10 12月, 2015

映画「007〜スペクター」

今週のロードショー/キネマ大羽

映画に感動すると、それがロードショーだった場合、私は映画館を出てから帰宅して就寝するまで、夢見心地でいられる。
前作「スカイフォール」が、あまりにも良かったし、シリーズでは珍しく前作から続投の監督だし、期待してしまった。

何事もそうだと思うが、人を動かすのは、書いて字のごとく「動機」だ。
そして、人間の持つその動機は大きく二つに分かれている。
「愛すること、愛されることからくる喜び」と「愛されなかった(もしくは、そう思い込む)ことから来る恐怖と怒り」だ。
歴史の中の独裁者たち、刑務所で服役する犯罪者たち、現在お騒がせ中の安倍首相だって、また家族などの身内であっても、「なんでこんなことするのよ!?」と思うことをする人たちは、なんとなくそれをやるわけじゃない。遠い過去に、もしくは今その人の心の陰に強い動機があるはずなのだ。

前作「スカイフォール」では、その動機が痛いほど伝わって来て、ボンドと敵のシルヴァとの闘いが、あ・うんの呼吸にさえ感じられた。
だがしかし、今回の「スペクター」では、その強い動機が終盤まで見えてこなかったのだ。
こんだけのことするんだから、なんか強〜い恨みがあるんだよね?と思いながら、次のシーンでは納得させてくれるだろうと2時間以上待って待って待った、という感じ。
まあ最後には動機はわかるんだが、単純に言えば、黒幕オーペルハウザーの”少年期の愛情不足”。それも本人がそう思い込んでるだけでほんとは違ったんじゃねえの?と思えるほどの説明不足で、私は欲求不満になってしまった。


それから、今回ボンドを追いつめて行くオーペルハウザーの手下が、拳銃とか道具使うのが下手そうな力任せのプロレスラーみたいなヤツで、ちょっと前時代的すぎ。ボンドとの格闘シーンが美しくなくて、早く次のシーンに行ってくれ〜、と思いながら見ていた。

ボンド演じるダニエル・クレイグは、ボンド役を降りたがってるらしいが、次回もこんなシナリオじゃ降りたいだろうな、って思うし、降りればいい。
もしかしたら、「スカイフォール」で、ジュディ・デンチのM(ボンドの上司)が死んだとき、ダニエル・クレイグのボンドも精神的に一緒に死んだのかもしれない。

思うに、ボンドはスパイなんだから、もっと本来のスパイらしい心理戦とか、スパイ活動がバレたらどうしよう?的なドキドキするよなヒッチコック張りの諜報活動をしていただきたい。
爆発やアクションの派手さで前作を凌ぐのではなく、心理戦の秀逸なシナリオを用意すれば、ダニエル・クレイグも続投してくれるのではないかしらん?

前作「スカイフォール」をまだ見てないひとは、幸いです。先に、「スペクター」を見てから、「スカイフォール」を見るとよろし。
ダニエル・クレイグ版007を全部見るなら、「慰めの報酬」→「スペクター」→「カジノロワイヤル」→「スカイフォール」の順番で見ることを私はおススメします。