30 9月, 2011

ティハール in Nepal

〜光のお祭り〜
世界遺産の街バクタプルでのティハールの夜。
10月半ば〜11月半ばの、新月の二日前から4日間もしくは5日間続くネパールのお祭り。今年は10月25日から28日までの4日間。これはヒンドゥー教の女神ラクシュミを迎えて祀る行事だ。
ネパールでは日常的に計画停電がなされており(ネパール人は馴れたもので、停電したらすぐにロウソクに火をつけて、さっきまでやっていたことを続けている)、停電中なのかわざと電気を消したのかわからない街角にロウソクの火がズラリと並び、それはそれはロマンチック。
私が最後にネパールに行った10年前の様子しか知らないんだけど、最近は電飾で飾り立ててるらしい。私は、ロウソクの方が好きなんだけど、10年たつと随分変わるのだな…。
家々の入り口には、女神をお迎えするためのきれいな模様が施され、女神に家の入り口を示すかのように、ロウソクが灯されていた。また、人も家もマリーゴールドの花で飾られ、犬や牛もマリーゴールドの花輪を首にかけている。
祭りの説明はこちら→http://www.page.sannet.ne.jp/t-hata/roki/textbook/tihar00.htm

もし、ネパールに今後行く計画があるなら、このティハールの頃を狙って行くといいかも。私が初めてネパールに入った日が、このティハールの祭りの夜で、カトマンズ空港から市内へ向かうタクシーの中からこの光景を見て、映画のセットの中にでも迷い込んだような錯覚を覚えて興奮したものだ。ネパールには本当の夜がまだあり、ネパールから(ヨーロッパからであっても)日本に帰ると、日本は無駄に明るすぎると感じる。
ネパールで山がよく見え、トレッキングなどの観光のベストシーズンが9月〜11月くらいでもある。日本では最近、山ガールというしゃれた名前を聞くようになったけど、山ガールの皆さん、是非ネパールへ。昔の歌に〜♪山男にゃ惚れるなよ♪〜とあったけど、ネパール人の男にゃ惚れるなよ〜、と今ならオーバリー姐さんは小声で歌うかも…。

もし個人旅行で旅行期間中に祭りが入る場合は、祭りの間役所や銀行などは休みになるので、トレッキングする人は祭りの前に手続き(トレッキング許可証が必要)を済ませないと、山に入れなくなるのでご注意を。

29 9月, 2011

木を植えた男

10月3日まで東京は木場の東京現代美術館で開催中のフレデリック・バック展の会場でも全編見れる「木を植えた男」。
映画館で見るか、DVDを借りてテレビで見るのが一番いいのですが、その条件がかなわない場合は無料動画もあります。ただし、画像は粗いので、オリジナルの美しさは堪能できないかもしれません。でも、とてもいいお話です。いつの世にも問われる普遍的なテーマがあります。
http://video.fc2.com/content/20100706xxTmE5pt/

MONKEY MAJIKと「木を植えた男」のコラボの ミュージックビデオも6月に出ています。
http://www.youtube.com/watch?v=3e-ZiAXkfd0

荒れ果てた大地をまたよみがえらせようとする「男」に、被災地の、ひいては日本の再生を重ねてしまいます。絵本もオススメです。
カラーのがフレデリック・バック挿絵の日本語版。
モノクロの木版画の表紙のはアメリカで出版された
英語版の”The Man Who Planted Trees”
いつ、どこで買ったのか忘れたけど、見開きごとに挿入
された木版画に魅かれて買った。F・バック挿絵版より
文章量は多いので、これが原作だと思う。

28 9月, 2011

原発シンジケート相関図

友だちがツイッターで、この相関図がおもしろい、とつぶやいていたニュークリアシンジケート図解。
図にすると、とってもわかりやすいね。東京大学も寄付金もらっていたとは知らんかった…。
最高裁判事まで関わっていたとは…。
右アドレスをクリック!→ http://twitpic.com/6kpalx/full

