22 1月, 2012

映画「シェルター」

主人公の精神分析医カーラは夫を殺されたという過去があり、その娘である少女サミーは父親を失った悲しみから神を信じなくなっていた。サミーを寝かしつけるとき、カーラの神への祈りの言葉をサミーは決して復唱しない。そんな二人の前に、多重人格とみられる男がカーラの患者として現れる。

人間の恐怖の引き金になるものは、”得体のしれない”ことだと私は思っているのだが、この映画の恐ろしきものの正体はラスト近くになるまでよくわからない、つまり得体の知れないものの影を感じながら物語は進む。
最近、「信仰」という言葉があちこちで耳に残るようになったけれど、この映画の中でも「信仰」は重要な伏線になっている。

ラスト近く、村はずれに住むまじない師に助けを請うカーラにまじない師は「娘は助からない。信仰を捨てたから。」と言う。「まだ子どもなの。わからないのよ。」と、すがるカーラに、まじない師は「信仰に、年齢は関係ない。」とつれない態度…。果たして、カーラは家族を守ることができるのか…。

内心”キビシイ世界やのぉ〜”と思いながら、そのシーンを見ていたけれど、キリスト教世界の人々が「信仰」という言葉を口にするとき、私たち(現代の)日本人の想像以上の重みを彼らはその言葉に重ねているような気がする。欧米の映画やドラマを見ても聖書やキリスト教など宗教のエッセンスを取り入れた物語は日本のそれより圧倒的に多い。彼らキリスト教徒にとって、信仰を捨てる(神を信じない)ことは救いようのない行為なのかもしれない。

カーラを演じるジュリアン・ムーアと、多重人格者を演じるジョナサン・リース・マイヤーズの迫真の演技が、見る者をオカルトの世界に引き込んでくれる一品です。
映画専門チャンネルシネフィルイマジカで1月23日、29日に放送予定。
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日本語の予告編はこちらhttp://www.youtube.com/watch?v=nLcHqMNNT70
日本語の予告編より、本国の予告編の方がコワイのでそれをメインに載せマシタ。