28 12月, 2011

ものみの塔


自然災害~天罰なのか~という見出しがついて
いるが、彼らの話しによると、「天罰などではなく、
膿み出しが盛んになって、世の中が変革するときが
来た」というしるしなのだそうだ…。
 仕事をしていたら玄関のチャイムが鳴ったので、ドアを開けたらエホバの証人の女性の二人連れだった。
唐津にも支部があるんだな、と思いながら、しばし立ち話。
東京の我が家にも、ときたまエホバの証人の方が玄関先にいらっしゃる。聖書の話には興味があるので、時間があるときはお話する。ただ、彼らの神様についての話は、私が思い描く神様の世界とは違うので、素朴な疑問をぶつける。それに対して丁寧に答えてくださろうとするのだけれど、何故だかよくわからない。きっと彼ら自身の言葉ではないからだろう。
ネットでエホバの証人について調べてみた。日本国内で22万人もの信者がいるそうだ。キリスト教系の団体としては、カトリックに次いで2位の規模らしい。
エホバの証人は、輸血を禁じているため、日本でかなり前に交通事故に遭った子供に輸血をすることを信者である親が断って子供を失血死させた、という事件(?)を憶えている人もいるだろう。
だがエホバの証人の公式ウェブサイトを読んでいたら、輸血をしない臓器移植は行っていると書いてあった。http://www.watchtower.org/j/hb/article_03.htm
輸血しないで臓器移植ができるというのも驚きだが、輸血がダメで臓器移植は許されている、というのは何故なのか、という新たな素朴な疑問が生まれた。
今度、東京で彼らと話す機会があったら訊いてみようと思う。

27 12月, 2011

おもしろいかも iPhone

3年使った携帯電話の調子が悪くなったので機種変更せねばならず、今の料金から増えなければ何でもよかったのだが、友達がしつこく「iPhoneにしなよー」と何回も言う。買い換えるときは付きあうから、とまで言うので、ショップに付きあってもらって一緒に説明聞いてもらって、たまに”通訳”してもらって、iPhoneに買い換えた。
全面ガラス張りで、意外と重い。今まで何度も携帯を落としているので、これを落としたら最悪だろうなー、と思う。
みんな、iPhone、iPhoneって言って、どこがいいんだろー、とPC音痴な私は思っていたけど、さわってるうちに何となく愛着がわいてきた。

私が一番気に入っているのは”マップ”というナビゲーション機能。出発地点と目的地点を入力すると、経路を教えてくれる。歩き、公共の交通機関、車の3種類の行き方が出る。日本全国だけかと思ったら、世界中が検索できる。旅行好きにはたまりましぇん。試しに、いつか行ってみたいイギリスのセントアイブスからミナックシアター(女性が海の砂を運んでひとりで造りあげた野外劇場)へはどういう行き方があるか検索したら、徒歩で5時間51分と出た。公共の交通機関はない、と出たが、行ったことのある友人はバスと徒歩を組み合わせて行った、と言っていたので、あまりのへき地だと導き出せない場合もあるのだろう。
というわけで、PC音痴の私でもけっこう遊べるiPhone。もともとMacユーザーではあるので、なんとなく色々適当にさわりながら使える感のあるiMacと似ている感じがする。
あ、それからカメラもいい。今、カメラ持ってないので、iPhoneのカメラで当分しのげるかも。

スティーブ・ジョブスが亡くなったというニュースを聞いてもあまりピンとこなかったし、ジョブスの功績も理解できてないけど、もしジョブスがいなかったらMac使って仕事してる私もいなかった、ということだろう。ま、よくわからなけど、少なくともiPhoneは楽しい携帯だと思う。でも、PC音痴なので、iPhoneからブログ更新もまだできないし、メール打つとき、カーソルを思ったところに持ってこれないでイライラしている。

25 12月, 2011

最後の10完歩

部屋で仕事していたら、両親が隣の居間のテレビで有馬記念レースの中継を見ているのが聞こえてきたので、テレビを見にいった。
私は、競馬のことはよくわからないし、特に気にしたこともなかったけど、レースの中継を見ていて、武豊騎手が以前のように注目されていないような気がした。
ネットで検索して、去年武騎手がレース中に落馬して大怪我していたことを今になって初めて知った。