27 9月, 2011

海に浮く風車

2008年に発表されていた大型洋上ハイブリット発電。九州大学チームが研究している。
なんだか、いい感じ。
発電コストも安く、原発一基分の発電量も可能になるという、夢のようなプロジェクト。東芝、日立、三菱の原発輸出企業は原発の輸出から、この洋上発電のような自然エネルギー発電装置の輸出に切り替えることはできないのかな?随分前から、この洋上発電にしろ、地熱発電にしろ、自然エネルギーの可能性についてはかなりのところまで研究されてきており、原発に注ぎ込む無駄な巨額のお金(自治体が無駄遣いする原発補助金の半分でもいいから)の一部をこちらの研究開発にまわしておけば、震災のあと、すみやかに自然エネルギーに移行できたろうに…。利権とは、人類に有益なものを排除してでも、手に入れるべきものなのだろうか。
ちなみに、すいぶん前から危険と言われていながらやめる気配のない高速増殖炉の開発研究に今までにかかった費用は、2兆1千億円を超えた。
「もんじゅ」で去年起きた炉内中継装置の落下で、その撤去にかかった費用は10ヶ月間で17億5千万円。「もんじゅ」は1995年に起きたナトリム漏れの事故以来16年間も停止中だが、運転中止中でも冷却にかかる電気代など維持費が1日5500万円!かかるのだそうだ。これは全て電気代と国費でまかなわれている。
これらの湯水のような巨額な費用を、はやく自然エネルギー開発にまわしてください…。

洋上発電の詳しい記事はこちら。 

もんじゅ関連記事(Wiki) http://ja.wikipedia.org/wiki/もんじゅ

26 9月, 2011

あなたが寝てる間に









【作品詳細】
category :鉛筆画
materials:鉛筆画+CG



人は眠っている間に、体と心のメンテナンスをしているのだそうだ。
ギリシャのキプロス島に住んでいたあるヒーラー(彼は毎日世界中から助けを求めてやってくる人たちに無料でヒーリングを施していた)の遺した教えの中に、ミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエルという大天使が私たちの睡眠中に、その日私たちが作ったダメージをゆっくり治してくれる、という記述がある。だから睡眠は大切なのだ、と…。
私は結構宵っ張りで遅くまで起きているから、睡眠をおろそかにしがちだ。先月くらいから、ちょっと体に気になるところも出てきた。寝る前に大天使にお願いして、治してもらえるだろうか…。これは、科学では検証のしようもない、それこそ夢物語だけれど、私は信じたい。

大天使の名前は、どれも最後に「エル(el)」がつくが、調べてみたら、「エル」はヘブライ語で「神」を意味する言葉。7人いる大天使の中で四大天使のそれぞれの名前の意味は、ミカエル=神に似たもの、ガブリエル=神の英雄、ラファエル=神は癒す、ウリエル=神の光。
大天使はユダヤ教、キリスト教だけではなく、イスラム教の世界にも存在する。
預言者マホメットにコーランを口頭で伝えたのが、ガブリエルとされている。

あ…、ふと思い出したのだが、昔実家で飼っていた犬の名前はエルだったなー。
私はエル(=神様)と散歩したり、ちょっかい出したりしとったんじゃね…。

25 9月, 2011

ひじきサラダ

友だちに教えてもらったひじきサラダ。今年の夏はよく食べました。
乾燥ひじきは水で戻して、よく水洗いし、軽く湯通しするか、フライパンでから煎りします。(時間がないときは、水洗いしただけで加熱しなかったこともありますが、大丈夫でした。)
私は、冷凍枝豆をひじきと一緒に湯通しして、千切りしたきゅうりと一緒にひじきに混ぜます。オリーブオイルと梅酢(割合2:1)と醤油少々でつくったドレッシングをかけまわして出来上がり。梅酢のさわやかな香りが食欲を促進します。

夏の疲れが出やすい今頃にもおすすめの一品です。梅酢がなければ、ふつうのお酢でもかまいませんが、その時は塩を少し入れます。
ひじきはカルシウムが豊富で、日本人の体には牛乳でカルシウムをとるより、ひじきでカルシウムをとった方が吸収率がよい、とも言われています。

24 9月, 2011

クジラの夢

夜中にふと目が覚めると、髪を振り乱した幽霊のような人が窓にへばりついていました。
怖くて、叫ぼうとした瞬間、私は寝ていた部屋ではなく、外にいました。行ったこともないような見知らぬ場所です。そこはのどかな野原の一本道で、歩いていくと小さな湖が見えました。
湖には橋がかかっていて、橋はなぜか湖の中程までしかなく、歩いている人は橋の途切れたところから次々に飛び込んでいます。車も橋からそのまま湖に飛び込んでいました。でも、皆飛び込んだ後は泳いでいました。湖はにぎわってました。

