04 7月, 2011

ある介護の風景

東急沿線のとある駅から妹と妹の友人宅を目指していたときのこと。
通りに面して建つ商店のように、道からいきなり全面ガラス戸のお宅がありました。
室内はもろ見え、というか見せてるかのようにカーテンも引かず、遮光フィルムも何も
ないのです。自然と室内に目が行きました。オフホワイトの室内にはオフホワイトの
ベッドがガラス戸のそばにあり、寝具もオフホワイト。そこに老人が眠っています。
奥で息子さんと思われる男性がこちらに背を向けて洗い物をしていました。
一瞬、何かの展示場?と思いたくなるような、とてもきれいな病室のような室内でした。
不思議な光景でした。ガラス戸一枚隔てて、すぐそこに老人が眠っているのですから。

妹の友人に聞いたら、彼は いつもそこで寝たきりの母親に付き添っているのだとか…。
彼が、母親の顔に頬を寄せて、夕焼けの空を一緒に眺めていたこともあったそうです。
その状態は自然と通りを見る角度でもあります。
母親を介護する姿をデモンストレーションのように見せて、何も臆する事のないこの
男性の真意はわかりませんが、開かれた介護という意味では、介護の理想の姿かもし
れません。カーテンも引かず、介護のすべてを見せてはいるのですが、でも、通りと
室内を隔てるその透明なガラスを越えがたい何かがあるようにも感じました。
それは、私たちにはこんなふうにはできない、という私たちの思いなのかもしれません。
彼も最初からこんな介護をしていたわけではないでしょう。きっと、精神的に七転八倒
しながら、ここに到達したのかもしれません。

私の母は要介護状態で、普段は父が老老介護で
面倒みてますが、もし私が母の面倒を毎日見なく
ちゃならなくなっても、その男性のような介護は
ゼッタイできない…。介護でストレスを感じるの
は、私の場合(妹も)母とのコミュニケーション
です。たまに下の世話をしますが、これは、手順
さえ飲み込めばたいして苦にはなりません。
きれいに手際よく始末できたときは快感でさえあります。でも、気持ちが通じないのは苦痛です。めちゃくちゃ頑固で時々頭にきます。
父もストレスがたまってるのでしょう、私の些細な言葉が何か触れるべからずなところに
触れたのか昨日は父から一方的に怒鳴られました。涙でたよ。今回はそろそろ潮時かな。
東京に戻ろうかな…。