29 5月, 2012

映画「ラースと、その彼女」

〜今週の名画座・キネマ大羽〜

ちょっとトボけた間が日本映画のようでもあるアメリカ映画「ラースと、その彼女」は、ちょっとひねていた私のココロをもみほぐしてくれた。

ちゃんと会社にお勤めはしてるけど、たったひとりの肉親である兄も含めてひととの関係を築くのが苦手なラース。気のいい兄嫁に食事に呼ばれてもチョー気まずくて話しもできない始末。会社や教会でもシャイ過ぎて浮いている。
そんなラースがある日、自分から兄嫁に話しをしに来る。「今、お客さんが来てる。彼女、遠くから来たんだ。」
えぇ〜?!かのじょ〜?急いで食事の支度するからねー!と張り切る兄嫁。
そして彼女とご対面。なんと彼女は等身大の人形だった…。兄夫婦はパニクりながらも、ラースに調子を合わせてその場をしのぐが…。

町の人たちもとまどいながらも、ラースとその彼女を受け入れていく。時には彼女だけが町の人から狩り出されていくこともあって、笑ってしまうほど自然なカップルになっていく。でも、それは、幼い頃に傷ついて自分を閉じ込め、ひととの関係が築けずにいたラースの再生の日々でもあったのだ。

ほのぼのとした気持ちで見れるいい映画だなー、と思って見ているうちに、ラースの気持ちに共感して不覚にも泣いてしまった。毎週、ラースと話しをするドクターもいい感じだ。美容室のおばさんも、用品店のおねえさんも、ご近所さんも同僚もみんなやさしい。受け入れて見守ることが、再生へのひとつのアプローチなのかもしれない。今、引っ越しを考えてるけど、ラースの住む町に引っ越したいと思うくらいだ。

病み上がりのからだにぴったりの、これまたオーバリーお気に入りの一作。星5つ半。

26 5月, 2012

風邪ひきさん

風邪をひいて、約一週間部屋にこもっていた。
4日間の間に夜行バスに2回乗った疲れと、それまでの日々の精神的な疲れと、帰京してからすぐ参加した炎天下のフリマの疲れで免疫がガタ落ちして、風邪という形で襲ってきたみたいだ。
10日程前に朝、起きたら背骨の一部がひどく痛くて特定の動作ができなかった。その時気づいていればよかったんだけど、単なる寝違えだと思っていた。

数年前に母が背骨を痛めたことがあって、最初は圧迫骨折だと診断されていたのが、病院を変えたら、母が以前患った帯状疱疹のウイルス(これは体から無くなることはないらしい)が背骨の神経に巣食って炎症を起こしたものだということがわかった、ということがあったので、母娘だから体質も似てるだろうし、去年帯状疱疹かかったし、ヤバイかな、とちょっと思っていたのだ。でもそれが、風邪になって現れるとは思わなかった。

最初、倦怠感と咳から始まり、高熱、頭痛と進んだ。幸い食欲はあったけど、台所に立っていくのもツラくて何もできなかったので、殺菌力と酵素を持つことで有名なマヌカ蜂蜜を持っていたのを思い出し、それを時々なめて水分補給にはお湯を飲んで、をまる一日繰り返した。
夜になって急に汗をかきはじめたので、熱が上がってきたのがわかった。動けなかったので体温計を取り出すこともできなかったけど、今までの経験では私が熱で汗を出すときはだいたい38度以上になる。
不思議なことに、熱が出て発汗がおさまった後、立ち上がったら、背骨の痛みが消えていた…。背骨の痛みは神経に巣食ったウイルスだったのだろうか。(ネットで調べてみると普通の風邪菌は38.5度で死滅するのだそうだ。だから人間は風邪をひくと自己免疫力が働いて発熱する。

こんどから背中に痛みを感じたら、からだからの警告だと思うことにしよう。他にも、蕁麻疹やむくみなども私の健康のバロメーターになっている、早めに気づいて、早めに休息よね…。

今、今週末からの府中アートマンでのアクセサリー販売のための制作追い込みダーッ!
illustrated  by  obarie

23 5月, 2012

アンティークボタンを使って

アンティークボタンを使ったアクセサリーのオーダーをいただいているのですが、そのうちのネックレスとチョーカーができました。イヤリングもオーダーいただいているのですが、ボタンと金具の接合に問題があり、試行錯誤中。