久しぶりに色鉛筆で描いてみた。海の中を
表現するのは難しい…。
私は当時、泳げなくてプールに通って特訓中だったので、泳ぎに自信はなかったけど、皆が飛び込んでいたので私も橋から思い切って飛び込みました。
私は泳いでいました。水中にいるのに呼吸がとても楽です。すると、クジラが追いかけてきたのです。私は水中の深いところを必死に泳ぎました。「あ、私、泳げる。呼吸も楽だー。」と思いながら。
何度もクジラに追いつかれそうになりながら泳いでいたら、岸が見えてきたので、クジラを振り切って岸にあがると、岸のすぐそばに大きな家がありました。

すぐにその家から女主人が出てきました。
彼女は「あー、ごめんなさいねー。うちのクジラが…。」と言いながら近づいてきました。
ここの家のペットだったのかー、とちょっとビックリしながらも、休ませてもらうことにしました。女主人は「うちで休んでいってね。」と言って、私を立派な母屋ではなく、馬小屋に案内してくれました。馬小屋かー、と思いながらも、疲れていたので、私は干し草の上で寝ました。
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そこで目が覚めました。二十年も前に見た夢ですが、今でも憶えています。何回も思い出し、何度となく友人に話したからでしょう。一昨日、フレデリック・バック展ですばらしいクジラの映像を見て、久しぶりにクジラの夢を思い出しました。
さて、クジラは夢を見るのでしょうか…?

23 9月, 2011

けだるいランチ

以前お世話になった雑誌の編集長だったYさんから仕事の話しをいただき、打合せに行った。乗り換えはよくするけど、降り立ったことはまだ一度しかない武蔵小杉駅。
Yさんは二人のお子さんを持つ父親でもあり、東京での放射能汚染による子供達への影響を深刻に考えていて、年内にも岐阜に移住するつもりで物件を探している、と話していらした。親しい友人の口からも”移住”という言葉が出てくるようになったし、来年の今頃は私をとりまく状況は今とは全然違ったものになるのかもしれない。全く想像がつかない。
東日本大震災の”想定外”な出来事は原発事故にとどまらず、人々の人生に”想定外”な連鎖反応を限りなく起こさせていく。いつまでも止まらない核反応のようだ…。

打合せからの帰り道、そんなことをボンヤリ考えながら武蔵小杉駅に向かっていたら、道に迷って横道に入り込んでしまった。あ、道間違えた、と思った時、なんだかパッとしない外観のタイ料理店が目に入った。ガラス窓に目隠しでもするみたいにタイ料理の写真がベタベタ貼ってある。おなかもすいてるし、空腹のまま考え事しても気が滅入るだけだから、ここで食べていこうかな、とドアを開けた。
電気のついていない薄暗い店内には一組のカップルがいて、メニューを見ている。先客がいて少しホッとして、けばけばしいピンクのカバーのかかった椅子の間を抜けて奥の長椅子に座った。店員の姿が見えないので、キッチンの奥をのぞいたらスキンヘッドのタイ人がこちらを認めてそそくさと奥からランチメニューを持って来た。
どれも写真写りの悪い料理の中から、あまり当たり外れがないであろうグリーンカレーを選んでみた。最初は暗いと感じたものの、ほどなく目が馴れて店内の様子がわかるようになったら、もうそこは隅々までタイだった。店員はサービスのつもりなんだろう、タイのカラオケミュージックをかけてキッチンに引っ込んだ。

グリーンカレーにごはん、サラダ、春雨サラダ、スープ、デザート
がついて800円。白地に赤い字の「タイほんばりょうり」の

ノボリが目印。店の名前はムーハウレストラン
ランチフリードリンクと書かれたテーブルに飲み物を取りに行き、2種類の飲み物のうち、ちょっと迷ってレモングラスジュースと書いてあるやつにしたら、とてもまずかった。私のあとに、男性がドリンクをとりに立ったので「レモングラスはやめた方がいいですよ。」と声をかけたら、恐いもの見たさなのか一つはレモングラスジュースを入れて彼女に差し出している。彼女は口にした途端、顔を歪めて「まずいよ、これ〜。」と言って、彼のパイナップルジュースと取り替えていた。


