21 6月, 2012

映画「ライフ・オブ・デビッド・ゲイル」

〜今週の名画座・キネマ大羽〜

直訳すると”デビッド・ゲイルの人生”(原題The Life Of David Gale)ということですが、文字通り、主人公の大学教授デビッドが過酷なまでに人生(命)を懸けて人々に大義を問う物語。

 デビッドとコンスタンスは共に死刑制度反対運動で闘う同志だったが、ある時デビッドがコンスタンスをレイプして殺したという罪で逮捕され、死刑宣告を受けている。死刑執行の4日前になってデビッドは、自身の手記を残すために女性記者のビッツィーを指名して事件について話しを始めた。話しを聞くうちにこの事件が冤罪であることを確信するビッツィー。執行当日、デビッドの無罪を証明するビデオの存在を知り、ビデオを一刻も早く手に入れようと奔走するが…。と、後半、手に汗握る展開となる。さて、その結末は…。

東電OL殺害事件に関する冤罪の可能性(以前から言われていたけど…)も出てきたことだし、この物語は決して絵空事ではありません。

個人や小さい集団が国家や大きな組織に立ち向かおうとするとき、その個人がいくら正しくても、どうしようもない敗北を強いられることが多い。もう、その壁を破ることが不可能に思えるとき、映画の中の彼らがとった行動は、もうそれ以上のことは考えられないというほどの行動だったわけで…。

これは、国家や組織に対してと言うよりも、それを傍観している大多数の私たちに問いかける物語だと思います。国家や組織を動かせるのは、結局は大多数の私たちから成る集団だから。私たちは正しく知り、判断していかねばならない、と背筋を正す思いに至るのであります。
国やその息のかかった組織が必ずしも正しい(誰にとって正しいのか、って判断基準のときもあるし。それって、正しいのか?ああ、ラビリンス…。)選択をするわけではない、ってことが多々ある昨今、一度我が身に置き換えて考えることもよいかと思います。
これを単なる社会派サスペンスと位置づけるにはあまりにも重いテーマではあります。そして”人は大義のために、どこまで犠牲を払うのか…”という予告編の中のナレーションに、今私たちが直面している社会問題(原発問題、税金問題etc…)と我が身を重ねるオーバリーです。

監督のアラン・パーカー(監督作には「ミッドナイト・エクスプレス」や「バーディ」など名作揃い!)、お見事な一作。テーマは重いけど、見てね♥。単にサスペンスとしても秀逸だから。
ツタヤにあります。 http://www.tsutaya.co.jp/works/10028785.html