15 12月, 2013

ジェットスター

今日の始発便で九州へ帰って来た。
母が要介護になってから帰省の頻度が増えたが,そんな私にとってジェットスターは東京−福岡間の移動の心強い味方である。
日によって料金の変動はあるが、一番安い時で6〜7000円くらいで帰れる。ジェットスターを使うまではスカイマークで10000〜13000円台の便を利用していたが、ジェットスターを利用すれば毎月帰ってもいいかな、と思える。
東京といっても成田空港まで行かねばならないが、今は東京駅–成田空港間は京成バス900円(約1時間)で行ける。

ただ、購入時期によっては安い便が6時台の早朝便しかない時もあり、その場合うちから5時半までに成田空港に行く手段がないため、私は前夜に成田空港で夜明かしする。同じような境遇(?)の人が数人いるので、一人で寂しかったりこわかったり、ということはない。
待ち合い所などの椅子を2〜3席分占領すれば横になれる。それに、警察官がすぐそばに一晩中立っていてくれる(私たちを守ってるのではなく、私たちが不穏な動きをしないように見張っていると思われる。)ので安心。
夕べは上野発の最終電車で成田空港まで来て、中央口付近の椅子に横になって寝た。1時間置きくらいに目が覚めるので熟睡はできないが体は休まる。

福岡空港に着いたら、まず空港内のうどん屋さんに入って、ゴボウ天うどんワカメトッピングを食べる。今日はついたてで仕切られた向かい合わせのカウンター席の斜め前にパパイヤ鈴木が座った。あの頭ですぐわかる。だからって何があるわけでもないが、以前ライブを見に行ってとても楽しかったので、それを思い出した。

うどんの後は、同じく空港内のベーカリーカフェでお茶する。一刻も早く帰る必要もないので、できるだけそこで仕事したり、のんびりしたりする。
最近は父も体調崩しているので、ちょっと憂鬱。ま、仕方ない。どうにかするさ。
明日は早速、父を睡眠外来(精神科の中の1セクション)へ連れて行く。

12 12月, 2013

月船deワークショップ vol.19


久しぶりのワイヤーワークのワークショップです。教会音楽が流れている(リクエストしたので)月船店内の奥のテーブルで、水晶と向き合っていると、教会聖堂にいるような錯覚をおぼえます。            看護士さんをされているというKさんが本日の生徒さん。UFOを目撃されたというお話しなど、雑談を交えながら、なごやかなワークショップでした。            ワイヤーをさわるのも初めて、ということでしたが、ステキな水晶のペンダントができました。

11 12月, 2013

開高健「珠玉」

「アクセサリー作ってるんだったら、コレいいわよ。」と、人に勧められて読んだのが、開高健の短編集「珠玉」。
私はあまり読書をしてないので文学には疎いし、開高健という名前を聞いた時、”釣り人”のイメージしかなかったので、こういう小説を書いていたとは知らなかった。

短編集といっても、「珠玉」に収められた3つの物語は「私」(正確に言うと、「私」という文字はひとつもないが)という物書きを生業(なりわい)とする主人公でつながっていて、それぞれ「アクアマリン」「ガーネット」「ムーンストーン」という宝石をモチーフにしている。
行方不明になった息子を何年も探し続ける父親が「私」を古いアパートの一室に招き入れ、ちゃぶ台の上に広げたアクアマリンの海のような輝き。
なかなか作品の筆が進まぬ「私」に、中華料理店の主人が貸してくれたガーネットの血のようなような深い緋色。
とある店でひと目惚れして買ったムーンストーンが、「私」に思い起こさせる白い宮殿。
開高健が紡ぎ出す言葉で描かれた石たちは、宝飾店のどんなに高価な宝石よりも美しいものとして脳裏に浮かぶ。

そして、それらの石たちは様々な登場人物達をより印象的にいろどっていく。
石の描写がすばらしく文学的(あたりまえか…)で、よくぞここまで表現できるものだなー、と感じ入る。

ムーンストーンが登場する3つ目の物語は、先のふたつの物語とは多少毛色が違う。
物語の突然のエロチックな展開に少々とまどった。もしも電車の中で読んでいたら、ちょっとドキドキしたかもしれない。
「珠玉」が開高健の絶筆だったことは読み終わってから知ったのだが、そう言われてみれば、ところどころに何だか胸を締め付けられるような感情が見え隠れする部分もあり、特に最後の物語は絶筆中の絶筆と思われるような終わり方をしていて合点がいった。

厳しい闘病生活の中で「珠玉」を書き、58歳で逝ってしまった開高健が「珠玉」の中で最期に発したコトバは、世の男性にとっては深い感慨をもって発せられるコトバかもしれない。それが、何と言うコトバかは、是非読んでいただきたく候。

25 11月, 2013

アートマン

思い切りピンぼけ。でも、あかい色と黄色がきれいだ。
昨日、国立の大学通りを自転車で走っていて、街路樹が紅葉しているのに気がついた。
あ〜、もう晩秋か〜。用を足しに出かけただけなので、ゆっくり見れなかったが、自転車で走り抜けながら、樹木のエネルギーを吸った(つもり)。
今日から30日まで聖蹟桜ヶ丘アートマン、12月1日から7日まで府中アートマンに出店します。
今回、シックな色合いのが多いかも。
この紅葉のように、赤いものを明日作ってみようかな。

20 11月, 2013

'70年代前半の映画・懐かしくも新しい

たまに、神楽坂のふもとあたりにある名画座「飯田橋ギンレイホール」に行く。
この写真は去年だったか、今年だったかそこのロビーで撮ったもの。1975年にギンレイホールでの上映作品(70年代前半の作品)のポスターの写真を展示してあった。見たことあるのもあれば、存在さえ知らなかったものもある。
左上から…
不良少女 魔子 復刻版DVDのジャケットの写真の男性が藤竜也?えェ〜?
ペーパーチェイス 解説によると、青春映画の傑作だそうなハーバード大学に学ぶ学生たちの光と影。
ボウイ&キーチ クチコミ読んだら見たくなった。明日、借りに行こーっと。
襟裳岬 わ、若い…森進一。本人役だってさ。内容は知らないけど、ひやかし半分で友人達と見てみたい。
青春の門 「信介しゃん…」と大竹しのぶが囁く声が懐かしい。サユリストも必見。これぞ、昭和な一本。
パピヨン 実話を元にした名作。大好きな一作。S・マックイーン&D・ホフマン。元祖プリズンブレイク?
野良猫ロック 和田アキ子主演。コワいもの見たさで、見てみたいもろ昭和な予告編おもろいです。
ショック療法 中年にさしかかっても、お美しいアランドロン。医療サスペンスもの。
狼は天使の匂い これもクチコミ読んでたら見たくなった。フランス映画のサスペンス。
新・個人教授 この年代、他にも課外授業だの個人授業だの、”続”とか”新”とかつけていろいろあったね
雨のアムステルダム ショーケンと岸恵子。サスペンスもの。ショーケン、一昨年結婚したんだってね。
ドラゴン危機一髪 私は見たことないけど、言わずと知れた「ドラゴン」シリーズ第一作目。
ダーティーメリー、クレイジーラリー どないなカップルやねん? 意外にもアマゾンの評価良し。
華麗なるギャツビー ロバート・レッドフォードが一番美しかったころ。ディカプリオファンには申し訳             ないが、リメイク版ディカプリオよりいい。
パリのめぐり逢い 男と女って、ホントにね…。
ルシアンの青春 ナチとレジスタンスの戦いに巻き込まれる青年の物語。
経験  青春もの。3人の少年(青年?)が初体験を求めて旅に出る。
燃えつきた納屋 アランドロンが犯罪捜査の検事役。地味ながら、名女優シモーヌ・シニョレとの駆け引           きがなかなかイイ作品。アランドロンの渋さがイイ感じ。
続・激突!カージャック クチコミは評良し。スピルバーグ監督。
テオレマ クチコミ読んだら見たくなった。パゾリーニ、テレンス・スタンプときたらフツーじゃなかろう
男と女の詩 DVDになってないが、クチコミはよい。リノ・ヴァンチュラ渋いよねー。
悲しみの青春 ドミニク・サンダ、当時近寄りがたい美しさだったが、現在65歳。かなり近寄れる。
         物語は、戦前のイタリアでファシズムに飲み込まれていくユダヤ人の哀しみを描いている。
日曜日は別れの時  DVDになってない模様。三角関係の物語のようでござる。
金メダル大作戦 思い切りB級な邦題やね。解説読んでも、そそられず。

19 11月, 2013

主治医をかえる〜その1〜

正月に母がノロかと思われるほど体調を悪くしたとき、かかりつけのY病院に行ったのだが、そのときの医師の態度に不信感を憶えて、主治医をかえた。

時々母に付き添ってY病院に行っていた時、以前からあまりいい印象がなかった。そこで、母が正月に体調を崩した時、通っているデイサービスを併設しているS病院へ行ったのだが、そこには今までの30年くらいの母の医療記録がないため、「たくさん摂ってる薬の飲み合わせのこともあるから、医療記録のあるかかりつけ医の方に行った方がいい」と、その医師に言われ、母の現状についての説明など手紙を書いてくれたので、それを持ってその足で渋々かかりつけのY病院の方へ母を連れて行った。

Y病院の医師はS病院からの手紙を読んだのであろう、母を診ないうちに診察室の奥から「下痢止めと吐き気止め飲んでもらって〜。点滴も〜。」と叫んで看護師に指示を出し、母の顔さえ見ず、母は待合室から点滴を打つためのベッドルームへ直行させられた。
ブチっと私はキレた。S病院からの手紙があるとはいえ、顔も見ないなんて、何たること?!
「お母さん、病院はS病院にかえるけんね!」と私は宣言した。

母の看病でほとんど徹夜状態だった私と交代するために妹が来たので、「センセ、お母さんの顔も見らっさんとよ」と言っていたら、医師が診察室から出てきて、待合室にある立派な水槽の熱帯魚にエサを与えているじゃあないですか。
「病人は見らんで、サカナの様子は見にくるばいね…」と、すかさず妹が言う。
「ほんなごてさ(ホントよね)!」と私。

一応、帰宅して父にいきさつを話して、主治医を替える了解をとって、S病院に電話した。
「そちらのデイサービスにお世話になっているので、今後は母の病気もそちらで診ていただくようにしたいのですが、何が必要ですか?」と聞いた。
電話に出た看護師さんは「今までのかかりつけ医に手紙を書いてもらって、医療記録をもらってきてください」という答え。
早速S病院に行って「通ってるデ一サービスの病院にかかったほうが、何かと便利なので…」と適当に理由つけて医療記録をもらって主治医をかえた、という次第。

処方されている薬は以前と基本的には変わらないが、定期的な受診の時は、ちゃんと顔を見て話しをしてくれるし、看護師さんたちは気さくに声をかけてくれるし、本来あるべき医者の姿を見てとれるので、安心している。

そして、母も安定してデーサービスに通っている、と思っていたところに、今度は父に問題発生…。
先週二ヶ月ぶりに実家に帰ったら、なんと父に抗鬱薬が処方されていた!父は父で母とは違うM病院に通っており、簡単な問診の後、鬱のようだと言われたらしいのだが、夏とは人が変わったようになっている。抗鬱薬を飲む前より病人っぽいって、どういうことよー!?やる気がなくなり、笑うこともなくなり、宙を見据えたように座っている。
今年の猛暑で熱中症に何度もなり、体調悪くて寝付きが悪い(家族から見たら、寝息たてて寝てるんですが…)、と親戚に漏らしたら、鬱じゃないかと親戚二人に言われ、受診したようだ。いくら親戚でも気軽に「あんた鬱やろ、それ」なんて無責任に言わないでくれる?
医者も医者だよ!大学で何勉強したんだか知らないけどさー、80過ぎた老人に簡単に抗鬱薬やら強い睡眠薬を処方すんじゃねーよー!!(怒り爆発)