少しうるさいタイ語のカラオケミュージック、カップルのなにげないやりとり、全ての椅子にかかったショッキングピンクのフリル付きカバー、壁にかけられたプミポン国王夫妻の写真、天井からたくさんぶら下がっているタイのお寺のような飾り。ああ、思い切りタイの大衆食堂だなー、ここは。
グリーンカレーは甘すぎて、私にはちょっとまずかったけど、今日は、きっとこれでいいのだ。
もう滅多にないかもしれないけど、次にまたひとりで武蔵小杉に降り立つことがあったら、またこの店に来るかもしれない。東南アジアのけだるさも持ち合わせた、ある意味で完璧な店だから。
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*食べログの評価はまあまあで、カレーを絶賛してる方もいます。味は、個人の好みなので、一度お試しください。タイらしさを味わうにはオススメの店です。ただし、レモングラスジュースは、味見程度にちょっとだけネ。

22 9月, 2011

フレデリック・バック展

〜木を植えた男〜

台風が近づく中、東京都現代美術館で開催中のフレデリック・バック展に行ってきた。風が強いと傘も役に立たないだろうと思い、100円ショップで買ったビニール製のポンチョを着てお出かけ。東西線木場駅から徒歩15分くらいの道のりを歩いている時から、風が強くなってきていて、展覧会を見ている間中、美術館の強固そうな建物の外から風の唸るすごい音が聞こえていた。そんな天気のおかげで来館者もまばらで、ゆっくり作品を見ることができた。
2900円のカタログを買うと、カードと虹色鉛筆一本が
もれなく付いてくる。
展示会場に入ってすぐはアニメーション映画「木を植えた男」の映像が流れており、立ったままでよければ全部見れる。移り行く自然の美しさは必見。ずい分前に映画館で見たけれど、何度見ても美しい。展示の最後の部屋には同じくアニメーション映画の「大いなる河の流れ」の一部が流れており、海中でクジラが泳ぐ場面のすばらしさに息をのんだ。
展示作品の量が莫大で、バック氏はまだ健在だけど、回顧展といってもいいくらいの見応えのある量。2歳のときに描いたという鉛筆画もあった(天才!)が、とにかく少年の頃から寝てる時以外は描いて描いて描きまくったんじゃないか、という印象を受けた。アニメーションを手がける前の作品は写実的な絵が多く、その卓越したデッサン力は、プロの絵描きの中でも断トツかと思われる。前半は色も暗めの社会派的な絵や風景画が多いのだが、炭坑や船着き場、ワイナリー、戦争の絵など、一見女性には興味のないような絵でも視線を引き込むような力(構成力のようなものだろう)がある。静止した建物を描いていても、その中で視線が動くのだ。絵に動きがある、ということか…。それが、後半生のアニメーションの仕事をする上での強みになっているようだった。
アニメーションの作品の部屋になると、それまでの写実的な絵と打ってかわって、とても楽しい鑑賞の時間となる。色も華やかで、キャラクター達もかわいい。
「木を植えた男」は5年半をかけて2万枚という気の遠くなるようなセル画の大半をバック自身が描いているという驚きの作品だが、色鉛筆で何度も重ねて描いた優しいタッチは手描きでなくては出せない色合いや雰囲気を持っている。
絵の美しさと、確固とした社会的なメッセージの両方を持ち合わせた数少ない作家といえるだろう。必見の価値あり。フレデリック・バック展は10月3日(月)まで。

東京都現代美術館へのアクセス http://www.mot-art-museum.jp/access/index.html

帰りはJRがほとんど止まっていて、新宿までバスと地下鉄を乗り継いで、新宿では京王線が動くまで同行の友人と夕食をとって時間つぶし。いざ京王線に向かうも、入場制限中で改札口外側のコンコースは人でギュウギュウ詰め。電車に乗るのもひと苦労だったけど、F・バックの作品を見たおかげで心の中に優しい風が吹いていて、イライラせずに済んだ。優しい風、いつまで吹いていてくれるかな。
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東京の他には、来年3月17日〜5月27日まで札幌芸術の森美術館でも開催されます。
北海道旅行を兼ねて、F・バック展を見るのもいいかも…。
同美術館では、いろんなワークショップも開催されているので、観光とアート体験を組み合わせるのも面白いと思います。
参考:http://www.artpark.or.jp/lectures/craft/next.html