ネックレスとチョーカーはご依頼主にお見せしたところ、大変気に入っていただいてます。さて、イヤリングもうまくいきますように…。



20 5月, 2012

映画「ぼくのエリ」

〜今週の名画座キネマ大羽〜

最近、欧米でバンパイアもののテレビドラマが何本か制作されている。時を超えるファンタスティック性と、バンパイアと人間がどんなに愛し合ってもなくなることのない悲劇性がひとを惹き付けるのだろうか。究極の愛を表現するにはぴったりの素材なんだろうね。

今までバンパイアというと大人の話しばかりだったけど、スウェーデン映画「ぼくのエリ」の主人公は12歳の少年と少女(正確には少女ではないんだが…)。
少年オスカーはいじめられっ子。ある夜、エリが父親らしき男とオスカーの隣りに引っ越してくる。夜の公園で二人の逢瀬が始まる。いじめられて傷つくオスカーを励ますエリ。間もなく謎の殺人事件が起きはじめて…。

オスカーはひたすらカワイー♥くて、エリは12歳なのに老婆のような表情を見せることがある。エリに出会って、生まれて初めて誰かに自分を受け入れられたと感じるオスカー。絶望と哀しみをムーンストーンのような灰色の瞳にたたえるエリ。そんなエリがバンパイアだとわかっても、オスカーは恐れずに受け入れていく。やがてふたりはお互いに離れられない存在となり…。
ちょっと人間離れしたお顔(バンパイアじゃけんのぉ)の血まみれエリが美しい。

登場人物たちは、皆それぞれが孤独だ。エリもオスカーも、オスカーの両親やエリに仕えるホーカンも。孤独だからこそ愛し合うのかもしれないが、愛しても愛しても彼らにはいつまでも孤独がつきまとう。
そしてオスカーがイジメに遭うプールでエリに助けられるとき、哀しみの混ざった安堵感に包まれる。逃避行の始まりを思わせる、わたくし大好きな穏やかなラストシーンは、ある意味とても残酷な未来へのプロローグのようにも見える。せめて、この穏やかな時間が少しでも長く続きますように、と願わずにはいられなかった。

音楽も秀逸。切なくて美しい旋律。サウンドトラック盤買いやした…。今度、泣きたいときはコレ聴きながら泣くわ〜。
メインテーマ:http://www.youtube.com/watch?v=alE6irPWuNo&feature=related

ちなみに本作はハリウッドで「モールス」というタイトルでリメイクされ、ホラーの王様スティーブン・キングから絶賛された。今度はそちらも見てみよう…。
http://www.youtube.com/watch?v=EclCLqV_cDU&feature=fvsr

妙齢女子にとっては、”時”というのは残酷よね、てなことはよくあるけれど、でも一方で”時”がない永遠の世界も残酷なのだ、とバンパイアは教えてくれる。
時の中に生きても残酷、永遠に生きても残酷。そーよ、愛は残酷なのよ。その残酷をどんだけ受け入れられるかがなのヨー!
オーバリーお気に入りの一作。星5つ。(ツタヤで旧作になるので、1週間100円でござった)
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注)バンパイアが「ねえ、入れて」と玄関先に来ても、「入りなよ」って言ってはいけません。言わなければ大丈夫…。招かれないまま入ると、パンパイアは苦しむのです。不思議ですね。
でも、人間同志も同じよね。招かれなければ、ひとの心の中へは入れないんだもの。

17 5月, 2012

楽しい手づくり”ハメ殺しアミ戸”

実家の九州から東京へ向かう途中、尾道に引っ越した友人Kちゃんちに再び立ち寄った。
「お部屋のインテリアを布でいろいろ工夫したいの〜。リエちゃんも手伝って〜。」と、アジアの美しい布のコレクションによる内装の夢を語るKちゃんをさえぎって「それより網戸が先じゃ〜!!」と、早速蚊に刺された私は声を上げた。

