもBさんも大笑いしていたが、Aさんが「さっきの話より、それの方が墓場に持っていきたい話じゃん!」と言った。

え?そうなの?これ、何度となくひとに話してきたことだけど~、そんなに恥ずかしかった?


と言うワケで、今これを読んでいる皆さんは、ご自分の墓場まで持っていきたい話を、頭に思い浮かべていることでしょう…。でしょ?

16 12月, 2015

又吉直樹 「第2図書係補佐」

私は、美大に入る前に1年浪人した。
福岡の繁華街・天神から歩いてすぐの予備校の日本画科コースに通った。
その年の日本画コースの生徒は私を入れて4人しかいなかった。男子2人に女子2人である。
3ヶ月くらいたったある日、女子のTさんが、今ならやっと言える、という感じでこう言った。
「初めてオオバちゃんとここで会ったとき、この人と1年間どうやってつきあっていこうか、って思ったくらい、オオバちゃん暗かったよ。」と言われた。
暗かった、って言えるってことは、今は暗いとは思ってないから言えるんだろうけど、一年の始まりに人様にそんな不安感を与えたのかと思うと、本気で暗くなりそうだった。

その後、東京の美大にやっと入って、伯母の影響で以前から好きだった山歩きをした。今と違って当時は、山歩きは女子が口にだして自慢できる趣味ではなかった。
親しくなった友人に「一人で高尾山にの登りに行ってる」と言うと、「一人で山歩きなんて、暗いね」とハッキリ言われた。そう言われて、また暗くなりそうだった。

実際のところ、私は決して明るくないし、私自身、天真爛漫な明るい人になりたいとも思ってないし、上記の暗い(?)思い出も嫌いじゃない。
今は、人からどう思われているか、確認作業をしたことはないのでわからないが、親しい友人は私を暗いとは思ってないようではある。

「第2図書係補佐」を読んでいると、そういう自分の青春時代の暗い面を、嫌悪感ではなく、何か親しみのある懐かしさのようなものを伴って思い出す。
一時期、キャピキャピとかいう形容詞がはやったことがあったが、我輩の辞書にはキャピキャピはなかった。今、もう一度青春時代をやり直すとしても、キャピキャピは絶対ないだろう。

昨日東京から福岡空港に着いて、カフェで一服したあと、カフェの隣の本屋で表紙の写真を見て、ジャケ買いとでも申しますか、好みの風貌(変?)だったので、なんとなく手に取っただけの本だったけど、読み始めて数分でクスっと笑ってしまった。
私は、ピース又吉のお笑いは見たことないけど、これを読んでファンになってしまった。
一応、古今東西の本の紹介の形はとってあるけど、本の紹介はほとんどしてなくて、又吉直樹の青春の思い出が詰まっている。思い出だろうけど、今の又吉直樹もそのままなんだろうと想像する。
そして、どれもちょっと可笑しい。

一冊の本に対して3ページの文章のうち、本の紹介は最後の数行だけだし、一見本と関係ないエッセイなんだけど、紹介されている本を読んでみようかな、と思えるから不思議だ。
本屋では近寄りもしないコーナーにありそうな本であっても、又吉直樹がススメてくれたら、手にとってみたくなるんじゃないかと思うような、不思議な力を持ってる人だ。

第2図書係補佐
又吉 直樹
 

12 12月, 2015

色に癒される

山手線の目白駅と池袋駅の中間地点あたりに、ポポタムというブックギャラリーがあります。
本はイラストなど美術系中心で、便せんやポストカードなどの雑貨もあります。
目白の友人の部屋に寄ったついでに、ポポタムに寄ってみました。

奥のギャラリーで何かやってるな〜、と思って、ギャラリーに足を踏み入れた途端、私は壁にかかった絵の色彩に心を奪われました。
その絵の作者は、横山大河さん。

案内状とカタログ。
残念ながら、印刷物では、彼の作品の良さは
伝わりにくい。是非とも、作品の前に立って
見つめてほしい作品たちです。
小さいものは18㎝×14㎝、大きいものは160㎝×120㎝という大小様々の額装されていないパネルが白い壁に並んでいます。
一見、繊細な日本画に見えたその全ての作品が、なんと色鉛筆だけで描かれていました。

作品から離れて見ると、樹木や風景などの具象的な形が見えて、思い切り近づいて見ると色鉛筆の粒子と粒子の重なりが心地良い抽象画に見えてきます。色は粒子であり、その粒子は常にゆらいでいるんだな、と思える作品たちでした。

願わくば、ギャラリーに一泊して、虫眼鏡を片手に、作品に近づいたり離れたりしながら、この夢のワンシーンのような色の重なりをいつまでも見ていたい、と思いながら会場をあとにしました。