というワケで、12月に別の病院に連れて行くのです。カウンセリングで1時間半から2時間くらいお時間ください、とのことで、すぐには予約がとれなかったのだが、だからこそ信頼できる。ポッと受診して、判断力の鈍った老人に数分で抗鬱薬やら睡眠薬やら処方する医者には気をつけた方がいい。しばらくは、落ち着かない毎日。今度は、父の病院替えです。

02 11月, 2013

天下市 in 国立

今日から3日間、国立市の大学通りのお祭り・天下市です。
JR国立駅を南口に出ると、大学通りには雑貨から食べ物まで、国立の様々なお店が出店しています。
天下市オフィシャルサイト
http://www.kuni-js.com/tenka/

私は、今年は大学通りのテントではなく、大学通りからちょっと入った住宅街の中のギャラリー「もえぎ」でアクセサリー販売してます。通常価格より1〜2割引きのお祭り価格(ピアス800円〜など)です。
もえぎ店内では、オーナーのご主人のイラストレーター田中ミノル氏の似顔絵イベントもやってます。
もえぎBloghttp://moegi.kurashi-no-art.com/

天下市に遊びにきてください。

01 11月, 2013

お口の中は野戦場〜歯磨き編〜

こんなに熱心にブラッシング法を指導される歯科医院は、未だかつてなかった!というくらい熱心なみどりの杜歯科クリニックへ今日も行ってきました。
初診から4ヶ月くらいの間は、月に1〜2度の受診で毎回ブラッシングチェックと指導があります。その間、本格的な治療は始まっておりませんでした。かぶせの金属がとれた2箇所を仮の詰め物をしてもらったくらい。
3週間前に修復不能な虫歯を抜いて親知らずを移植したのが、本格的治療の始まりでした。また、水が染みて歯ブラシが当たると痛い奥歯が別にありましたが、初診から半年たった今日、やっと処置していただきました。

鏡は横長で、口以外の顔が映らない形。
歯ブラシはごく普通の形で、これで3種の
磨きをおこなう。歯周ポケット用ブラシや
デンタルフロス等は使わないが、3週間くらい
で毛がへたってきて、磨きにくくなる。
半年間で消耗したのは8〜9本くらい。
ブラッシングを指導された通りにやると、歯茎が引き締まってきます。重症でなければ、歯周病などはブラッシングで改善するみたいです。私の奥歯の虫歯は、最初歯茎に隠れたところにありましたが、ブラッシングを始めて半年後の今は、歯茎が引き締まったせいで、虫歯部分が歯茎の上に現れています。

痛かったら言ってください、と言われ、削り始めて十数秒で「痛っ!」となったので、すぐに麻酔を打って、作業続行。最初は器械ですが、すぐに手作業になり、カギ型の削り出す道具で虫歯の部分(腐った木のようにやわらかくなっている)を削り出すのですが、「オオバさん、ハイ鏡持って」と言われ、削り出すところを見せられます。いくら麻酔してるからとは言え、あまり見たくない光景ではありますが、『こうなるんですよ!』という教育的指導というか、脳裏に刻みつけるっていうか、『ちゃんと、磨こ…』と無意識下にインプットするためでしょうね。

口の中だけに集中できる、ブラッシング専用鏡も買いました。自宅で歯ブラシをくわえている時間が長くなりました。上下の歯の表と裏を3種類の磨き方で磨くのです。歯磨き粉は使いません。歯ブラシもごくフツーの(山型カットとかじゃないフラットなやつ)を1本だけ。
しかし、そのブラッシングが簡単ではないのです。
まじめにやったら30分くらいはかかります。特に奥歯の裏側が難しい…。
以前歯科衛生士さんに微細にブラッシングをチェックされていた時、うまく磨けないでいたら、隣りの治療台の方から先生が顔をのぞかせ、「オオバさん、細かい仕事ができるんだから、ブラッシングもできるはずです」とジョークではないマジメな口調でのたまった。
ス、スイマセン…。でも〜、アクセサリーつくるのとはちょっと違うんですが〜、と心の中でつぶやきました。

3種類の磨き方はまた後日。

28 10月, 2013

Facebook退会

なんだか使いこなせないので、退会してしまいました。
いいよね…。

いいね!……なんちって…。

27 10月, 2013

ウォーマー

今年3回目の陶房行き。半年期限の3回分チケットを期限ぎりぎりで消化できた。
1回目素焼きするための作品の成形。2回目素焼きしたものをちょっと削ったり、絵付けしたり、釉薬をかける作業。3回目は本焼きをしてもらった完成品の受け取りと、新たにまた作品の成形。

ウォーマー1号の底はなく、キャンドルを
皿に乗せて、ウォーマーをかぶせている。
次回作2号は、キャンドルを乗せる皿の
部分も作る予定。
冬場、私の部屋は暖房がきかないので、熱い飲み物もすぐ冷える。飲み物が冷めにくいタンブラーに好みのデザインが見つからないので、マグカップを直に温めるためのウォーマーを作ってみた。
ウォーマーの見た目は気に入ったけど、完成品を見た時、ちょっと高さが足りないかな、と感じる。実際マグカップのコーヒーをウォーマーに乗せたら、しばらくしたら煮詰まっていくので、キャンドルの炎に対してウォーマーの高さがちょっと低かったことが確認できた。
同じアロマキャンドルでも、ものによって炎の高さが違うので、炎のサイズによって高さが微調整できるように工夫したい。

今日は、高さを2センチほど高くした(焼くと15%縮むから、2センチは1.7センチになる)ものを新たに作った。処女作ウォーマー1号は、タイルか何か燃えにくいもので高さを上げて、2作目ができるまで使おう。


ウォーマーの他にペンダントヘッドもいくつか作ったけど、絵付けに失敗し、駄作ばかりでダメ。デザインを考えずに、即興でやったからかな。
小鳥のだけ使えそうだったので、ペンダントにしてみた。

アクセサリーもまた数点新たに作った。今度はお花や十字架のペンダント用ヘッド。
焼き上がると、想像していたのと雰囲気が違ったりするので、何個も試作品を作らねば。

何を作るにしても、道のりは少々遠いわねー。

15 10月, 2013

組み合わせるということ

十年以上も前にバンコクの問屋街で買ったアフガニスタンのオールドシルバーをネックレスに仕立てています。11月〜12月にかけての展示販売用です。
トルコ石が嵌められた四角いシルバーは、イスラム教の信者が身につけていたもので、教典を形どっているそうです。
長いこと手つかずだったのは、ネックレス部分をどういう石で組み合わせればいいか思いつかなかったからです。

アクセサリー制作を始めたばかりの頃、ネックレスの石(色)の組み合わせが単調でダサくて、やり直してばかりいました。海外の美術館に行った時は、アクセサリーをよく見るようにしていて、ノートに石の組み合わせなどメモして頭に叩き込もうとしていました。
それでもなかなか組み合わせ方のアイディアが自分の中からは出てきませんでした。

今では、手を動かしていると”ここにこの色を入れるとキレイかも”と自然と思いつくようになりました。それでも何度か石を入れ替えたり試行錯誤することもあります。
最近思うのですが、私の場合、写真やひとの参考作品を見るだけではダメで、やはり作る数をこなすことが大切なようです。スポーツと同じです。他人の模範演技を見ることも大切ですが、数限りなく練習を実際にやってみないと体が憶えないのは、絵を描くのもアクセサリー制作も同じです。
何回も組み合わせをやり直し、「あ、きれい!」と感じた組み合わせを、手と頭に憶えさせます。組み合わせは、数限りなくあり、色が同じでも素材が違うと別のものに見えるし、違う色のビーズの場所が1〜2個ずれただけでも印象が変わってくるから不思議です。

例えば、どんよりとした灰色のような土気色のような、単体では一見キタナいような色の石があるのですが、それを別のある石と組み合わせたとき、とてもキレイに見えることがあります。そういう瞬間を見るのが大好きです。
色は不思議です。
美大受験のために予備校に通って水彩画を毎日せっせと描いていたとき、講師がよく言っていました。「キタナい色ってないんですよ。」と。キタナく見えるのは組み合わせのせいなのです。どんな色でも、お互いの色がキレイに見える組み合わせが必ずあります。

12 10月, 2013

そろそろ年賀状

年賀状書籍のイラストの仕事をいただくようになって数年たちます。
今回6回目の仕事となった午(ウマ)年の年賀状書籍の完成本が届きました。私は毎年100点のデザインを提出しています。50人前後のイラストレーターやデザイナーが作品を寄せるので、同じようなデザインが重なることもあるらしく、納品した100点全部が掲載されるわけではありません。100点考えるのは苦行のようでもありますが、考えて考えて絞り出して150点くらいのおおまかなラフスケッチをして最終的に100点にまとめています。
写真のページは見開きで私のデザインを掲載してもらってます。左側の兄妹のモチーフは辰年の一昨年から毎年「その年の干支の動物の着ぐるみを着た兄妹」という設定で描いてます。年明けあたりから、再来年の干支・ヒツジの仕事にかかる予定です。
私個人の年賀状は、また今年も懲りずに木版に挑戦するつもりですが、相手に届くのがだいたい正月気分も抜けた頃なのです。トホホ。
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巻末に年賀状ソフトとイラスト素材などのデータが収録されたCDがついてます。データは文字やイラストが別々にカスタマイズでき、便利です。干支以外の素材もあるので、他の年でもカスタマイズして使えます。典型的(あるいは伝統的)な普通の年賀状から、アニメキャラクター的なものまでデザインは多種多様です。アマゾンから買えます。
http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=カタカナ&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=2014年%E3%80%80秀和%E3%80%80年賀状

10 10月, 2013

お口の中は野戦場〜抜歯編

5ヶ月前から痛かった奥歯だが、私がお世話になっているみどりの杜歯科クリニックでは歯磨き指導を徹底優先し、”すぐに削って詰め物をする”という方針ではない。
親知らずがその奥歯の横っ腹に向かって横に生えていて、奥歯の虫歯を治療するには親知らずを抜かないといけない、という面倒な状態であることと、水が沁みるものの自発的な痛みはまだないことから、治療はまだだった。ただし、レントゲン写真の虫歯のカゲの大きさからして奥歯も抜くことになるだろうとは5ヶ月前から言われてはいた。

そして本格的な治療が始まり、抜歯から始まった。
さて、奥歯と親知らずの周囲に何箇所も麻酔を打って、施術開始。
奥歯の虫歯の程度を確認するために、ガリガリと虫歯部分を削っている。結局、親知らずだけ抜いても、虫歯の奥歯はダメージが大きく保存が難しい状態ということで、奥歯と親知らずと続けて2本抜歯することに。
麻酔のおかげで痛くはないが、歯を抜くときのあの何ともいえない感触…。ミシミシッときしみながら抜けていく。後で思い出しても、鳥肌が立つ。

で、2本とも抜き終わった時、先生がおっしゃった。「親知らずは虫歯になってなくて状態もよいので、奥歯を抜いた跡に移植してみましょうか?」と。
……ん?なんて?イショク?え〜?歯って移植できんの?
思わず「おもしろ〜い!」と心の中で声を上げてしまった。

ただし、奥歯を抜いた穴が親知らずよりもだいぶ大きいらしく、親知らずを入れてもブカブカ状態のようで、組織がちゃんとつくかどうかわからないけど、ダメなら抜歯するだけのことで、ダメもとでやってみましょう、ということに。

どうせ2本とも抜く覚悟だったのだから、1本移植できるのならダメもとでやってみよう!
移植は先生も予定していたことではなく、歯の様子を見て急遽提案されたようだ。
今、親知らずは、奥歯のあったところに糸で歯茎に縫い付けたように固定されているような状態。
うまく定着したとしても神経は寸断されているので、歯が定着したら歯の中の死んだ神経を取り除いて、歯の根の治療をすることになる。

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歯牙移植:http://www.ha-channel-88.com/tooth_transplantation/

(バックナンバー)
お口の中は野戦場:http://obarie.blogspot.jp/2013/03/blog-post_5.html
お口の中は野戦場〜手仕事編:http://obarie.blogspot.jp/2013/03/blog-post_11.html