彼女が借りたのは、尾道の市街地を見下ろす山の中腹の古い一軒家で、アミ戸が一枚もない。エアコンはないから夏は窓を開け放つ。しかも彼女の家のすぐそばの空き地には、ボーフラが大量発生しそうな濁った水がたまった風呂桶が放置されている。う〜、見るからにキケンだ!
私は蚊に刺されながらインテリアを考えるなんて考えられな〜い!…というわけで、これからの季節、開け放しておくであろう3枚の窓の寸法を計って、ホームセンターに手づくりアミ戸の材料買い出しに出かけた。
過去にも、とある編集部でハメ殺しアミ戸を作った私は、そのときの作業を思い出し、大工仕事どしろーと女二人でも、簡単に作りやすくするにはどーすればいいか考えて、買う材料を書き出した。

車のない私たちが尾道でホームセンターに買物に行くには、尾道駅すぐそばの船着き場からほんの150mくらい船に乗った先にある向島という島に行くのがいちばん近い。不思議な感じだけど…。そして、必要寸法に切ってもらった角材などを小脇に抱えて、また渡し船で帰ってきた。
買ったものは、角材、釘、木工用連結金具、木工用ホチキス、寒冷紗。網戸3枚分で約8000円の材料費なり。制作時間、二人がかりで実質2時間半。

こんなに白くて美しい蛾も…。
アメリカシロヒトリという蛾で幼虫は
多くの樹木に害を及ぼす。
まず角材を木枠に組んで、角材の接合部分は金具に釘打って。木枠が出来たら、木工用ホチキスでアミを張っていくだけ。チョー簡単。

寒冷紗は、糸から繊維のケバが出ているので、従来の網戸用のアミと比べたら、風の通りは少々悪いかもしれないが、ご覧の通り(写真上)見た目が涼しげ。Kちゃんのメールによれば、風は程よく入ってるらしい。Kちゃんは、何よりも部屋の灯りに寄って来る蛾が入ってこなくなるのが嬉しい、と自作アミ戸にご満悦。

アミ戸の完成後、軽く汗を流して、尾道ラーメンをKちゃんにゴチになって、一路東京へ向かったオーバリーでした。

15 5月, 2012

あくびする家

あくびのようでもあり、オーイ!って言ってるみたいにも見える。これがどこの写真なのか記憶が定かじゃないですが、パリの古い貴族の館を利用した美術館ではなかったでしょうか〜、たぶん…。
ユニコーンの美しい大きなタペストリーが有名な…、たぶん…。
ブログに使いたい写真として、ファイルの中に無造作に放り込んでそのままにしていたわー。

13 5月, 2012

心やさしきTくん

3才半になる友達の子、Tくんには幽霊が見えるらしい。お寺やお墓のそばを通るとき泣きだして、通りすぎると泣きやむ、ということが度々あったそうだ。通ってる保育園の先生にも「Tくん、見えるみたいですね。」と言われたらしい。

ある日、友達がTくんを連れて、あるマンションの前を通りがかったとき、Tくんがマンションの方を指差して、「おじいさんが泣いてる」と言ったという。Tくんが指差す方を見ても誰もいない。彼女が「誰もいないよ。」と、そのまま通り過ぎようとすると、Tくんは「おじいさんが泣いてるよ~」と言って、マンションのエレベーターのところに彼女を引っ張って行こうとするので、彼女は仕方なくTくんと誰もいないマンションのエレベーターのとこまで行ったそうだ。すると、Tくんには見えているのか、「泣かないで。ねえ~、泣かないで。」としきりと声をかけていたのだという。しばらく彼女はTくんにつきあっていたものの、ちょっと気味が悪くなってきて、Tくんを促し、その場を離れたらしいが、Tくんは最後まで、「おじいさん泣かないで。がんばって。泣かないでね。」と励ましていたそうだ。やさしいね、Tくん。