横山大河さんのホームページ:http://yokoyama-taiga.sakura.ne.jp/
ギャラリーポポタム:http://popotame.net/

ギャラリー・ポポタムでの横山さんの展示会は12月14日(火)まで。
横山さんは、私のささいな質問にも気さくに答えてくれて、その絵の雰囲気そのままの、やさしいお人柄の男性でした。

10 12月, 2015

映画「007〜スペクター」

今週のロードショー/キネマ大羽

映画に感動すると、それがロードショーだった場合、私は映画館を出てから帰宅して就寝するまで、夢見心地でいられる。
前作「スカイフォール」が、あまりにも良かったし、シリーズでは珍しく前作から続投の監督だし、期待してしまった。

何事もそうだと思うが、人を動かすのは、書いて字のごとく「動機」だ。
そして、人間の持つその動機は大きく二つに分かれている。
「愛すること、愛されることからくる喜び」と「愛されなかった(もしくは、そう思い込む)ことから来る恐怖と怒り」だ。
歴史の中の独裁者たち、刑務所で服役する犯罪者たち、現在お騒がせ中の安倍首相だって、また家族などの身内であっても、「なんでこんなことするのよ!?」と思うことをする人たちは、なんとなくそれをやるわけじゃない。遠い過去に、もしくは今その人の心の陰に強い動機があるはずなのだ。

前作「スカイフォール」では、その動機が痛いほど伝わって来て、ボンドと敵のシルヴァとの闘いが、あ・うんの呼吸にさえ感じられた。
だがしかし、今回の「スペクター」では、その強い動機が終盤まで見えてこなかったのだ。
こんだけのことするんだから、なんか強〜い恨みがあるんだよね?と思いながら、次のシーンでは納得させてくれるだろうと2時間以上待って待って待った、という感じ。
まあ最後には動機はわかるんだが、単純に言えば、黒幕オーペルハウザーの”少年期の愛情不足”。それも本人がそう思い込んでるだけでほんとは違ったんじゃねえの?と思えるほどの説明不足で、私は欲求不満になってしまった。


それから、今回ボンドを追いつめて行くオーペルハウザーの手下が、拳銃とか道具使うのが下手そうな力任せのプロレスラーみたいなヤツで、ちょっと前時代的すぎ。ボンドとの格闘シーンが美しくなくて、早く次のシーンに行ってくれ〜、と思いながら見ていた。

ボンド演じるダニエル・クレイグは、ボンド役を降りたがってるらしいが、次回もこんなシナリオじゃ降りたいだろうな、って思うし、降りればいい。
もしかしたら、「スカイフォール」で、ジュディ・デンチのM(ボンドの上司)が死んだとき、ダニエル・クレイグのボンドも精神的に一緒に死んだのかもしれない。

思うに、ボンドはスパイなんだから、もっと本来のスパイらしい心理戦とか、スパイ活動がバレたらどうしよう?的なドキドキするよなヒッチコック張りの諜報活動をしていただきたい。
爆発やアクションの派手さで前作を凌ぐのではなく、心理戦の秀逸なシナリオを用意すれば、ダニエル・クレイグも続投してくれるのではないかしらん?

前作「スカイフォール」をまだ見てないひとは、幸いです。先に、「スペクター」を見てから、「スカイフォール」を見るとよろし。
ダニエル・クレイグ版007を全部見るなら、「慰めの報酬」→「スペクター」→「カジノロワイヤル」→「スカイフォール」の順番で見ることを私はおススメします。

07 12月, 2015

今日、嬉しかったこと

今日は、府中アートマンでのアクセサリー販売の最終日でした。
そして、ちょっと印象的な初めてのお客様と出会いました。

私はお客様に話しかけるのが苦手で、初めてのお客様がテーブルの前にいらっしゃると、「どのタイミングで話しかけようか、話しかけたら逃げるかな?、今か?いや、もちょっと後か?」とグルグル考えすぎて、結局話しかけられず…みたいなことが多々あります。

今日のそのお客様は熱心に作品を見てくださってました。
ちょっとだけ話しかけて、逃げる気配がなく(笑)、ある1点を集中的に見てらしたので、「興味のあるものがおありでしたか?」と聞きました。
その方は、濃いオレンジ色のカーネリアンのペンダントを指差しながら、「私、アクセサリーなんてほとんどしたことがなくて、したことがあるのは北海道で買ったアイヌの木彫りのペンダントだけなんですよ。普段、興味もないんですけど、これキレイですね。」とおっしゃるので、押し売りしませんから、と前置きして試着をおすすめしました。
グレーっぽいセーターの胸元に、ポッとオレンジ色の花が咲いたようで、お似合いでした。