21 9月, 2011

疲れたらコレを見るのだ

調べものでネット検索していてたまたま行き当たったYoutubeの動画で癒されました。
犬派のつもり(飼うなら柴犬がいいなあ)なんだけど、癒されるのは何故か猫の動画が多い…。
この猫の慈愛に満ちた視線がたまりません。この猫のシリーズ見まくってます。
猫好きの友人が言うには、いくら飼い主でも猫はシッポを触られるのをとても嫌うのだそうです。
でも、この猫まおちゃんは自らシッポを差し出して、男の子をあやしている。


私のお気に入り
http://www.youtube.com/watch?v=4qd7XUozgIQ&NR=1
http://www.youtube.com/watch?v=kmy8lKGqNTU&NR=1

20 9月, 2011

さようなら原発5万人集会→6万人に

19日の東京・明治公園で開催された「さようなら原発5万人集会」には予想を超える6万人が集まった。私はこんなに大勢の人の集まりに来たのは、生まれて初めて。観光バスなどをチャーターして、全国から反原発の意思表示のために集まった人々。東京都下に住む私でも、都内のイベントに出向くのは、ちょっとドッコイショ的なかけ声が必要なのに、他県のそれも九州や北海道から出向いて来られた人たちの熱気を目の当たりにして感動した。
この必死の思いを政治家が真摯に受け止めてほしいと切に願う。
デモの次に私たちにできることは、次回のいかなる選挙でも原発についての意見を候補者に問い、脱原発に向かう意思のある候補者を選ぶことだろう。
明治公園を埋め尽くす人たち。公園に入りきれない人が駅からの道にもたくさんいた。












集会では、作家の大江健三郎さんや落合恵子さん、病をおしての参加の澤地久枝さんらも発言されたが、中でも会場が盛り上がったのは落合さんと山本さん。落合さんは出身がアナウンサーであり、日頃からフェミニストとして社会運動してこられただけあって、大衆が思わず耳を傾ける的確な言葉というか、人の気持ちを呼び覚ますような何かを持っていらっしゃる、と感じた。佐賀県庁での抗議行動の時も駆けつけてくれた山本さんは、河野太郎議員と会ったときの話し、と前置きして、それぞれの議員の地元の事務所に赴いて議員に圧力をかけていくことも大切、と語った。今は、多くの議員がブログなどを開設しているので、ブログ上などからそれぞれの都道府県の議員に要望をメールするのも有効な手だてだと思う。

そして集会の発言の中で、最も私の心をとらえたのは、ドイツからのゲストであるフーベルト・ヴァイガーさん(会員48万人のドイツ最大級の国際環境団体代表)の言葉。
「(廃炉を)やれるか、やれないかなのではなく、やるやらないかなのだ。」
ごもっとも。
フーベルト・ヴァイガーさんは明日21日に衆議院第一議員会館と第二議員会館にてセミナーもされます。
詳細 http://kodomozenkokunet.sblo.jp/article/47932125.html
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参考までに河野太郎議員の原発に対する意見を述べた動画を。
http://www.youtube.com/watch?v=cCxPAAYangE&feature=related
自民党では煙たがられてるということだが、こういう議員もいることに一縷の望みを感じます。どうすれば議員を動かせるか、というアドバイスも語られています。

18 9月, 2011

19日はさようなら原発集会 in Tokyo

福島原発の経過などを知るには、マスコミに頼るしかないため、そのマスコミのほとんどが原発推進派寄りである以上、なかなか本当のことを知り得ない。被災地から離れれば離れる程、復興に関するニュースを聞けば聞く程、ややもすると、このまま沈静化していきそうに思えるけれど、こと原発に関してはそれは幻想です。原発をめぐる事態はいまだ深刻。原発反対の手をゆるめてはいけませんね。
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東京9月19日(月)「さようなら原発 5万人集会」