03 10月, 2013

漫画「岳」

7日までのアクセサリー販売から帰宅して、遅い夕食後、寝るまでの楽しみが、漫画の単行本「岳」を読むこと。

先々週、滞在していた九重観光ホテルのロビーには本棚があり、山や自然に関する本を始め、小説や雑誌などもたくさんあって、読書のためだけでも長期滞在したい気分だった。
その蔵書の中に単行本の漫画「岳」全18巻があった。滞在中4巻しか読めなかったけど、ハマりました。
これを原作に映画もできてたのねー。漫画も映画も知らなかったわー。

で、東京に戻って、5巻以降を読みたくて、安く買うか、借りる方法はないかとネット検索したら、ツタヤで借りられるのがわかって、さっそく注文。10冊以上で送料無料、15冊以上は一冊あたり120円になるので、既に読んだ4巻から18巻の計15冊を借りた。



「岳」いいねー。泣けるねー。
山の事故は、もちろん本人の不注意などで起きるが、どんなに準備を整えても経験を積んでいても想定外の気象変化などで事故に遭うこともある。
原因はどうあれ、主人公の青年・三歩は、遭難者が生きていようと亡くなっていようと、発見したとき必ず「よく頑張った」と声をかける。
そこで決まって私の涙腺がゆるむわけです。

もう十数年も山には登ってないし、使っていた登山靴は数年前に捨ててしまった。
新しい登山靴買おうかな、と思い始めた。

02 10月, 2013

小道具

ビーズの入ったケースを入れる小さな棚。
場所は忘れたけれど、ゴミの日に拾ったものです。
これがなかったときは、テーブルや床にビーズケースを広げてましたが、これのおかげで立体的に収納でき、便利です。しかもビーズケースがちょうど入る寸法になっていて、私のために作ってくれたかのようです。
上に作品を乗せたり、額縁を立てかけたりして、ディスプレイするときの小道具にもなります。布をかけて表からは道具入れだとわからないようにしています。

作りからして、どうも個人の日曜大工作品のようで、裏に男性の名前が書いてあります。
いらなくなったのか、持ち主が亡くなったのか…。
ともあれ、私が死ぬまで使います。

01 10月, 2013

10月アートマン

左端の青いのは、瑪瑙のうす切りを染めた
もの。深い海の底のような、ナスのような。
10月のアートマンの展示販売始まりました。
とか言って、記事アップしてるの会期の中日です。すいません。ブログひと月ほどサボってました。
書くことはいろいろあって、下書きも時々書いてはいたものの、アップしなかったなー。
鏡で自分の姿を見たくない時ってありませんか?
たぶん、そんな気分だったような。

いつもブログを読んでくれてる府中アートマンのスタッフさんに「ブログいつ見ても更新されてないんだけど…。」と、声かけられました。
楽しみにしてくださってる読者さんもいらっしゃるんですね。ありがとうございます♡

夏休みのためた絵日記のようにさかのぼって記事をアップしていくつもりです。

22 9月, 2013

リセット

あんなに健脚だった伯母が、今はほとんど歩けない。ホテルで借りた車椅子を押して、湿原の木道を歩いた。
伯母の喜寿を祝して、以前伯母がよく山登りに連れていってくれた大分県の久重へ伯母と出かけた。10代前半から30代前半にかけて、伯母とたびたび訪れた。その頃は、父とそりが合わなかったこともあり、伯母の懐が私の逃げ場所だった。
高校の時、父との関係はサイアクで、「久住山のてっぺんからあんたが飛び降りるんじゃなかろうかと、あんたから目が離せんかったよ」と、今頃になって伯母が言う。
そういう時もありましたね。

湿原が広がる長者原の空間は広大で気持ちいい。
ワタシはと言えば、「おばちゃんの喜寿を祝おう」と言って伯母を誘い出しておきながら、宿代は伯母が出してくれたんでございます。伯母は「誰のお祝いだかね」と言いながらも、「誘い出してくれてアリガトウ。」と付け加えてくれた。
老いてもなお家庭問題を抱える伯母は、リフレッシュできただろうか。
私はリセットされすぎて、仕事へのモチベーションが消えてしまいそうです。

08 9月, 2013

祝?東京オリンピック

2020年東京オリンピックか〜。
今朝、友人に会った時、彼女が残念そうな顔をして「東京が選ばれたよ。」とつぶやいた。私も、「あ〜、そうなんだ〜。」と何の感慨もなく答えた。

私の(せまい)周囲で、東京オリンピックを楽しみにしてる人に会ったことないので、東京オリンピックが開催されるというニュースは、なんだか遠い国のニュースのように聞こえる。
原発の汚染水問題が問題ない(?)とどうやってIOC委員会に思わせたのだろうか。ある意味、すごいなー。汚染水問題を差し引いても経済効果ってあるのかしらん?
長野オリンピックも残ったのは効果じゃなくて借金だったそうだが、東京オリンピックの事前の試算をするならば、事後にもどれだけの経済効果があったのか是非教えてほしい。

ふと思ったが、オリンピック開催が決まったことで、東電や政府の汚染水及び原発問題への取り組みが真剣味を増すかもしれない。お客様をお迎えする前に一生懸命お掃除するのと同じね。そういう意味では祝・東京オリンピックな気もする。
是非とも海外メディアに「汚染水は大丈夫か?」と常日頃から神経質に報道して(騒ぎ立てて)いただきたい。

ただ、”南海トラフ地震が4年以内に起こる確率は70%”と去年東大地震研究所が発表した(世間が騒いだせいか後日50%以下と訂正されたが)ことも、気にかかる。その後も確率の濃度を薄めたかのような発表をしているが、確率の意味を甘くとらないほうがいい。オリンピックは7年後だ。オリンピックの経済効果は試算3兆円だそうだが、南海トラフ地震の経済的損失は試算220兆円。
宝くじが当たる確率が70%(50%であったとしても)だったら、人々は(あたしも)宝くじを絶対買うだろうが、それが地震の起こる確率となると、すぐには起こらないだろうと思って油断してしまう。不思議。
でも、東日本大震災は起きた。中越も淡路も。
そして増殖し続ける汚染水タンクは、大地震に耐えられるのか?1年後にタンクが一体何個になってるかを考えただけでも恐ろしい…。

南海トラフ地震参考記事:http://gendai.ismedia.jp/articles/-/36707
汚染水問題:http://gendai.net/articles/view/syakai/144131
小出裕章氏インタビュー記事:http://gendai.net/articles/view/syakai/144541

25 8月, 2013

猫 in 伊勢

〜旅の思い出写真館〜

伊勢で出会った猫。

名前は「うし」。

真ん中分けの髪の毛がステキ。


背後の壁は、昔の蔵を改造した喫茶店の壁。
パサパサっぽいシフォンケーキが多い昨今、ほどよくしっとり感のあるシフォンケーキが絶品どした。(珈琲屋「河崎蔵」/江戸時代の商家の街並が残っている河崎本通りの中ほどにあります。)


伊勢に行く前に、はにわ館

当初は伊勢に3泊したかったが、初日の土曜は伊勢に宿がとれなかったので、伊勢に近い松阪に宿をとった。私は夜の9時半に宿に着いたが、連れの友人Yちゃんは夕方チェックインして多少の情報収集してたみたいで、一夜明けた今日の午前中は松阪散策しないかと誘われた。
私の頭には伊勢神宮のことしかなかったが、週末の伊勢神宮は竹下通り並みらしいよ、とYちゃんが言うし、伊勢には2泊するから、じゃあ松阪散策してみっかー、ということに。

松阪牛食べる前に、はにわ館へ行って、田中さん
の説明聞こう!!
伊勢に宿が取れず、松阪に一泊したのは結果的によかった。なぜなら私たちのお気に入りスポットを松阪に発見したからである(ついでに言うと、ゆっくり眠れたのも一泊目だけだった…。それについてはまた後日。)
それは「はにわ館」。入場料100円。

私は縄文土器は大好きなんだが、弥生土器には全く興味がなかった。はにわというと、お口をあけてヌボーっと立ってるツルンとしたひと型か馬型しか知らず、どこがいいのかわからなかったくらいだ。

受け付けで入場料を払った時、「説明をお聞きになりたいですか?」と聞かれたので、無料だというし説明ガイドをお願いした。

ガイドの方を待ちながら展示室に入って、全長1.5mの舟型はにわを最初に見た時、私もSちゃんも「うわー、かっちょいい〜!!」と声をあげた。この舟型はにわを見ただけでも、弥生文化に対する私の認識が変わったのだが、説明ガイドをしてくださった田中さんのお話がまたスバラシく、弥生文化に全く興味のなかった私の頭の中は弥生の古代ロマンで満たされたのである。

舟型はにわ以外のはにわも見たことのない形のものが多く、それらが遺跡にどのように埋まっていて、どのように使われていたか、儀式に使われていたであろう土器の意味はどういうものだったのか等々、私たちの想像力をかきたてるようにお話してくださる。100円ぽっきりでこんなに充実した時間を過ごせるとは思ってなかった。
松阪は牛だけじゃないのね!はにわ館は必見!田中さんの説明は必聴!!
(参考サイト)松阪市文化財センター:
http://www.city.matsusaka.mie.jp/www/genre/0000000000000/1000000000725/

そして街には江戸時代の情緒を感じる街並も少々残っていて、そぞろ歩きに最適。
その中でも江戸時代からある住居”御城番屋敷”がまたステキ。驚いたことに今も一般市民が住居として使っているのだ。造りは長屋式で、19戸中12戸はナント賃貸物件!
端の一軒が見学用に開放されていたが、中に入ると広い土間と部屋が4つあり、家族で住める広さ。土間は裏の庭に通じていて風通りがよさそう。こんなステキなとこに住めるなんて、キャー♥うらやまし〜。

(参考サイト):
http://matsusaka-machiaruki.jp/category/御城番屋敷/

24 8月, 2013

いざ、伊勢へ 

早朝の内宮入り口の手前には猫がいっぱい。
今年は出雲大社と伊勢神宮の遷宮が重なる年。だからというわけじゃないけれど、6月に出雲大社に詣でて、”神社の参拝は早朝に限る”と学んだ。

出雲大社に行ってみると、”伊勢神宮はいいよ〜”という話しを数人から立て続けに聞いた。例えば伊勢神宮で黒い蝶に出会ったと言う人、早朝の伊勢神宮で見た白馬とそれにまたがる宮司さんの姿が忘れられないと言う人、つい最近遷宮の重要行事のひとつである”お白石持行事”に参加して「すばらしかったわよー」と言う人、などなど。
それって、伊勢に行けというお告げだろうか、と勝手に思い、出雲大社でできなかった早朝参拝のリベンジ(?)を早速伊勢神宮ですることにした。

しかし、オーバリーは意志が弱いので、友人を誘った。Yちゃんが、伊勢神宮なら行ってみたいという。私は実家の唐津から、Yちゃんは住んでる国立からお互い青春18きっぷを使って伊勢で待ち合わせようということにした。
幸い(後で思えば幸いだった)待ち合わせた土曜にはもう伊勢市の宿はとれなかったので、少し手前の松阪で一泊して伊勢に向かうことに。

参拝の作法とか順番とか伊勢神宮の予習しようと思っていたけど、直前に仕事が入って予習できなかった。私は事前に学ぶタイプじゃなく、間違いから学ぶタイプなので、まあいいか。
手水舎(てみずや)での作法、鳥居の手前で一礼すること、参道の真ん中は歩かぬこと(真ん中は神様の通り道だから)、お願いごとばかりしないこと(基本的には神社は感謝するところだが、お願いごとしてよい社もある)など出雲大社で学んだ作法と、伊勢神宮は外宮を回ってから内宮を回る、という経験者から聞いたことなどの少ない知識だけ持って、ぶっつけ本番、伊勢神宮。