とても気にいられたご様子でしたが、あまり手持ちがないので次回また、という雰囲気でした。が、その場にまだとどまってらっしゃいました。
そして、また雑談などしているうちに、意を決したように「これ、いただきます。」と言われました。

こんな例えは変かもしれませんが、なんと言うか、そのお客様にとって私(のアクセサリー)が初めての恋人になったような気分でした。
笑顔がとてもかわいい方でした。
アクセサリーが、身につける人の魅力を引き出す瞬間を垣間みたようなひとときでした。

お客様は嬉しそうに帰っていかれました。
私も嬉しかったです。

06 12月, 2015

ポルーニン♥

今の私のお目めの保養は、実際の舞台を見た事はないけど機会とお金があれば大枚はたいてでも是非見に行きたいバレエ界の異端のプリンス、セルゲイ・ポルーニン。

美しい肉体の背中や腹や手に入れ墨をしていることでも有名です。舞台では、必要に応じてメイクで隠してらっしゃいますが…。

ウクライナの片田舎の貧しい家庭に生まれ、13歳で英国に渡って研鑽を積み、見事英国ロイヤルバレエ団の史上最年少プリンシパルになりながらも、人気絶頂のときにドタキャン同然に公演初日の一週間前にお騒がせ退団表明したことでも有名です。
そして、現在はロシアに。



今、私のパソコンの壁紙はポルーニン。
Youtubeでお気に入り画面のところで静止画像にして、スクリーンショットを撮って、それを壁紙に。ポルーニンにいつも私の散らかったお部屋を見られてます。恥ずかしいワ。
アートマンの出店が終わったら、お掃除します。

●お美しいです…VOGUEロシア版の撮影メイキング:
         https://www.youtube.com/watch?v=mGc0_A4fsu4

●ホージアの「Take Me Church」とのコラボ:
         https://www.youtube.com/watch?v=FH8BYfsot4o

●こんな庭師が居たらいいのに:
         https://www.youtube.com/watch?v=Za8pDKVui0Y

●おっ、ボリショイバレエ団の映画を来年までやってるみたいだ。
http://bolshoi-cinema.jp/
でも、残念、ポルーニンが出てる演目「ジゼル」の上映は11月で終わっているぅ〜。
映画・ボリショイバレエinシネマの予告編(かっこいい〜):
https://www.youtube.com/watch?v=996PYNObKRk
フルバージョン:https://www.youtube.com/watch?v=r0S7pXylIjo
しかし、全演目1回ずつの上映(今後は12月16日、来年1月13日、2月17日、4月20日いずれも19:30からの1回きりの上映)なんて、いまからチケット手に入るんかいな?
とりあえず、サイトチェックしてみよう…。
あ、チケットまだありそう…。

04 12月, 2015

救いの言葉

二十年くらい前に、ひどく悲しい経験をした。
そのときは毎日、この世から消えてしまいたいと思っていた。
電車に乗っていても、「この車両で一番悲しいのは私…。」なんて思ったりもした。

そんな時、仕事をもらっていたとある事務所で、同じように外部から仕事をとりにくる男性と顔を合わせることがあって、挨拶程度しか言葉をかわさないくらいの人だったけど、その人とはじめてお茶を飲む機会があった。
その人からちょっとした仕事を依頼され、その仕事を納品して、お茶をご馳走になったと記憶する。
20歳くらいは年上で、やさしい感じのおじさんだった。

かなり落ち込んで元気のないときだったので、お茶を飲みながらの雑談のなかで、その悲しい出来事をその人に打ち明けた。
親しくもない人に、なぜプライベートな話をしたのか、そのときの話の流れは何もかも忘れてしまっている。
その人の口から出た言葉以外は…。

その人は、私の話をだまって聞いていたけれど、私が話し終わったとき、ひと言こう言った。

「悲劇のヒロインになってない?」と。
 
illustrated by obarie
一瞬、わが耳を疑った。
えっ?なんて…?