一時期、YOUTUBEで何度も何度も見ていた、JRAのCM用につくられた動画を久しぶりに見てみた。動いている馬の背中で、これだけ静止してるなんて神技だ。美しい…。武騎手はアーチストだなあ。

これを見てると涙が出そうになる。でも、少しだけ幸せな気持ちにもなれる。
買ったばかりのiPhoneのお気に入り動画の第一号としてブックマークした。

24 12月, 2011

クリスマス in India

~旅の思い出写真館~

以前、12月にインドに行ったとき、クリスマスの数日前に南インドのアレッピーという町でチャーターしたハウスボート。網の目のように張り巡らされたこのあたりの水路で、昔、米などの荷を運ぶのに使っていたボートを今ではクルージングに使っている。寝室やシャワー室もある。二人用から数人用まである貸切タイプの水上の宿。スタッフが船上で美味しい食事も作ってくれる。新婚旅行にオススメ。(←私の願望でもある…)

インドではヒンズー教徒が多いけど、南インドに限ってはクリスチャンが多い。日本にも来た宣教師フランシスコ・ザビエルが布教につとめたコーチンという街も、このアレッピーから近いところにある。

写真右上のボートの屋根に下がっている紙の飾りは、南インドでクリスマスの頃にあちこちに飾り付けられる独特のオーナメント。雪の結晶のようでもあり、星のようでもある。いろんな形があって、美しい。市場で見て、ひと目で気に入って買い求めた。立体にも、折りたためもするスグレもの。どうやって作ってあるんだか、私の頭ではよくわからない。インド人の幾何学的な美的感覚はここにも生かされている。


今日はクリスマスイブだったけど、一昨日実家にまた帰ってきた私は、亡き祖母の四七日(よなのか)の法要で住職の声に合わせて読経した。いつもはすばらしい声の住職はなんか調子悪そうで、時々読経が途切れていた。私の方が上手に読んだ。

20 12月, 2011

水牛の角のクシ

友だちのYちゃんが、水牛の角のクシでマッサージしてくれた。
Yちゃんは、気功師の中健次郎さんの講演会で実演されたというマッサージ「クワシャ療法」に感動して、それに使う水牛の角のクシを速攻で買い求めたらしい。

水牛の角のクシは髪の毛にもいいらしい。
サラサラになるそうです。
私のコリコリの首をクシで擦ってもらうと、気持ちいい。「力は入れてないよ。」というけど、こったところにキク感じがした。
擦ってもらうと、病んだところが真っ赤になった。第七頸椎のところは、特に真っ赤。早速、買い替えたばかりの初めてのiPhoneで患部の写真を撮った。ブログにアップする、と言ったら、Yちゃんが「グロいからやめて…。」と言うのでやめたけど、ネットで探したら写真を撮ってブログに載せてる病院の院長さんがいた。
http://gegege.sagafan.jp/e112668.html
プロフィールを見たら、私と同じ唐津出身で佐賀市内で開業してる人だった。実家で病気になったら、診てもらおうかな。

クワシャ療法は中国伝来の民間療法。さすが、4000年(でしたか?)の歴史。

16 12月, 2011

豚汁うどん

冬は豚汁が食べたくなる。昨日、豚汁を多めにつくっておいた。今日の昼も食べた。今夜も同じでは芸がないので、豚汁にうどんを入れることにした。
うどんの乾麺はだいたい常備しているのだけれど、探してみたら今年の始めにいただいた稲庭うどんの乾麺しかなかった。稲庭うどんは高級うどんだから、ホントはちゃんとしたダシをとった澄まし汁でいただきたいところだが、豚汁うどんは私にとって思い出のうどん。桐の箱に入った高級うどんを豚汁に入れるのは邪道かもしれないけど、思い出に浸るために、思い切って入れてみた。

以前関わっていた雑誌の編集プロダクションの会社では、原稿を印刷所に入れる前の10日間くらいは、6〜7人くらいのスタッフが夜の11時くらいまで毎日のように残業していた。フリーのイラストレーターの私も、「これ、明日までにできる?」というような急ぎのやっつけ仕事を編集部で描いていたものだ。一時期、社長自らが夕食時になると事務所のせまい台所に立って、大鍋で豚汁うどんやカレーうどんをつくってくれていた。
当時のスタッフも今はバラバラ。若くして亡くなった人もいる。社長は資金繰りに失敗し、編集プロダクションの会社自体もなくなった。
会社がそこそこ順調で、残業の合間にうどんをふーふー言いながら食べていたのは、ほんの12〜3年前のことだ。それとも12〜3年前のこと、か…。