22 8月, 2013

ぶち切れて、温泉

母の態度にぶち切れし、激怒した。
認知症は重いのは当然大変だが、軽い認知症というのも、家族にとっては意外と扱いが難しい。
認知症だから、そういう態度をとるのか、もともとのひねくれた性格だから、(つまり正気で)そういう態度なのかが判断しがたいのだ。ただでさえ、常に怒りをかかえたような無愛想さでテレビの前に座ったまま動こうとしない母。家の中にブラックホールがあるみたいで、そこだけ重力がすごくて気が重いのだ。
それに加えて、今日の母のある態度に、私はとにかくぶち切れた。
外に聞こえるくらいに怒声を発した私を父はいさめたが、「車貸して。温泉行ってくる。」という私に、温泉の回数券を渡してくれた。
夕食をそろそろ準備する時間だったが、「俺たちはご飯に納豆とか昆布があればよかけん、お前は何か買って食べろ。」と父は言い、食事の準備から解放してくれた。

のんびりしたいときや、とりあえず何かから精神的に避難したいとき、ひとりで出掛けて落ち着く場所が実家周辺にはなかなかないが、車で30分くらいの温泉(http://www.7noyu.jp/)が私の逃げ場になりつつある。
温泉に入って、温泉の食堂で夕食をとって、少しは怒りも収まった。

来た時はまだ明るかったが、帰るときは8時近くて、今回の帰省での初めての夜間運転。マヌケなことに、ライトのつけ方を忘れていた。私も認知症?
温泉の駐車場で、ワイパー動かしたり、洗浄液出したり、ウィンカー出したり、ハンドル周りをいろいろさわりまくって、やっと5分後にライトのつけ方を思い出した。ヤバイですねー。

17 8月, 2013

工作の時間vol.3~S字フック~

 
庭からの日光の照り返しが強く、室内温度が午前9時くらいでもう30度を超える。まだまだ日差しが強い日が続きそうなので、ホームセンターに日よけを買いに行った。2m四方の大きさのが一枚1500円台だったので、掃き出し窓8枚分に対して4枚買って、ひさし部分に設置した。
ひさしと日よけを直接ひもで結んでしまうと、台風時などの強風の場合に取り外ししにくいし、きゃたつに上がるのは老人には特に危険なので、S字フックを日よけ側につけ、棒の先にU字形の針金をつけたもので取り外しできるように工夫した。

日よけを買って帰って設置の段階でS字フックの必要性に気付いたのだが、車とはいえ、炎天下に数秒でも出たくなかったので、太目の針金でS字フックが作れないかと考えた。
そうだ、針金ハンガーがいい。針金ハンガーなら、最初からビニールコーティングしてあるから、錆びにくいし、強度もかなりある。既成のS字フックだと形は変えられないが、針金ハンガーならペンチがあれば形も変えられるし、S字の片側を閉じることもできる。
見本を一個作って、あと十数個は父に作らせた。棒の先につける取り外し用の針金も、私が形を作って、父に棒の先に固定してもらった。十数個のS字フックを100円ショップで買ったとしても、5~600円にはなるので、ちょっとした節約。

16 8月, 2013

ご先祖様、めんどくさいです

実を言うと、お盆に実家に帰ってきたのは10年以上ぶり。
今回は父の体調が悪いことと、いつもは帰る妹が帰らないというので、父からの要請もありお盆に帰った。
祖母が2年前に亡くなり、うちに仏壇を移したため、お盆などの供養はうちでやらねばならない。菩提寺からうちはちょっと遠くなるので住職はうちには来ない。
お盆のお経を寺であげてもらえるよう寺には頼んであるという。お経以外のこともお寺でやってもらえるならお金の払い甲斐もあるのだが、そういうわけにはいかないらしい。
お盆にはご先祖様がうちに戻ってきて、しばし子孫と交流したり(こっちには見えないので実感ないけど)、生前食べていたものを食べたり(お供えの気を食べるらしい。そのため、お供えしたあとの食べ物は美味しくない、と聞いた。)なさるようだ。
つまりご先祖様を接待しないといけないわけだ。

祖母が生きている間は、祖母が全部やっていたので、私たち家族は祖母の家に行き、ただ仏前でお参りしたり、住職が訪問してくる時間に合わせて同席したりして、その後は祖母が用意してくれた食事をして帰るだけだった。
しかし、祖母が亡くなったあとは父がそれを引き継ぎ、今回初めて手伝って思ったが、申し訳ないけど、めんどくさいです。

宗派によっても違うようだが、3日間三食ずつ計九食のお供えを替えるというのだ。幼い頃から十数年前までお盆に参加(?)していたが、毎食、お供えを替えていたことには気がつかなかった。まあ、ご先祖様が同席してる(みたいね。ホント?)と思えば、私たち生きてる人間と同様、毎食出さないといけないのだろうが、
めんどくさいのは動物性のものを出しちゃいけない、ってこと。
野菜の煮付けにしてもダシに鰹節とか入っていてはいけないというのだ。冷房のない台所で煮物をするのは、ただでさえ避けたいのにー。
私は、動物性のものが入ってなければ何でもいいと思うのだが、お寺から郵送されてきた”ご先祖様用お盆のメニュー”と同じにしろ、と父はうるさい。時代時代でメニューも新しくしていっていいんじゃないの?今度、住職に会ったら聞いてみよう。

ちょっと気になることがあったのだが、12日夜から13日午前にかけて変な夢を見た。知らない老人が出てきたのだ。しかも、ちょっと顔が幽霊チックで怖かった。声を出そうとしても出ず、のどから声を振り絞るように「やめてください!」と言った自分の声で目が覚めた。
しばらくして思ったが、祖母の家の座敷に掛けてあった曽祖父かそのまた父親だった人の写真に似ていた気がする。
「今年も来たぞ。よろしくな。」とでも言いに来たのか…。よろしくたのみたいなら、もっと怖くない感じで来てよね。

母方の祖父母にはとても可愛がってもらったので、母方のO家の方には愛着があるのだが、父方のオオバ家の方は祖父母は私たち孫に対して淡白だった(実の祖母には溺愛されたが、私が1歳のとき亡くなったので、祖父の後妻しか知らない。)ので、孫の私の思いも淡白。だからこそ、念押ししに先祖が夢枕に立ったのかも。
今回は暑すぎて体調もイマイチだったため、イヤイヤ感満載で手伝ったけれど、次回からは事前に覚悟してちゃんとやります。たぶん…。

13 8月, 2013

熱中症対策、お早めに

昨夜青春18切符旅で実家に帰りつき、両親がいる居間に入ったら、夜の9時を過ぎているというのに何たる暑さ。
室内温度計を見たら31度。わが目を疑う。その中で扇風機もまわさず、増してやエアコンもつけないでそこに座っている両親を見て、「ああ、こうやって知らない間に熱中症になって倒れてゆくのだわ…」と、ゾッとする。
「暑くないと?」と聞くと、「さあ、わからん…」と母。認知症だからなのか、ホントに暑さを感じないのか…。父も別に暑くない、という。
どう見たって(見るんじゃなくて感じるわけだが)、暑いだろー!!
こんな中で生活しているから、体調こわすんだよー!!
3週間前、アートマンでの販売の初日に死にそうな声で「父さん、具合の悪かー。オマエ帰ってこれんか…」って一週間前まで実家にいた娘に電話してきた父だが、そら死にそーになるでしょうよ!こんな蒸し風呂な部屋に毎日いたら!
下痢が続いて食欲がない、と言っていたので、熱中症か、冷房の効きすぎでおなか冷やしたのか、どちらかだと思ったが、やっぱ熱中症だったのだ。

急いでエアコンをかけて部屋を涼しくしたわけだが、この老人たちの反応からもわかるように、「暑さを感じない」というところに危険がある。そんなに暑くないはずなのに、体は徐々にむしばまれていき、ボディーブローが効くように、体の奥底で病が進行していくのだ。
室内温度計が28度を超えたらエアコンかけてね!!と何度も言うのだが、今日も昼の暑いさなか、「まだエアコンかけんでよか」と言う父。
「だ・か・ら!暑くないと思ってもエアコンか・け・て!!」って何回言わせたらよかとですか!そしてまたエアコンをかける娘。

夕べから今日の昼にかけて食欲がない、と言い、以前はあった生命力のようなものが体から抜けたような感じで、お迎えが近いのだろうか、と思ったくらいだ。
夕方になり、父が今日は一度も外に出ていないことに気付き、スーパーに買い物に行く用もあったので、「一緒に買い物行く?スーパーの中ば歩かんね。涼しかけん気持ちよかよ。」と誘ったらついてきた父。
今日は程よく体を冷やしたせいか、夕飯時は美味しいと言って食べていた。

今日のニュースでも、東京・高輪の老老介護のお宅で老人が二人亡くなり、一人が助かったと報じていたが、彼らも暑さを感じなかったのだろう。だからエアコンはついていなかったのだ。ニュースを見ながら、うちだってありえる事故だと思った。
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昨日Kちゃんちのゴミ箱に捨ててあったのを、車中のお供に、ともらって読んだので、遅いかもしれない(いや、まだ暑いから使える)が、通販生活・夏号は一見の価値あり。熱中症の対策になりそうな生活用品の特集に加えて、6回も熱中症になったという美術家・横尾忠則と医師の対談が面白い。商品以外の記事も意外に充実していて、180円にしてはヘタな雑誌より読み応えある。
落合恵子と松本市長・菅谷昭氏の対談もgood!
http://www.cataloghouse.co.jp/?cid=A01gal22258A01

12 8月, 2013

尾道で途中下車

今年の夏も青春18切符で東京から佐賀県まで帰省旅。
近所の家の片づけを手伝ってもらって
きたという桐のタンスの引き出しを
窓辺に置いて、陳列スペースにしてある。
20代の頃は24時間かけて18切符5枚つづりのうちの1枚(2300円)で帰っていたけど、今はそこまでの体力はなく、必ず岡山か尾道の友人宅で一泊させてもらって帰るようにしている。

今回は尾道のKちゃん宅に一泊。去年、Kちゃんは東京から尾道の家賃一万円の古い一戸建てに引越し、網戸がなかったので網戸を作るお手伝いをした。
二時間半で完成させたにわか作りのハメ殺し網戸だが、一年以上経過した今も網
戸は健在だった。

  昔ながらのポットン便所は板張りで前の住人の手作りらしく、入室と同時に電気がつく仕組み。板にあいた穴は深い奈落のようでもあり、ほどよい緊張感がある。



Kちゃんのアジアの布コレクションでどの部屋もすてきにレイアウトされて、いい感じ。ジャワ島で買ったという電気の傘もいいわねー。
部屋の中のいろんな布や小物を見ながら、Kちゃんと一緒に旅したアジアの国々に思いを馳せた。
またアジアの旅がいつでもできるように、青春18切符旅で足ならしするざんす。

一宿一飯の恩義を受けて九州へ向かう朝、ジャコ入り梅紫蘇おにぎりを握って持たせてくれた。
ごっつあんです! 