そして次の瞬間、腹がたった。
私は、何か言い返したのかどうかも覚えてない。
もう、その言葉以外は。

慰めてくれるとばかり思っていたのに、なんで?
なんでそんなこと言われなきゃいけないんだよー!?
と、心がざわめきだった感覚だけは思い出せる。

その人とは、それ以来会ってない。
事務所に行っても、その人と出会う機会はなかった。




人生には不思議なことがあるものだと思う。
あることを伝えるためだけに遣わされる人が居るのだと、今は思う。
その人が、そうだから。

私は、あの言葉で目が覚めた。ビンタを一発喰らったような感じで。
それまでは慰めてくれる友人もいたが、悲しさにはまりこんでいる私には、どんな慰めの言葉も上滑りして、心のなかに入ってこなかった。
あの言葉は、思い切り私の心に突き刺さって、でも結果的には私を救い出してくれた。

仕事上のつきあいだけなら、あたりさわりない慰めの言葉をかけていればいいものを、そんな言葉をかけてくれるなんて、人間業ではない気がするのだ。

今も、時々悲しみにはまりこもうとするときがあるけれど、そのたびに「悲劇のヒロインになってない?」と、どこからか声が聞こえてくる。

03 12月, 2015

関田さんの鍋

10年くらい前に、立川の石田倉庫でのアートイベントを訪ねたとき、ひと目惚れして買ったミルクパン。カップ3杯分くらいのチャイが作れるくらいの大きさ。握り手のカーブと、思わず両手の平で持ちたくなるような丸みに魅かれた。会場には作家さんがいて、本人から買ったけど、10年もたった今では顔も名前も忘れていた。

ベースは銅鍋で、当時は錫(スズ)がひかれて銀色に光っていた。じゃ、なぜ今は光ってないのかと申しますと、何回か空焚きして、何回か黒こげにして、融点温度の低いスズが溶けて下にたまったりして、こんなになっちゃったのだ。
溶けたスズでボコボコになった鍋肌にミルクがはまり込んで洗いにくいから、さすがにミルクを温めることはできないのだが、銅鍋だから水がすぐ沸いて、卵やジャガイモを茹でるのにとても重宝している。


話しは変わって、去年うちの近くにオープンしたギャラリー・ラマパコスを3度目に訪れた時、オーナーの男性が店番してた。
彼が金属の物作りをしてるのは少し前に聞いていたので、普段どんな作品を作ってるのかを尋ねたら、彼はカタログを取り出して見せてくれた。
で、ページをめくったら、私のミルクパンとよく似たミルクパンが載ってるじゃないですか。私の黒こげの愛しい鍋の作者が目の前に偶然居たのでした。
ここで会ったが100年目、じゃなくて10年目だったわけですが、「もしかして立川の倉庫に居ました?私、これ10年前に買いましたよー。」と言って、私も彼も驚いた、というわけ。彼の名前は関田孝将さん。ステキな金属のものをスプーンから家具まで、何でも作ってる。
黒こげの件を話したら、スズの引き直しができるそうで、「今度、鍋を持って来てくださいね。」と言ってくれた。

関田さんのステキな作品はコチラ→ http://sekita-w.com/kitc.html

その日の夕方、早速鍋を持ってギャラリーに行ったら、今度は奥様が店番してて、鍋のことを言うと「主人に聞きましたー。」との返事。
鍋を見た奥様は「うわ〜、彼が駆け出しの頃の初期の作品だ〜!」と懐かしさと驚きがまじったような声をあげた。そして、うっすら目に涙を浮かべている。本当に感激していたようだった。当時の記憶が一瞬にしてよみがえったのかもしれない。

彼女は「いや〜、愛しいですね、このカタチ。今はこの形は作ってないんですよー。今のミルクパン、見ました?」と言いながら、奥の台所に一瞬消えて、今のミルクパンを抱えて出てきた。
今のミルクパンは、握り手も胴体も直線のすっきりとした形で洗練されていた。
「今は鍋の注文が増えたんですが、今の形の方が好まれて…。本人は、ひとつひとつ全部違う形のものを作りたいみたいなんですけど。10年前のを見ると、今のはきれいすぎますよね。」と、物作りをする人なら必ず通る”道”みたいなものを垣間みた。

スズが引き直されて、また私のところに戻ってくる日が楽しみだ。

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上記は去年書いて、下書きに保存したままアップするのを忘れていた記事。

で、鍋はきれいになって戻ってきたのに、また空焚きを何回かして、この一年半の間にまた内側の錫が溶けて、写真のようになっちゃった。
またスズの引きなおしをお願いに行こう~っと。
ちょっと恥ずかしいけど…。

01 12月, 2015

12月のアートマン

今日1日から7日までの一週間、府中アートマン2階で出店しております。
お近くにお越しの際は、お立ち寄りくださいませ。

もう12月なんですね。
会う人ごとに同じセリフを言ってます。
時は駆け足で過ぎて行く…。

一方、天然石はゆっくりとした時間をかけてできたものです。例えば、天然の水晶はできるまでに、数年から数百年の間、と言われていて、かなりの幅があります。
場所や温度などの環境で違ってくるようです。



私たちは、結果を早く望みますが、大自然の持つ悠久の時の流れにも憧れます。
人間はわがままです…。