豚汁うどんは思い出の方が美味しかった。豚汁に入れるうどんは安い太麺のうどんに限る。

11 12月, 2011

あなどれない ”しまむら”

先日、祖母の葬儀のために実家に帰ったとき、通夜の日の午前中、数年ぶりに喪服のワンピースに袖を通したら…。やっべぇー!
下腹部のところだけがパツパツで、”決して私を横から見ないでください”状態になっていた…。妹に見せたら、「うん。それ、ヤバ過ぎ。」と言う。妹は妹で、黒いパンプスと黒いハンドバッグを東京に忘れてきていた。そんな非常事態時の神頼み的存在である”ファッションセンターしまむら”に二人して駆け込んだ。(ちなみに我がふるさと唐津市にはデパートはない。イオンショッピングセンターがあるだけだが、それってデパート?…。ついでに映画館もない…。)

喪服(というか冠婚葬祭用の黒い服)ありました。しかも1万円を切っている。さすが、しまむら。黒いシンプルな合皮のパンプスも2900円からあったので、妹も私もそれを買った。しかも履きやすくて、靴ずれしなかったのが嬉しい。妹が買った、やはり2900円の黒いハンドバッグには、袱紗(香典などを入れる布の袋)と折り畳める黒いナイロンバッグもついていた。すばらしい…。

さて、ついでにしまむらの店内を物色。妹は寒さ対策のためにユニクロのヒートテックを後で買いに行くつもりだったのが、しまむらでファイバーヒートなる薄くて暖かいインナーを発見。ヒートテックより安い780円という嬉しい価格。私も一緒に買って、喪服の下に着たら、これがなかなか暖かい。翌々日も追加でまた買いに行った。色も黒、ベージュ、グレー、ショッキングピンク、パープル、あずき色、花柄、ボーダー、などなど選ぶのに迷う。

ということで、慌ただしい寒いイライラすることの多かった葬儀の合間に、ファッションセンターしまむらでささやかな息抜きをした、オーバリー姉妹でございます。
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私の住む国立市近辺に”しまむら”がないか、ネットで調べたら、なんと国立市近辺だけポッカリ穴があいたようにしまむらがなかった。なんか、しまむらが入り込めない縄張りでもあるんですかね…。つまんな〜い…。

10 12月, 2011

布団乾燥機

昨日は東京ではみぞれが降り、いよいよ冬も本番という感じになってきた。
古いアパートの隙間風の入る部屋で、電気ヒーターで暖をとっている。うちは20アンペアなので、エアコンと電気ヒーターは同時に使用できない。起きているときはまだいいけど、寝る時に寝具が冷たいのがいちばんツラい。だから、うちは冬場は寝る前に必ず布団乾燥機をかけて寝具を温めておいてから寝るようにしている。暖かい寝具にすべり込む瞬間が一日で一番シアワセかもしれない。
結婚して最初の冬、初めて布団乾燥機を使ったネパール人の夫は、いたく感動していた。ネパールは亜熱帯地域でありながら、標高1350mほどの首都カトマンズは、冬場には夜は零度になるくらい寒いので、夫は「ネパールに買って帰りたい。」と言っていたものだ(まだ実行してないけど)。

うちの布団乾燥機は父が島で単身赴任しているときに使っていたものだから、もう20年以上前のものだけど、単純なつくりだからか壊れることなく働いている。ただ、昔のものだから今のものほどコンパクトじゃない。今の布団乾燥機はコンパクトな形をしていて、値段も探せば3000円前後からある。エアコンをつけっぱなしで寝るより、からだにもいいのでオススメ。
http://www.amazon.co.jp/パナソニック-FD-F06A6-A-Panasonic-ふとん乾燥機-ブルー/dp/B001T5EJQQ%3FSubscriptionId%3D0571BBGTQZ5YYPEDSY02%26tag%3Dkakaku-kitchen-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3DB001T5EJQQ%26me%3dAN1VRQENFRJN5