02 8月, 2013

万引き

アクセサリーの実演販売を始めて2年半くらいになるが、初めて万引きされた。
1年程前にネットで見て購入したアトランティサイトという、しずく型の形をした石。タスマニア島でしかとれない石で、黄緑と黄色の混じったような色をベースに紫色が斑点のように入っていて、初めて見た時、「こんな石があるんだな〜」と見とれたものだ。
ペンダントヘッドになるようにワイヤーをかけて今回初めて置いてみた。
盗まれたとわかったとき、なんか胸のあたりがズーンとして、悲しかった。同じ石は二度と手に入らないから。

作業に没頭して下を向いていたときだったのか、お客様の会計のためにレジに行っているときだったのか、どちらかだろう…。手に取って見るふりしてそのまま手のひらに握りしめて行ってしまったのか…。
防犯カメラの記録映像を見ることはできる、と言われたが、盗む瞬間を見ると、もっといやな感情が焼き付くような気がして、見るべきかどうか迷っている。

在りし日のアトランティサイト。
葬式の遺影のような気分…。
アトランティサイトとは、鉱物としての名前ではない。アトランティス大陸があった時代の叡智にアクセスできる石、ということで名付けられたものらしい。
石にパワーがあることを知っている(もしくは期待している)なら、怖くて盗めるはずがない、と思うのだが…。だって、盗まれたとわかったときの私の強い念が飛んで行っておりますから…。

返してさえくれれば、訴えたりするつもりはないので、次回10月の販売のとき、手に取って見るふりして、そっと返してくれればいいのに、と思います。

そして、もしも奇跡的に戻ってきたら、売り物にせず手元にずっと置いておきます。

01 8月, 2013

scone palace

貯めたマイルを航空券に替え、先週末からイギリス•スコットランドを旅している妹からショートメールが来た。
scone palaceをインターネット検索して郵便番号を調べて教えてくれ、という内容。スコーンの美味しい店でも探しとるんかいな、と思いながらネット検索したら、お城のような建物の写真が出てきた。それはスコーン屋さんじゃなくて、広大な敷地に美しい庭がある貴族の館だった。日本語では”スクーン宮殿”というらしい。郵便番号、何のため?ナビにでも入れるのか?
スクーン宮殿は、イギリス人の友人のオススメだそうな。
いいなー、いいなー、おらも行きてぇな〜。お土産、期待しとるよ、我が妹よ…。
急ぎの仕事があるのに、スクーン宮殿からあっちこっちにネットサーフィンしてしもた。

scone palace : http://www.perthshire.co.uk/index.asp?pg=134

28 7月, 2013

修理も受け賜ります

アクセサリーの実演販売をしていると、「アクセサリーの修理はできますか?」と、時々聞かれる。ロウ付けとか火を使うような修理はできないが、金具を替えたり、切れたチェーンやテグスなどを交換してつないだりなどのご依頼は受けている。

修理後。
今回、べっ甲のネックレスを持ち込まれた方がいた。
べっ甲のひとつひとつのパーツをつなぐ丸カンまでがべっ甲でできていて、その一つが取れて、べっ甲の色と似つかわしくない金属の丸カンで留めてあった。それが目立つので、目立たない丸カンに替えて、なおかつメッキのはげた引き輪という留め具も14金に交換してほしいとのこと。
金属の丸カンは色が何種類かあるが、どれをはめても目立ってしまう。
首の後ろにくる留め金具の両側のべっ甲の丸カンをはずして、前側にある丸カンの抜けたところに付け替えるのが最善策とみた。でも、べっ甲丸カンは3ミリほどの小ささ。はずすとき割れたらどうしよう〜。
じゃあ、べっ甲の丸カンを職人さんがはめる時はどうするのだろう、と思い、ネットで調べてみた。「べっ甲は成形するときお湯で温めてやわらかくする」と書いてあった。
体温でも少しやわらかくなるそうで、そのため体に添いやすい、とのこと。
なるほろ〜。人間でいうと「爪」みたいなものかな。


さっそく自宅にネックレスを持ち帰り、お湯でネックレスを温めて、ちょっとドキドキしながら、そ〜っとべっ甲の丸カンを両手の爪先でつまんではずしてみた。
割れることなく、かといってグニャともならず、はずれてくれた。
べっ甲丸カンをはずした場所には14金の丸カンをはめた。

拡大鏡で本物のべっ甲を見るのは初めてだが、べっ甲の表面に木目のような筋が見えた。亀が成長したときの名残だろう。これが本物か〜。
修理を受けるときは、自分の作品を売る時よりも緊張する。持ち込まれる方々は、そのモノの安い高いではなく、ある種の思い入れから壊れても手放せないでおられるからだ。中には今回のべっ甲を始め、琥珀や本真珠などもあるので、本物を見て触る機会をいただく。修理をすることで、アクセサリーのどの部分が弱いのかもわかる。
勉強になります。

23 7月, 2013

7月、8月のアートマン

中央の桜のペンダントヘッドは、暮らしのアートギャラリーもえぎでだけの限定販売です
今日23日から29日まで聖蹟桜ヶ丘アートマン、8月1日から7日まで府中アートマンにてアクセサリー製作販売しております。
最近、原石をちょっとずつ買い始めたので、ちょっと標本のようなイメージでディスプレイしてみました。また、聖蹟桜ヶ丘はテーブルが広くて、スペースが空いたため、最近あまり展示してなかった木のコトリも久しぶりに飾ってみました。

イメージは小鳥の絵本。すずめの絵を描いている、とおっしゃるお客様が足をとめて、しばし木のコトリを愛でていかれました。
ちょっと前まで、ディスプレイを考えるのが苦手だったのですが、今回ちょっと楽しくなってきました。

聖蹟桜ヶ丘アートマンでは、お隣りに緻密なデザインがステキな銀細工の造屋(いたるや)さんが、出店してます。
お近くにお越しの際は、お立ち寄りくださいませ。

21 7月, 2013

ねじれ解消だそうで

参議院選挙の投票率は52.55%だったそうで、二人に一人しか投票しなかったことになる。
ねじれ国会は、諸外国との政府間レベルに於いてよろしくない、という記事を見たが、投票率低いことの方がもっとよろしくないでしょう…。投票しなかった人は、オレ一人が投票したって、何も変わんねーよー、って感じなのかな?

かく言う私は、今、アクセサリー販売の準備のため部屋がすごいことになって、投票のハガキが見つけきれず…。
でも、投票所に行った。「ハガキ無くしました…。」って言ったら、即再発行してくれた。身分証明とか必要なし。住所と氏名と誕生日を用紙に記入するだけ。(なりすまし代理投票ができそうな気がするが、身分証明書見なくて大丈夫ですか?選挙管理いいんかい?じゃなくて委員会)
ハガキ無くして行かなかった人もいるかもね。でも、すぐ再発行してくれるから、手ぶらでも行きましょう!!

ねじれ国会という呼び名を誰がつけたか知らないが、ねじれてる方がいいと思うのは私だけだろうか。衆参で与党が違う方が、議論の場が多くていいと思うし、衆参両方とも自民党が与党になったら、自民党のやりたいように事を進められてしまう感満載なんですが…。参議院で否決されても、再度衆議院で三分の二の賛成を得れば可決されるので、衆議院での与党の数が三分の二に達していれば問題ないわけで…。強すぎる参議院と言われているらしいが、強いとか弱いじゃなくて、国会で物事が決まらないのは、ねじれてるからではなく、国会での個々の議員の取り組みそのものに問題があるからじゃないでしょうか。
何でもアメリカを引き合いに出すのはなんですが、日本の親分アメリカでも、上院と下院の勢力が違うのは普通のことだそうな。てなわけで「アメリカの議会はしょっちゅうねじれてるんですね」と、安倍ちゃん、オバマ君に言うてみなはれ。

という意見も空しく、ねじれ解消されたようで…。いろんなことが、これからスムーズに決まるのかな?原発もバンバン輸出するのかな?
輸出した原発の事故の責任は日本側がとる、と約束してるそうだが、それ、恐ろしいこってす。マジ?

今回、個人名を書いた候補者が当選して嬉しい。これまでの私の投票経験上、二度目かな。原発ゼロに向けて頑張ってください。
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(参考)二院制について:http://kotobank.jp/word/二院制

17 7月, 2013

今年も梅ジュース

実家での様子。上の白いのは砂糖。
梅の実は一旦凍らせてから漬け
ると、水分が出るのが早い。
実家に帰っていた間、実家の庭の梅の木の実で梅ジュースにしたら、両親にも好評で美味しかったので、500ccほど東京に送る荷物に入れた。
暑い夏はまだこれからって時に、いくら炭酸水で割って飲むといっても500ccじゃ足りないだろうなー、と思っていた帰京の前日、農産物販売所で黄色に色づいた梅の実2キロ200円を発見!
帰京した翌日、早速砂糖と梅の実だけで仕込みした。ホントは青い実の方が香りがいいけど、黄色の実も香りはする。(逆に梅干しを漬けるなら黄色に色づいたものの方がいいようだ。)
6日目に梅の実がひたひたになるくらい水が上がった。あと一週間くらいしたら飲めるぞー、と思った翌日、外出から夕方帰って見たら、梅の実の上部に何か白いものが見える。え〜?朝は何でもなかったのに〜。

梅の実と砂糖を1:1にすべきところを、砂糖少なめにしたのと連日の暑さのために発酵しはじめたようだった。カビじゃなくて泡だったが、念のため泡をすくって、冷蔵庫に入る大きさの容器二つに入れ替えて、発酵が進まないように冷やすことにした。念のため、お酢も少し加えた。万が一、腐敗だとしても、「ためしてガッテン」で腐敗と食中毒は必ずしも一致しない、と言っていたし、梅の実3個食べたけどお腹痛くならないから大丈夫だと思う。大丈夫じゃなかったら、この記事削除します。

脱水症状対策を呼びかける番組で、水500cc:砂糖20g:塩1.5gでつくる飲み物を奨励していたので、実家で外出の折りは、ステレスボトルに炭酸水で割った梅ジュースに塩ひとつまみと氷を入れて持ち歩いた。砂糖が結構入っているので、塩を入れても美味しい。砂糖はミネラル分が豊富なキビ砂糖を使った。(香りを重視したければ氷砂糖を使うといい。)

16 7月, 2013

切って削って磨いて

最初、「コ」の字型に切って、角を
面取りして、丸くしていく。勾玉の左
にあるのが切断した片割れ。多少でも
磨くと色とツヤが出てきて、同じ石には
見えない。切断時に出た粉は、乳鉢で

もう少しすり潰してニカワと混ぜれば
絵の具として使える。
勾玉制作途中。これで3時間くらいかかっている。
せっかく拾ってきたし、マイスター・ムラタに作り方のコピーももらったし、作らんわけにはいかんやろう、と作り始めたが、ここでしばらく長い休憩に入る。
これは青めのうとしては、質はよくない(質のいいものは相当硬い)ものだと思うが、自分で拾ったものの中で一番色が濃くて、且つ勾玉ができる大きさのもので、ノコギリで切れる硬さのものを手始めに工作し始めた。
ノコギリは大理石やレンガを切る用のもの。
最初、いずもまがたまの里伝承館で販売していた青めのう原石の色の濃いもの(写真上部)を切ろうとしたら、浅い筋がつくくらいでなかなか切れる気配なし。気が遠くなる。暑いのでやめた。

古代人は一体何日(何週間?)かけて作ってたんじゃー?!これだけ時間かけて完成したら、相当私の念が入ることだろう。
一番の難関は穴あけだろうけど、今は考えないでおこう。
作業の続きは、たぶん8月か9月かな〜。ゆっくりやります。
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出雲でしかとれない青めのうとは、厳密にはメノウではなく、ジャスパーに分類されるようだ。伝承館の通販ページでは「青石(グリーンジャスパー)」と表記されている。そして希少価値が高いために、普通のメノウと比べて、お値段もひと桁以上大きゅうございます。

青石採取の様子→http://obarie.blogspot.jp/2013/06/blog-post_24.html

15 7月, 2013

月船deワークショップ vol.18

水色の石は、水晶を熱処理して人工的に
つくられたもの。オーラクリスタルと
呼ばれている。
本日のワークショップに参加されたお客様は、曾(ひい)おばあさまの形見の珊瑚の玉をお持ちになりました。
ひいおばあさまが幕末の頃に手に入れたものだそうで、かんざしにするためのものだったとか。そのため、玉には穴があいています。
おばあさまが受け継いで持っておられたようですが、結局何もつくらずしまってあったようで、おばあさまが亡くなったとき、遺品の中から同じ珊瑚の玉がいくつか出てきて、伯母さんや伯父さんたちと分けたのだそうです。
桃色、とでも言うのでしょうか、ピンクという感じじゃないですね。
とてもステキなペンダントができて、曾おばあさまもきっとお喜びでしょう。
こんな小さな一個の玉に、一族の歴史を垣間見ました。