12 5月, 2012

4日前、久々に父とひと悶着あった。というか、私の何気ないひと言にマジ切れして一方的に罵詈雑言で車の中で怒鳴られ続けた。小学生の時から、何度も繰り返された光景だ。当時は父の足も手も出ていた恐怖の時間がよみがえる。
私が運転していたので、一瞬、急発進と急ブレーキしたろかワレ~、と思ったが、涙があふれてきて止まらなくなった。夕食の支度の時間だったので、帰宅したら父と母の夕食分を作ってすぐ、自転車に乗ってプチ家出した。こんなとき、(特に夜は)逃げ込める場所が実家周辺にはない。人心地つけるよな喫茶店もない。人口10万を越える市なのに映画館もない(原発マネーはあるけどね)。海はあるけど、外灯がないから夜は怖い。サイテー!好かん!こやんか(こんな)街!こやんか私!と思いながら、泣きながら自転車で走った。
走っていたらTSUTAYAに行き着いた。夜中の1時まで開いてるから、しばらく居られる。見たい映画を探しまくっちゃる~、と思い、自転車とめて入店。TSUTAYAのカード持ってないので、泣きはらした顔のまま、まずはカウンターに行って入会手続き。
映画を探してる間も涙は止まらず、妹やたまたま電話してきた叔母と泣きながら携帯で話して、3時間近くTSUTAYAに居た。
映画のケース片手に泣きながら電話して、棚の間を行ったり来たりする怪しい女が店の防犯カメラに3時間近くも写っていただろーに、と思うと今は可笑しいけど…。
0時前に家に帰った。すぐ風呂に入ってまた泣いた。寝床についても涙は止まらなかった。泣きすぎて頭痛がしていた。
翌朝、起きてもまだ泣けた。昼になっても、涙が出る。目の周りが腫れてすごいことになっていた。午後、家に私ひとりきりになってから借りてきた映画を見始めてやっと落ち着いた。でも完全に涙が乾くまで1日半かかった。
何年分泣いただろう。ここしばらく泣きたい出来事はあっても涙は出なかったのに…。

06 5月, 2012

雨のGW

こんなに雨の多いGWはめずらしい。

大雨、落雷、竜巻、雹(ひょう)、と

天候が荒れている。

私の人生の天気も荒れ模様。

晴れ間が待ち遠しいナ。

そして、晴れて澄んだ青空に

赤い風船を高く高く飛ばしたい。

05 5月, 2012

早朝の空港で

朝5時半過ぎに羽田空港に着いて、チェックインを済ませ、ふと見上げたら、美しいモノクロの写真の看板が目にとまった。誰の写真だろう。
写真家の名はMichael Kennaと書いてある。イギリス人写真家マイケル・ケンナ

ヘェ~、こんなに美しいモノクロ写真を撮る人がいるのねー、とちょっと見とれる。
全部、日本の風景みたいだけど、この世の風景じゃないみたい…。写真家のメッセージも添えてある 。

"わたしの思いと祈りが、日本とこの震災に遭われた日本の全ての人々に届きますように。そして、気品、勇気、強さがあなたたちを未来に導きますように。"
Michael Kennaオフィシャルサイト:http://www.michaelkenna.net/
彼が北海道を撮ると、こうなる…。美しい…。
彼の写真の独特な雰囲気は、夜から夜明けにかけての10時間にも及ぶ露光によって作り出された世界だという。…すごい…。
2006年に東京で展覧会をしてたようで、「IN JAPAN」という写真集も出ている。

02 5月, 2012

預言カフェ

”預言”とは、神からの言葉を預かって語ること。占い的な”予言”とは意味が異なる、とされる。予言はそれをするひとが見たり感じたりしたことを語ることだから、神からの言葉ではない、ということなのかな?(ちなみにノストラダムスのは「予言」。神の言葉ではない。) 去年、友人Sちゃんが調布の預言カフェに行って、とてもよかった、と言っていたのがいつも頭にあって、最近ちょっと指針のようなものが欲しい気分だったので、以前から行きたいと言っていた友人Yさんも一緒に預言カフェに行ってみた。