09 12月, 2011

映画「ヴィヨンの妻」

あまり家にも帰らず、浮気を繰り返し、生活費もろくに家に入れず、子どもが病気になっても医者に連れて行く金もない、遂には飲み屋の金を盗んでしまう。そんな夫が当代きっての人気作家だとしても、普通は早々と見限ってしまいそうだが、松たか子演じる妻佐知は浅野忠信演じる夫大谷を見限らない。それどころか、夫が盗んだ金を、飲み屋で働いて返そうというのだから恐れ入る。

女と金と酒、ときたらドロドロした修羅場がつきものだけど、松たか子や浅野忠信の質感によるものなのか、監督のまなざしによるものなのか、この映画「ヴィヨンの妻」にはホンワカとしたぬくもりがある。不思議な映画だった…。
太宰治の同名の原作を読んでいないので映画だけの感想になるけれど、私が持っている太宰の退廃的な暗いイメージとは異なる印象を受けた。

切ればスッキリしそうなのに切ることができない男女の縁。死にたいと言いながら、いざ死にかかるとジタバタして生き残る男。好きでいながら保身のために見捨てた女を忘れられずにいる男。そんな煮え切らない生き様を見せる登場人物たちに、なにか親しみを感じるのは年をとったからかしらん?それにしても、この映画の中の女性は妻も愛人も潔(いさぎよ)い。男達の方が女々しくさえあるのだ。

葬式というものは、一族の愛憎が見え隠れすることが多い。祖母の葬儀が終わっても、すっきりとは割り切れない家族の縁などについて考えさせられているとき、深夜の映画専門チャンネルで見た「ヴィヨンの妻」になんとなく癒された。
世の中、すっきりと割り切れることよりも、割り切れないことの方が多いんじゃなかろうか。大抵は、割り切れないながらも、どこかで折り合いをつけて”良しとする”ことで歩いていくのだろう。
太宰治という人は、その”折り合い”をつけることができない人だったのかもしれない。

学生のとき「斜陽」を読んで、太宰ファンにはなれないと思い、それ以外の太宰の作品は読んだことがないけれど、この映画を見て、今一度太宰を読んでみたいと思った。

07 12月, 2011

怒りが首に

亡き祖父の後妻であった祖母の葬儀と、最初の妻であった実の祖母の49回忌が終わった。3日連続で喪服を着た。
もうほとんど寝たきりだった後妻の祖母を、前妻の祖母が最後の法要を機にあの世へ連れて行ったのではないかと私はひそかに考えている。

葬儀そのものはこじんまりと淡々と執り行われたけれど、私は精神的にあまりよくなかった。なぜだか何かにつけて腹立たしく感じ、ひとりで怒っていた。告別式の日から首に激痛が走るようになった。通夜の晩、祖母の遺体が置かれた葬儀場に叔母と泊り込んだので、何かよからぬものが憑いたのかと思ったが、妹に「怒りば溜めとるけんやないと?」言われたので、誰に対して怒っているのだろうと思い、書き出してみた。すると自分も含めて5人に対して怒っていたことがわかった。怒りが自分のからだを攻撃することは前々から感じて知っていたのに、またもや”やってしまった”。いかん、いかん…。

夜なべ仕事をした一昨日は明け方に床についたのだが、私の寝ている二階に人が上がってくる足音が聞こえた。父が朝早く起きて二階に上がってきてるのかと思ったとき、寝床のすぐ脇に人が立ってる気配がして目を向けたら、白髪の短い毛を逆立てた小柄な痩せた女性がつんつるてんな病院服みたいのを着て、コワい顔をして立っていた。とても怖くて声を振り絞って叫んだ、その自分の叫び声で目が覚めた。祖母には似ていなかったけど、祖母のような気がした。
祖母の葬儀の間、私は祖母の関係者に対して怒っていたから、”こんなに文句言ってたら、おばあちゃん怒るかもねー”なんて言ってたのがホントになったのかしらん…。

まあ、とにかく怒りは体に悪い。昨夜、東京に戻って、首の痛みはちょっとだけ和らいできたけど、もともと頸椎がズレてるから、来週高円寺の治療院に行きます。