14 7月, 2013

出雲の思い出

色が濃ければ濃い程、硬度が増すようだ。
ただ色が濃くても不純物が混ざっていると
その部分が割れやすい。白っぽいのは
メノウとは言えないが、色がキレイだった
のでワイヤーを施してみた。
ひと月前、出雲市のお隣、松江市の玉造温泉にある花仙山では古代より青めのうを採掘していたという話しを聞いて、採掘跡に石を拾いに行った。
その場所では、さすがに採り尽くされて質のいいものはないけれど、不純物が混ざったものなら多少落ちていて、それを拾ってペンダントヘッドをいくつか作ってみた。

海岸で見つかる波によって磨かれた石は別として、拾った石は多少でも磨かないとそこらへんの砂利石と変わらない外見であることが多い。
でも、磨くときれいな石の肌が現れてくる。石に魅せられる人は、この瞬間がたまらないのかもしれない。

おもて面だけサンドペーパーで磨いてワイヤーをかけた。剣(つるぎ)の形のように見える石は一番のお気に入りだが、もう嫁ぎ先が決まっている。持つ人を守ってくれそうな雰囲気がある。

あの時、山に拾いに行かなければ、今頃あの草ぼうぼうの山の中で土に埋もれていた石ころだと思うと、感慨深い。
本当は自分で石を採取して、磨いて、アクセサリーに仕立てるのが理想なんだろうなー、と今回の経験から思った。実際問題、難しいけど、そういう「出会い」の制作の仕方も心がけていきたい。

11 7月, 2013

iPhoneの怪 その2

iPhoneの着信音で飛び起きて、反射的に電話に出た。
暗闇で光る画面には去年知り合って2〜3度会ったことのあるデザイナーUさんの名前が表示されている。Uさんと最後に会ってから1年近く経っていて、その間連絡し合ってない。
電話は雑音が激しくて、全然聞き取れない。雑音の遥か彼方で相手が話しているような音声が切れ切れに聞こえるが、判読(聞?)不能。
私は何度か「もしも〜し!」を繰り返した後、「聞こえませ〜ん」と言って電話を切った。
切った直後に、着信時間を見たらナンと3時37分!
じぇ〜っ!こんな時間に何の用だ?
でも、考える間もなく眠くなったので、また寝た。

朝起きて着信記録を見たら、やはりUさんから3時37分とあった。夢じゃなかったのか、と思いながらも、今日は東京に戻る日なので、バタバタと準備して実家をあとにした。
福岡空港へ向かう電車の中で、Uさんにメールしてみた。Uさん、少々かわってはいるが、真夜中に電話するような非常識な人じゃない。

私「今朝方、Uさんから3時37分に着信あったんですが、全く聞き取れませんでした。電波障害じゃなくて、もしかして…」
Uさん「本当だ…。発信履歴があります。確かにこの時間はまだ仕事してたけど、こんな夜中に電話もメールもしないし、携帯を触った記憶もないです。不思議。」

多少予感はしてたけど改めて、ゾゾォ〜〜〜 (O_O;)
それ、”フシギ”じゃなくて”ブ・キ・ミ”。

Uさんは、瞬間移動したり、路地裏で弥勒菩薩に遭遇したり、とコテコテの霊感人間だが、私には霊感はない、はず。
iPhoneで二度あることは三度あるだろうか?”iPhoneの怪・その3”はどうかカンベンしてほしい。(iPhonの怪その1はコチラ
どちら様かは存じませんが、何かご用でしたら、電話する力があるんならせめてメールにしてけろね。ラインでもええよ〜。
その方が、何言いたいのかわかるからね〜。(いや…、もっとコワイかな…。)

09 7月, 2013

何のための書類なのか

各電力会社が、原発再稼働のための申請書類を提出するニュース映像の、分厚い書類の束を見て、ふと昔々のことを思い出した。
原発の申請書類ほど分厚くはないけど、そうさなあ厚さ1センチ以上あったかなあ、かつての夫と国際結婚して夫を日本に連れてくるとき、入国管理局に提出した書類のことを。

国際結婚と言うてもいろいろで、相手が欧米人の場合と東南アジア人の場合では日本で同居する場合、ビザ申請に於ける難易度が違う。ま、早い話が東南アジア人だと偽装結婚で入国して不法就労するケースがあるからなんですが、「偽装じゃなくてマジな結婚です」っていうのを証明しないといけない。
出会いから結婚までのプロセス(なんか書いててコッ恥ずかしくなる。三文恋愛小説のあらすじ書いてるみたいな。)とか、なぜ結婚して日本に住まなくてはいけないのかという理由書(あたしが日本人なんだから住んでもいいだろ?!と言いたくなるよ、全く。相手が東南アジア人だと、”愛し合ってる”ってだけじゃ理由にならないのだ)とか、ツーショットの写真3枚とか、証明してくれる第三者が書いた”偽装じゃない”という証言とか、私の在職証明書(フリーだと信用してくれない…)、所属する会社の登記書、住む家の間取りまで(同居を始めた後で、夫婦を同時に呼び出して別々に面接し、ホントに一緒に住んでるかどうかを確認するために使うようだ。私たちは、面接まではなかった。)いろいろ。

最初のビザ申請の時は、”ビザ取得ができる書類申請”の知識はなかったので、ビザ取得ならず(日本とネパールで一年間別居)。二年目は専門家に相談してアドバイスを受けながら書類作成し、やっとビザ取得した。

で、こんな個人的なことをつらつら書いて何を言いたかったのかというと、そのアドバイスをあおいだビザ申請の専門家Uさんがおっしゃったこと。
「長年この仕事していて思うんですが、この分厚い書類は本当の結婚をする人のための書類じゃないんですよ。この書類はお役人のための書類なんです。例えば、ビザを持ってる外国人がトラブルを起こしたり、偽装だったことがバレたりしたとするでしょ?当然、役人に対して非難がいくわけです。なんで、こんな外国人にビザを与えたのか、と。その時、この書類の束を見せて役人は言うんですよ。”ほら、どこにこの書類を疑う余地があるんですか?これだけの書類が揃っていればビザを出さないワケにはいかないでしょう。”という言い訳につかう書類ですよ。彼ら(役人)は責任をとりたくないんです。
どんなに書類のハードルを高くしても、書類で偽装を見破ることは実際できていない。主に偽装結婚で外国人を入国させているのは暴力団であり、暴力団は隠れみのの会社をいくつも持っていて、書類作りはなんてことない。(原子炉での労働者集めに暴力団が深く関わっていることも忘れてはならない。)
偽装じゃないとしても、後々犯罪を犯さない確証はないわけで、役人もそこはわかっているはずだ。

原発再稼働の申請書類の束を見て、その束が、ビザ取得のための申請書類と同じ性質のものでなければいいが、としみじみと思った。Uさんの言葉の、外国人を原発に、ビザを再稼働許可に置き換えて読めるような気がするのだ。
本当に”事故を起こさない”ための書類になっているのかどうか…。
”事故を起こさない”証明なんて不可能なのだ。

24 6月, 2013

青メノウを探しに in 花仙山

「いずもまがたまの里 伝承館」で勾玉作り体験をした後、ひょんなことから、古代から青メノウを採掘していたという花仙山へ行くことになった。
勾玉職人・マイスター村田氏が事務局のスタッフ(営業Aさん)に、頼んでくれて、花仙山のメノウ公園入り口まで車で乗せてってくれた。

「めのう公園」という小さい標識のところで車を降りた私たちは、15分くらいの道のりと聞いて、看板のすぐ横の階段を登り始めたが、道を行くにつれ、雑草が道の両側から覆いかぶさるように生えてきており、長い間人が通った形跡がない道だと感じられた。

そりゃそうだろねー。今も青めのうが採れているならまだしも、今は採れてないし、単なる採掘跡だからね。でも、マイスター・ムラタは、採掘跡の周辺をよく探すと落ちてる、って言ってたし…。
と、気をとりなおして登る。すると階段に何か固まりが…。

じぇじぇ~っ!動物の死骸!!
見たくないのに、なぜかよく見てしまう。干からびてるが、タヌキの死骸のようだ。天敵に襲われたのか、からだの半分がない。タヌキの天敵ってなんだ?クマか?野犬か?
人間の死骸じゃなくてよかった…、とまた気をとりなおして進む。
一人なら回れ右するところだが、3人いるので誰かが「帰ろうよ~」と言うまで登り続けよう的な空気。たぶん半分はきたから、きっともうすぐ…。

下が私が拾った石。混ざり物が多く、均一では
ないのがわかる。上は、伝承館で販売されていた
青めのうの原石。同じ花仙山で最近見つかった別の
鉱脈から採れた青めのう。下のに比べて、色が濃く
混ざり物が少なく質が均一な感じ。
そして、そこから先はコンクリートの階段が見えないくらい両側から葛(クズ)が生い茂り、歩きにくくなってきた。
ぞーり履きで来ていたHさんが遅れだし、しばらくしてかなり背後から「やだ~、足が痛い~」と声をあげた。そりゃ、ぞーりでこの道は痛いよねー。でも痛いだけで、帰りたいわけじゃないよね、と先頭の私は判断し、めのう公園の道しるべも見えたことだし、聞こえないふりして前進。

ほどなく目的地に到着。Hさんも5分くらい遅れて到着。
そこには、人がちょっと頭を下げて入れるくらいの奥行き4~5mくらいのトンネルの先に鉄格子がはまった空間があり、そこが古代からのメノウの採掘跡らしい。

トンネルの作りがきれいじゃない、ってゆーか、どこの管轄で作ったものか知らないけど、トンネルの中は正直言って薄気味悪い。これじゃ、観光客は来んでしょう…。採掘跡の説明板もないし。

しかし、私たちの目的は青めのうを探すこと!トンネルの外の地面を足先でちょっとほじくってみたりすると、青緑っぽい石が確かにある。
質が良いとされるのは、濃い深緑色のものだが、当然そこにはもう質のよいものはない。が、明るい色で成分が均一ではない混ざり物が入ったメノウはたくさん落ちていた。それでいいのだ。
私自身は明るい青緑色の方が好きだし、成り行きだったけどここに来れただけでも嬉しかったから。

目的を果たした私たちは、陽も傾いて薄暗くなった道を戻り、車道に出た。そのとき、目の前の信号で営業Aさんの車が信号待ちしてるでないのー!私たちに気がついたAさんは、手招きしてくれた。
「帰りは駅まで歩いて帰ってくださいね。」と言われていたのに、なんという偶然!私たちは「神の計らいだわ!」と言いながら、車に乗せてもらったのでした。
ありがとう!営業Aさん!(「帰りに乗せたこと秘密ですよ」と言われたけど、嬉しいので書きました。私のブログ見て行く人はいないでしょうから、バレないですよ~。たぶん大丈夫~)

23 6月, 2013

勾玉作り体験

出雲大社で参拝して、お蕎麦食べて、稲佐の浜(旧暦の10月10日に、この浜から全国の神様が上陸するそうです。すごいなー。)をウロチョロした後、出雲大社前駅から電車で約1時間15分くらいの、かの有名な玉造温泉へ勾玉作り体験(800円)に行った。玉造温泉駅に着いたら、まず「いずもまがたまの里 伝承館」に電話して体験したい旨伝えると、伝承館による無料送迎、もしくは駅前からタクシーに無料で乗れるのだ。

玉を磨く作業は、己の魂を磨く作業に
通じるものがあるかも。手をかけているうち
に、愛しくなってくるのです。視線を前方に
向けると、そこは宍道湖。作業に疲れたら
水面をぼんやり見るもよし。
我々3人を指導してくれたのは、心優しいソフトな関西弁の勾玉職人村田さん。
天然石で勾玉を作れると勝手に思い込んで行ったら、当然ながら硬い石を加工するには技術も時間もかかりすぎるってことで、蝋石(ろうせき)という加工しやすいやわらかい石(石は石。天然の。)を使用した体験だった。
一瞬、なーんだー蝋石かー、なんて頭の中でつぶやいたものの、15秒後には勾玉作りの鬼となって、血相変えてハマッてた。
3人ともおしゃべりもせずにマジメに作業するのを見て、「普段、何かモノ作りされてるんですか?なんか、そんな感じが…。」と村田さん。
「ハイ、そうなんです。ちょっと気合入ってまーす。完璧、目指しますよォ~。」なんて、多少ノリで言ったつもりが、村田さんは本気で受け取ってくれたみたいで、虫眼鏡で見ないとわからないような磨き残しの細かい傷まで見つけて鉛筆で印つけて、熱心に指導してくれた。