京王線調布駅から徒歩5分くらいのところに、預言カフェをやっている教会がある。ビルの3階まで階段で登り、扉の前で靴を脱ぐ。スリッパに履き替えて扉をあけると、飾り気のない、でもスッキリとした空間が。明るい自習室のような…。 預言希望者は申し込み用紙に住所氏名を書き込んで好きな場所に座って待つだけ。他人に内容を聴かれたくない場合は個室で聴くこともできるようだ。Sちゃんからは、内容は聖書に書いてあるようなことを言われると聴いていたし、プライベートがあらわになるような預言はなされないようだったので、オープンにしていただいた。(室内には私たちと後から入ってきた若い男性がいただけ。)
預言はとても早口だから録音機を持って行った方がいい、とSちゃんに言われていたので、携帯の録音機能を使って録音した。持参の録音機がない場合はカセットテープ代100円を払って録音してもらうこともできる。 預言をしてくれるのは、50代くらいの女性。最初に、預言は占いなどの予言とは違う、という説明のあと、預言タイムに入った。

最初に女性(牧師さん)は、神様からのメッセージを胸に落とし込むように、少しの間目を閉じたあと、「主は言われます。我が愛する娘よ。私はあなたを愛しています。私はあなたを導く神ですよ、と主は言われています。(ちょっと間があいて…。神様から届いたメッセージを確認するように…。)今、風船が見えています。主は言われます。我が愛する娘よ。今、ビジョンとしてあなたに風船を見せました。」というふうに始まり、あとは淀みなく早口に女性の口からメッセージが伝えられた。ところどころ、女性の目から見える状況説明が入るけど、”主は言われます”という言葉のあとに来るのが、神からのメッセージのようだった。
要約すると、今の私は風船に空気を入れて高く飛ばしたいのに、たくさんの思いを吹き込みすぎて風船が重くて地面に置かれたまま飛ばせないでいる状態だそうだ。神はそれを手放しなさい、と言っている。気になっていて保留にしている思いが私にはたくさんあって、神は、それは放っておきなさい、新しい風船をあげるから、それに空気を入れて高く飛ばしなさい。と言っている…と。
そのあとも、私の心のクセもちゃんと見透かされているのだな、と思えるメッセージがあり、それは正直驚いた。
でも、そういうことも慈愛に満ちた言葉で表現されているため、普段誰かに自分のことで何か指摘されたときに感じるざわめきのようなものは一切ない。メッセージがすーっと心に入っていく感じだ。

 預言タイムが終わって、女性との雑談になったとき、「録音の言葉を全部文字として紙に書いてみてくださいね。」と言われた。録音を何回も聴くのもいいのだろうが、手をつかって書くことでより一層深いところへメッセージが届くのかもしれない。帰宅後、早速録音の声を文字に書き写した。 

女性が預言することがどのようなシステムなのかは全くわからない。本当に神のメッセージなのかどうか、と疑うようなら最初から行く必要もないだろう。所詮、検証することは不可能だし、本当かどうかを確かめに行ったのではなくて、私は何か指針が欲しかっただけだから。結果、指針のヒントになるメッセージがいくつかあったし、なにより安心感があった。それで充分だ。 私の預言タイムは5分半ほど。ひとによって差はあるけれど、5分から10分の間だそうだ。 お茶やコーヒー(ドルチェグストだった)などのセルフサービスの飲み物がついて、一口1000円の献金をすることになっている。預言タイムがある日は、曜日と時間が決まっている。
詳細:http://apostolic.jp/?p=748

預言カフェは、高田馬場(早稲田から移転)の預言CAFEが一番有名らしい。
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友人Yさんに対する預言もそばで聴いていたけど、不思議なことにほとんど憶えてない。ただ、「活性化させなさい、運動をしなさい、と主は言われています。」という言葉だけ記憶に残った。預言タイムが終わったあと、Yさんは「いやー実はね、入会したままずーっと行ってないスポーツジムがあってね。やめよう、やめようって、思ってて、今月こそ退会するつもりでいたのよん〜。だから、運動しなさい、って言われて、ビックリしたわ〜。だから、やめるのをやめるわ。」と、のたもうた。

01 5月, 2012

後藤さんのお話

先週出かけた講演会「震災に学ぶ」で聴いた震災の語り部後藤一麿さんのお話は、印象深いものでした。録音していたわけでもなく、ただ走り書きのメモをとりながら聴いたので、正確さに欠けるところがあるかもしれませんが、メモになるべく忠実に再構成しました。