玉造温泉には、今ではほとんど採れなくなったという古代から最も貴重とされる青メノウを産出した花仙山がある。縄文時代から採掘されていた採掘場跡として保存されているめのう公園の場所まで教えてくれた。

1時間ほどで勾玉も完成し、修了書をもらう時に「ありがとうございます。じゃ、いつか機会があったら行ってみます。」と締めくくって去ろうとすると、「あ、今からめのう公園の入り口まで車で送ってもらえるように、事務のものに頼んできますよ。」と、村田さん、事務室へ行ってしまうでないか。
ええ~?私ら石を探しに行くほどの気迫に満ちておりましたか?
どこで採れるか場所は聞いたけど、行きたいって言ったっけー?と思いながらも、同行のHさんKさんに言うと「行ってみようかー」と言う。じゃー、せっかくだから行くか~、と何か目に見えない力に導かれるようだった。
しかも村田さんったら、青めのうで勾玉作りをした大学生の体験レポートをコピーまでとってくれて、「使う道具とか載ってますから、これ見ながら作らはったらええ思います~。」とやんわりとした関西弁でありながら、なにげに強力に薦めてくれる。なんだかやっぱり導きの力を感じたのだった。

Hさんが、どこで見たのか「村田さん、ドイツで修行してきたんだってー。スタッフ紹介のとこに書いてあったよ。」と言うやいなや、‘‘石をこよなく愛する石オタク‘‘のナイスキャラな職人さん、という認識から、「へ~、じゃあマイスター・ムラタ?すごいねー。ドイツのドの字もおくびにも出さず…。」と、急に肩書きに左右され尊敬の念を抱くゲンキンなオーバリーでありました。(実際の肩書きは、ドイツ宝石学協会会員だそうです。)

しかし、道なき道(道はあるが、え~?ここ行くわけ~?みたいな道…)を行くことになろうとは…。(続きは、また後日…。)

でも、行ってよかった。ありがとう、マイスター・ムラタ。

22 6月, 2013

じぇ! in 出雲大社(の池)

旅の思い出写真館 ~何だろう編~


出雲大社の本殿での参拝を終えて、「蒸し暑いし、お腹もすいたし、お蕎麦でも食べに行こうか~。」と言いつつ、菖蒲の花が咲いていた池のほとりで小休止していたときに、ふと目に入った得体の知れないうごめく物体。

「じぇ!」と言いたいところだったが、あいにくその時私はまだ「じぇ」を知らなかったので、「何、これ~?!」と言いながら観察。

その池にはアメンボがたくさんいて、アメンボがアメンボに乗っかって、そこにまた次々とアメンボが乗っかって乗っかって団子状になっているのだった。

アメンボは幼少のみぎりから川や池でたくさん見て知っていたが、こんな行動を見たのは初めて。よく沈まないものだなー、と感心する。

次々に乗っかるのだが、抜けていくやつもいて、常に同じくらいの大きさの塊を維持している。繁殖行動?縁結びの神の御技?

アメンボのあまりの不思議さに美しい菖蒲も見ないまま、蕎麦屋に向かいました。

21 6月, 2013

現代アート? in 出雲大社

旅の思い出写真館~島根編~


出雲大社境内のおみくじ販売所の前にて撮った一枚。

これぞ現代アート。
ご神木に結び付けられたおみくじは、人々の願い、欲望を表現しております。
天にそびえるご神木は、神とつながる一本の道にも見えます。

しかし結局のところ、人間の手にとどく高さにしかおみくじを結びつけることはできません。
神と人間の関係がここに如実に現れております。

20 6月, 2013

病院に泊まった夜

18日に手術した母に付き添うために、18、19日と続けて母の病室(個室)に泊まった。
私自身は入院の経験もないし、生まれて初めての病院でのお泊り。
病院は完全看護だから、泊まれるとは思ってなかったところに、看護士さんに「お泊まりになりますか?」と急に言われ、「ええ、じゃあ…」という感じで泊まることに。
折りたたみの補助ベッドを貸してくれるというので、当然毛布もあるのかと思ったら、「寝具は持参していただかないと…。お聞きじゃなかったですか?」、と言われ、「「そんなこと聞いてないよー。もう夜8時半なのに今から寝度具取りに帰れっちゅうんかい。」」と、思い切り顔に書いてみた。家は近いんだけどね。古くて大きい夜の病院をうろうろしたくない…。ある理由から、少々怖くもあったので…。

母の麻酔が切れた後、もし寒がった時のために用意されていた電気毛布が部屋の隅に置いてあったので、「母は寒くないみたいだし、借りていいですか?」と、ほとんど私の体に毛布を半分かけながら言ったら、看護士さんは「本当はダメなんですけど…」と言いながらも‘‘暗黙の了解‘‘な空気だったので、私は「「本当はダメなんでしょうが、借りますよ」」と、また顔に書いて毛布にくるまった。
それにしても硬いベッドだった。まだ畳の上に寝たほうがマシだと思うくらい硬い。それに、尿道カテーテルがつらくて30分置きにうなる母に声かけたり、背中さすったりして、ほとんど寝れなかった。

真夜中には、近くの病室の誰かが徘徊してたみたいで、母の病室のドアのすぐそばが非常口になっているのだが、そこから出ようとしている人をなだめすかして看護士さんが連れ戻していた。一瞬、病室に入ってこられたらどうしよう、とちょっとドキドキ。夜中の1時くらいだったから、看護士さんも大変だ。

翌日気がついたが、ナースステーションの壁に、看護士1人に対して何人の患者さんを看ているかが時間別で書かれていた。夕方から朝方にかけては看護士1人に対して14人の患者さんを看てるようだ。そら大変だわな~。

硬い補助ベッドで寝るのは二泊が限界。体中が痛くてもうダメ。幸い、母は尿道カテーテルがはずれたら、体調がよくなったので、三日目は泊まる必要もなくなった。二泊目のために家から持参した毛布とバスタオルと枕を大風呂敷に包んで帰った。

14 6月, 2013

出雲大社へ

東京から出雲大社への直行の夜行バスで朝9時ちょっと前に出雲大社の駐車場に到着。
1日早く松江に来てヤングイン松江に泊まった友人二人と出雲大社前駅で待ち合わせ。ヤングイン松江のオーナーからの「駐車場から本殿に直接入らず、大鳥居から参道を通り本殿に向かうように。」というアドバイスに従い、三人で待ち合わせしていた駅からさらに大鳥居まで戻って、大鳥居前で一礼して参道を歩き始める。
同じ夜行バスで見かけた一人旅のバックパッカーの女性も、駐車場から1キロ以上の道のりを大鳥居まで歩いて戻っていた。
参拝作法→http://zock.sakura.ne.jp/shrine/sanpai.html

本殿入り口前にある手水舎(てみずや)で手と口をすすぎ、ついでに参道の勾玉屋さんで買った家族4人分の小さい勾玉にも水をかけて清めてみた。

本殿前は人また人のかたまりで、ざわざわしてるし、蒸し暑いし、で、なかなか神様とつながれる感じがしなかった。いくら万能の神様でも、こんなに沢山の人間がいっせいに押しかけてガヤガヤ騒いでいたのでは、なかなか思いが届かないのではなかろうか?
でも、ふと本殿から視線を上に上げると、禁足地であるという神聖な山が本殿の後ろにそびえており、その山の低いところに立ち込める雲のあたりに、何かが居るような雰囲気が漂っていた。これを人がまばらな早朝に見たら、幻想的だろな~、って感じ。

参拝は朝6時から可能なので、団体の観光客が朝食を終えて集まり始める8時半くらいまでの間に参拝すると、すがすがしい空気をからだいっぱいに浴びることができると思った次第。また、いつか出直しますよ。早朝に。

とにかく人が多い。60年ぶりの遷宮とあってテレビなどでも話題になったせいか、平日にもかかわらず観光バスで次々と人がやってくる。8年くらい前に来たときは、こんなに人は多くなかったような…。そのときは参道の店も早々と閉まって、参拝の帰りに腹ごしらえしようと思っていたら5時にもなってなかったのに食いっぱぐれた記憶がある。

「地元の人間は出雲大社には行きませんよ。」と、その日の夕食のあと立ち寄った松江市内のカフェのマスターの一言が印象的。
ここ数年で出雲大社の参道の雰囲気は大きく変わったという。
確かに8年くらい前に来たときと比べるとおしゃれな雰囲気のお店が増えていた。
出雲地方で有名なお蕎麦も、「出雲大社に近ければ近いほどまずくなる」とは蕎麦好きマスターの弁。
地元としては観光客にはたくさん来てほしい。でも、人が増えれば、神社境内のすがすがしさは感じ難くなる。ジレンマですなー。

次は、誰もが「よかったよ~」と言う、伊勢神宮に参りたいと思っているのだけれど、とにかく、神社行くなら早朝ね

12 6月, 2013

何処(いずこ)へ? 出雲へ

昨日、国立のヒーリンググッズのお店・月船さんでワークショップを終えて、先月知り合ったばかりのHさんとKさんとで雑談してた。
Hさん「オーバリちゃん、実家に帰るんでしょ。」
オ「そう。あさっての夜行バスでね。途中、出雲大社に寄って帰るのよん。」
Hさん「出雲大社かあ。行きたいな〜。」
オ「そう?じゃ、一緒に行く?」
Hさん「行こうか。Kさんも行こうよ。」
ということで、とんとん拍子とはこういう感じなのか、旅の道連れができた。
諸事情から、彼女らは一足先に向かい、出雲大社の入り口で待ち合わせることに。

私はまだ交通機関も宿も予約してなかったので、帰宅後ネットで夜行バスと宿を予約。
Hさんの「宿はひとり3000円くらいのがないかなー」というリクエストに応じて探してみたら、松江(出雲大社から電車で1時間)にあった。激安!一人一泊(素泊まり)2500円!ドミトリじゃない、ちゃんと個室。
その名も”ヤングイン松江”。私らヤングじゃないけど、泊まらせていただきます。

母が手術するので、治癒祈願と私の諸々の祈願をしようと思っているのだが、友人から聞いた話しによると、本来神社ってお願いごとするとこじゃないらしい…。
そうなの?
でも、お願いしちゃうよ〜。

そして、出雲大社は「二拝四拍手一拝」だそうです。参道(これは全ての神社も同じ)は真ん中を歩かず端を歩く、とか作法があるので、予習せねばです。
作法はこちら→http://izumooyashiro.seesaa.net/article/135743365.html

さて、どんな寄り道になりますやら…。

11 6月, 2013

月船deワークショップvol.16&17

台風が近づきつつある不安定なお天気の中、本日のワークショップはリングとペンダントヘッドの二枠で、合計7名様にご参加いただきました。
うち二名様は二回目のご参加で、前回の講座で習得した技で、ご自宅で制作されたという美しいサンキャッチャーを見せてくださった方もいました。

今回もいろんな石が集まりました。
お父様が出張先のブラジルで買って来られたという石や、ご自身で行かれた旅先のセドナで買い求められたという石や、私も初めて聞く名前の石(メモしなかったら忘れちゃった…)など、いろいろです。
石に詳しい方やそうでない方も、時には石談義に花を咲かせながら、時にはだまって集中しながら2時間があっというまに過ぎて行きます。

石は、人の想念や波動を記憶すると言われています。
クォーツ時計というのがありますが、”クォーツ(水晶)に交流電圧をかけると一定の周期で振動する”という性質を利用した時計です。
人の体も生体磁気を発しているので、そんな人間が石に触れれば、クォーツ時計とまではいかなくても、石は人間の波動(想念)に反応するはずです。
以前、黒魔術の力を受けて、身につけていた石の指輪が割れて弾けとんだ経験(バリ島・トゥガナン村での出来事)を持ったひとのお話しをご本人から聞いたことがあります。指輪がその人を守って身代わりになったというわけです。