後藤さんは全国から寄せられた支援に深い感謝を述べられたあと、下記のようなお話をされました。
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震災で甚大な被害を受け、家など一切のものを失いましたが、今年の南三陸町のワカメは病気もなく、よく育っています。例年は2年かけて育つものが、半年で同じ大きさに育ちました。春になると紫外線が強くなり、ワカメの色が落ちるので、その前に収穫してしまわなければならず、大忙しです。

実は南三陸町では大津波を3.11以前に3度経験しています。明治29年、昭和8年、昭和35年です。私は(昭和22年生まれなので)昭和35年に大津波を経験しました。昭和35年の津波はチリ大地震のときのもので日本は揺れませんでした。でも、それでも津波がきた。今度は三陸沖が震源地だから35年の時と同じかそれ以上のものが来る、という直感があり、外出先から自宅にすぐに戻って家族にただちに高台に避難するように指示しました。位牌を取りに行こうとする妻を叱りつけました。「位牌はまた寺に頼んで作ってもらえばいい。おまえが死んだら、おまえの替わりはないんだぞ!」と。

高台から海を見たら、海に水がなかった。いつもは海水があって渡れない小さな小島に歩いて行けるほど、水が引いていました。昭和35年に見た光景と同じだと思いました。その時は、水が引いたためにたくさんのヒラメがバタバタ跳ね回っていました。チリで地震が起きたことも知らず、町の人たちが海岸に魚を捕りに出た。その人たちが津波にさらわれて亡くなりました。
ああ、大津波が来るぞ!と思いました。間もなく、沖に白い線が見えました。その白い線が陸に向かってどんどんせまってきました。
これまでの津波の経験から、防波堤はありました。防波堤に波がぶつかってしぶきが上がると思いますよね。でも波はぶつかるのではなく、乗り越えてくるのです。
津波は一回で終わるんじゃないんです。家を壊すような津波は合計9回来ました。
結局、私たちの集落80戸のうち、2戸しか残らなかった。

以前から、30年以内に9割の確率でマグニチュード8クラスの地震が来るだろうと言われていました。マグニチュード8というのは、100キロメートルの地殻が動き、またさらに100キロメートルの地殻が動くような規模です。その場合、津波の高さは6〜7mだと言われていました。(今回のマグニチュードは9であり、実際の津波は20mの高さの高台に達していた。)

今回の震災を体験して今思うことは、”津波は物を流し去ってしまうけど、人とのきずなまでは流せない”ということです。元の生活を取り戻すには、最低でも10年は必要です。
それでも、食べるものがあり、雨露しのげる家があり、家族や友人が元気なら幸せなのです。
復興はまだまだ始まったばかりです。地震や津波の被害だけじゃない、原発の被害による被災もあります。東電や政府に「責任とれ!」という声が上がってます。もちろん責任は取るべきですが、ちょっと考えてみてください。電力をたくさん使う生活、つまりなるべく楽して金を得る生活を私たちも望んだのではないでしょうか?望んだために、結果、原発エネルギーが必要とされたのではないでしょうか。

地球上の自然が養える人口は現在の75億人の約半分である35億人だと言われています。ただでさえ養える限度を超えているその自然を、私たちはもっと大切にしなければいけません。

みなさん、被災地に来てください。現状を見に来てください。そして話しを聞いてください。私たちはできるかぎり、ほんとうのことを伝えたいと思っています。
自然災害に対して、防災はあてはまりません。自然災害を防ぐことなんてできない。できることは、自分の命を守ることだけです。そのためにも私たちの経験した話しを聞いてください。
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今回の講演会を企画された足もみボランティアグループの会合で後藤さんがお話をされたときの動画もあります。テーマは「3.11大震災〜幸福の原点とは」。内容は今回の講演会のお話とほぼ同じです。司会は、足もみボランティア後方支援グループ代表の吉田さん。

吉田さんは大田区蒲田で足もみをされている施術者。もともと台湾式の官足法という、痛めの足もみだったけど、その他の手法もいくつか取り入れて、個人個人に合わせて施術してらっしゃいます。
私も調子が悪いとき何度かもんでいただき、劇的な回復をみせたこともありました。何より、吉田さんはお話がおもしろい。話しながら笑って、もまれて痛がる、という感じ。
吉田さんのホームページ
http://ashimomi-factory.jp/