愛情込めて一生懸命作った石の指輪やペンダントは、それを身につける人のお守りとして働いてくれる、と私は信じています。

08 6月, 2013

映画「幸せパズル」

〜今週の名画座・キネマ大羽〜

今まで”誰かの妻”、あるいは”誰かの母”としてしか生きていなかった女性が、シグソーパズルを通して個人の”私”として精神的に自立していく物語。

マリアは50歳の専業主婦。もう愛の、恋の、という間柄ではないけれど、それなりに夫に愛され、二人の息子たちもそれぞれ自立しようとしている、ごく普通の中流家庭の主婦だ。ある日、誕生日のプレゼントにもらったジグソーパズルにマリアはのめり込む。

それなりに幸せだった毎日。それは今も変わらないはずなのに、マリアの心はひそかにざわつき始める。
次男はガールフレンドの影響でベジタリアンになり、マリアの作った肉料理を批判するし、長男は家を出ると宣言するし、夫はパズルに夢中なマリアを理解しない。今まで、妻であり、母であったのに、その肩書きさえなくなっていきそうな、なんだか誰からも必要とされないようなちょっとミジメな気分になっていた。



自分に意外な才能があるのを自覚したマリアは、パズルの大会に出場するパートナー募集の広告を目にして応募する。
広告主は独身紳士の大富豪ロベルト。マリアの才能を目にしたロベルトは、マリアとともに大会を目指すためのトレーニングを開始する。才能を開花させるマリア。
でも、家族に内緒でロベルトの元に通っていたマリアは…。
というストーリー展開だ。



マリアのパズルを触る仕草がいい。
まるで、パズルのピースを愛撫するように触るのだ。
パズルのプレーヤーにとって、まず絵の縁取りから始めるのが定石らしいのだが、マリアは絵の中身から手をつける。
マリア以外のプレーヤーが、パズルをシステマティックに”組み立て”ているのに対して、マリアはまるでパズルで絵を”描いて”いるように見えるのだ。
マリアの「ナゼ、絵を見ないの?」という言葉が印象的だ。

パズル大会ではマリアの異端ともいえる方法で、ぶっちぎりの勝利を収めるマリア・ロベルト組だったが、ロベルトとお互いに魅かれ合っていたマリアがとった選択とは…。というのがこの映画の山場かな?

実際のところ、ロベルトと一線は越えるのだが、その先が肝心。
夫を捨ててロベルトの元へ行くのか、ロベルトのことを断念して夫の元に戻るのか、なんていう、今までの不倫映画とはちょっと違う終わり方をする。
最初、???、この終わり方は何?と思ったが、これこそが監督が伝えたかったことだったのね、とエンドロールの映像を見てるうちに気がついた。
誰かの妻、誰かの母、誰かの恋人、のいずれでもなく、マリア自身であることをマリアは選んだのだと。

でも、簡単にそこに到達したわけじゃない。胸が張り裂けそうな気持ちを抱いて、泣いて、悩んで、選択したのだ。
終始軽妙な音楽とともに、女性監督らしい優しいタッチで物語は展開するのだけれど、最後にさわやかな風が吹いたような気がした。

05 6月, 2013

ルーン

ルーン文字はヨーロッパの古い文字で、主にゲルマン民族が神にお伺いをたてるときに使ったとされる神託の道具でもあった。
「シゲル」に似ているこの文字は、イチイの
木を意味する「ユル」。イチイは弓矢の材料で
あったことから、「死」や「防御」を意味する
が、死は肉体の死ではなく、「物事の死、そして
再生」という解釈がなされる。また、目標に向かっ
て飛んで行く、つまり目標は達成される、という
解釈もある。
遺跡などから見つかっているこれらの文字を考古学や文字学の専門家が研究して、文字が象徴するもの(意味)はわかっている。また、占うときは、木片や石にこの文字を刻み付けたものを地面にばらまき、表に出たものをリーディングする、という方法をとっっていたようだが、当時どうリーディング(解釈)していたのかまでは伝わっていない。

鏡リュウジの本の中のコラムを読むと、ナチスのシンボルだった”ハーケンクロイツ”は、ルーン文字を組み合わせて作られたものだ、という記述がある。

アルファベットの「S」に似た文字を二つ交差させて「ハーケンクロイツ」にしたというこの文字は「シゲル」というルーン文字で、占いでは太陽とか完全性を意味する。このルーンを占いで引いた場合は、物事が好転するなどいい意味ではあるが、太陽の光やエネルギーは、人工的な光に比べてはるかに巨大なことから、力(エネルギー)の扱いを間違えないように、という注意が添えられている。
そんな「シゲル」を二つも交差させたうえに、民族浄化など異常な方向へ走ったナチス党は、力の使い方を間違えて自滅したと言えるだろう。

ハーケンクロイツの元に
なったという「シゲル」。
私の誕生日に相当するルーン
文字になっとります。

ルーン占いは本を書いている人によって多少解釈が違っていたりするし、象徴するもののイメージをふくらませていくところはタロットにも似ている感じで、一筋縄ではいかないところもあるが、知れば知るほど面白い。

昨日、二人のお客様にルーンを引いてもらった。神様にアドバイスをもらいたい事柄について心の中で念じながら引いてもらったのだが、私はお客様が何について聞いたのかは聞かず、それぞれの方に文字の意味を本を参考にしながらお伝えしたら、お二方とも「あ、私が聞きたかったことの答えになってる。そう、それが聞きたかったんです。」とおっしゃった。
ルーン、奥が深いのお〜。

02 6月, 2013

6月のアートマン

昨日から6月の府中アートマンでのアクセサリー販売、始まりました。
昨日も今日も写真撮り忘れ…。

今日は、遠くにお住まいでたまたま通りかかったとおっしゃるお客様が緑色をした石(クリソコラ)とブラックオニキスの組み合わせのブレスレットに目をとめられて、同じ石でネックレスをオーダーされました。
なんでもそのお客様は今年が大殺界だそうで、難を避けるためには緑色のものを身につけるといい、と言われたそうです。
同行のご友人のためにもブレスレットをオーダーなさいました。
これで大殺界もきっと乗り切れます。
好みの野菜と塩昆布を容器に入れて、シャカシャカ
振るだけ。袋には50回って書いてあったけど、一応
100回振ってみた。簡単な割には美味しい。次回
塩こん部長おすすめの、そうめんチャンプルーも作っ
てみようじゃないの。 

話しは変わって、帰りにスーパーに寄ったら入り口付近に塩昆布が置いてありました。
”塩こん部長”というサブネーム(?)とたたきあげ風な部長のイラストが目に入り、思わずカゴに入れてしまった…。
部長、お料理なさるのね、ス・テ・キ。

塩昆布は好きじゃないので、今まで買ったことないです。
塩昆布で浅漬けできることは友人に聞いて知っていましたが、別の方法でも浅漬けできるし、と思っていたのでした。
そんな私が思わず買ってしまうなんて、イラストとネーミングの力って偉大ね。

私も次回のアクセサリー販売ではイラストとネーミングでお客様を釘付けにしたいわ〜。

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塩こん部のブログもあるのね〜。もしかして有名なの?うちのテレビ、写らないから知らなかったわー。レシピ、いろいろ。
http://shiokombu.com/blog/

27 5月, 2013

iPhoneの怪

先々週知り合ったばかりのAさんのお宅に伺うことになった。iPhoneのアドレスにAさんの住所や電話番号を入れ、iPhoneのナビ機能で経路を確認しながら20分ほどの道のりを駅から歩き始めた。駅から真っすぐの道が高速道路をくぐるような五叉路の交差点にさしかかった。高速の真下が交差点になっているのである。今から渡ろうとしている道の次の道とまたその次の道の間の角に交差点を見据えるように一つの墓石が立っていた。
コンクリート塀を背にしているその墓石は囲いも何もなく、歩道と同じレベルに直置きされた光景は異様な感じがした。墓石には花が添えられていた。私には霊感はないが、高架の下の空気が淀んでいる感じがした。
昼間でも薄暗い高架下の墓石の前を通り過ぎないと目的の道を行くことはできない。回り道をすることまで頭がまわらなかった。左手にiPhoneを持って地図を見ながら、なるべく墓石にフォーカスしないように歩いたが、やっぱり気持ち悪かった。
交差点をあとにしてすぐ公園があったので、休憩がてらベンチに座って水分補給した。再び経路を確認しようと、さっきポケットに入れたばかりのiPhoneを取り出したら、すごく熱を持っていた。あれ〜、と思ったら、画面が真っ黒。電源切った覚えはないし、ポケットに入れていただけなのに…。
さて、困った。行く先の住所は町名までは憶えているが番地までは憶えていない。何度ホームボタンや電源ボタンを押してもウンともスンとも言わない。そして相変わらず、本体が熱い。もしやバッテリーが高熱を発して煙が出るのでは? 爆発したらどうしよう、などとちょっと心配になる。

Aさんから朝方届いたメールには、バスで来るならナントカ小学校前停留所で降りて、って書いてあったよなー、と思い、交番があったのでお巡りさんに聞いてみた。そしたら、ナントカ小学校前停留所は二つあって、小学校名は憶えてないのか、と言う。憶えてないわよー、バスに乗らずに歩いたんだからー。交番で20分くらい地図を見ながら、記憶をたどろうしたが無駄だった。

Aさんの連絡先を知っていそうで、かつNTTの電話番号案内で探り当てられるのは、国立のヒーリングショップの月船さんだけ。それを話したら、お巡りさんは、月船を自分の携帯電話のネットで検索してくれて、月船さんの電話番号だけは教えてくれた。電話は使わせてもらえなかったので、交番から一番近いという八幡さま(神社)の入り口にある電話ボックスへ急いだ。
公衆電話から月船さんに電話してAさんの連絡先を聞いたが、携帯メルアドしか知らない、とのことだったので、「オーバリーの携帯が急にこわれて、お宅の近くで迷子になって八幡さまの電話ボックスにいる」と月船さんからAさんにメールしてもらうようお願いした。5分後くらいにまた月船さんに電話して、Aさんから返信がないかを確かめたが、返事はまだだという。また5分後に電話します、と言い、電話を切って周辺をうろうろしていたら、遠くにAさんらしき人影が見えた。月船さんからのメールを見て、八幡さまあたりを探しに来てくれたのだろう。
Aさんに駆け寄ってiPhoneを見せながら説明しようと彼女に向かってiPhoneを差し出した途端、画面が復帰したのだ。その時、ホームボタンも電源ボタンもさわっていない。
鳥肌が立った。約束の時間から1時間もたっていた。

Aさんは「セージで浄化、浄化…。」と言いながら家に入り、すぐにセージの葉を出して来てくれて、火をつけ煙でiPhoneを浄化してくれた。

これがもし霊的なものの作用だとしたら、何かの理由で私の到着を遅らせるためなのか、ただ邪魔をしたかったのか、謎である。
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霊的障害ではない場合(苦笑)はこちらを参考にしましょう…
●iPhonの電源が入らなくなったときの対処法
参考サイト:http://point-savings.seesaa.net/article/270719725.html

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追記:本当に墓石だったのかと、ふと気になって「高速道路、交差点、墓石、調布」のキーワードでググってみた。あった…。
正確には、墓石ではなく、「道正塚」と彫ってあったらしい。
林望氏の著書『東京珍景録』(新潮文庫)のp172に出てるそうだ。「無縁塚」だった場所を買い取り、塚を壊して家を建てた家に三人もの不幸があったため、供養のために元の場所に塚を再築しようとしたが、すでに平地にしていたので、平地のまま、石を
建てたらしい。元来「塚」だったが、何故か墓石の形にしたとのこと。昭和9年のこと、とある。
う〜む、やっぱり墓石と同じだね。こわ〜い…。