時 間; 13:00~ライブ (寿) ・ 13:30~ 集会 ・ 14:15~ パレード
場 所:明治公園(最寄り駅:JR千駄ヶ谷駅、大江戸線国立競技場駅、銀座線外苑前駅)
発 言:落合恵子、大江健三郎、澤地久枝、内橋克人、鎌田慧、山本太郎、武藤類子(ハイロアクション福島原発40年実行委員会)、フーベルト・ヴァイガー(FOEドイツ代表)
送り出しライブ:ランキンタクシー、ナラカズヲ、制服向上委員会

毛髪の保存を

友人が教えてくれたのですが、放射性物質で体内が汚染されているかどうかを調べるには毛髪が30本ほどあるといいそうです。個人差はありますが、一ヶ月で1㎝伸びるとして、原発事故は6ヶ月前のことなので、毛髪の根元から6㎝くらいは事故後に伸びた分、ってことになります。ブラッシングしたときなどに抜けたものは、日付を書いて保存しておくといいでしょう。
特に、お子さんの健康が気になる方は、定期的に保存しておくといいでしょう。念のために、日記もつけたほうがいいと思います。天気や何を食べたかも。
将来、原発事故が原因と思われる病気を発症して、国や東電に補償してもらいたい時、必ず証拠を提出しなければなりません。ただ、発病しただけでは証拠にならないのです。原発との因果関係を立証しなくては、病気にかかる国や東電の責任を問えません。
国や東電が本当に責任を持つつもりなら、福島近隣やホットスポットといわれる地域の人たちの尿検査や毛髪検査を始めてるはずですが、やっているでしょうか?今のところ、福島県が浪江町や飯館村等11市町村からの避難者の計3373人のみをホールボディーカウンターで検査しましたが、被災者の総数に比べてもほんのちょっとです。しかも検査結果の問題なし、という結果の導き方には疑問の声も多数あがっています。

南相馬市では乳幼児を対象に無料の検査が始まったようですが、関東も含む広い範囲で、少なくとも乳幼児対象にすぐにでもやるべきです。
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110916k0000m040017000c.html
検査の対象は3月11日の震災後、南相馬市に居住経験があり、受付時点で7歳の誕生日を迎えていない乳幼児。

17 9月, 2011

追われる夢を見たら

気がついたら下着姿で歩いていたという夢、追われる夢、車ごと崖から落ちる夢、などなど変な夢を見ることが誰にでもあるだろう。
追われる夢を見ることが多かったら、夢で追われる時勇気をふり絞って振り返り、追っ手に向かって「なぜ追ってくるのですか?」と訊けば追ってこなくなる、とスピリチュアルな世界に詳しい友人が教えてくれたことがある。
そう教わった後で、追われる夢を見たことがあったけど、夢で追われてる時は夢だと思わず現実だと思っているから、振り返る余裕がなかった…。

追われる夢をよく見るのは、日本人が一番多いらしい。私は現実で、物事に追われることが多い(というか、逃げている…)。
誰でも後回しにしたい懸案事項というものがあると思うけど、逃げても逃げてもそれは追ってくる。現実世界の場合、追われる理由はわかってるから、理由は訊かずとも後は振り返って対処するだけなんだけど…。今、まさに私は対処すべき(途中までやって保留にしている)事項があってやんなきゃいけないんだけど、お金と手間がかかりそうで4ヶ月くらい手をつけず逃げている。振り返れー、オーバリー!

16 9月, 2011

蚊帳

窓を開け放って、蚊帳(かや)を吊って寝てみたい。
タイで買ってきたお一人様用蚊帳はあるけど、アパートのしつらえにマッチしなくて使ってない。

いつ頃までだったろう…。蚊帳を使っていたのは…。
窓を開け放って風を入れ、扇風機を回し、蚊帳の中で母がうちわで仰ぎながら添い寝してくれたのを憶えている。
蚊帳は部屋の中の、もう一つの世界だった。何かに包まれたような安心感。母の胎内の記憶とつながるのだろうか。


photo:アレッピー(南インド)のゲストハウス・
    Cherukara Nest (築100年の民家)
    2007年当時のレートで1泊一部屋1650円(ACなし)

15 9月, 2011

コーヒースコーン

以前、Fuちゃんにあげたコーヒースコーンが好評で、「うちのオーブントースターで焼けるかなあ?」と言うので、「焼けるよー。」ってことで、Fuちゃんちで焼いてみた。
美味しく焼けました。Fuちゃんのオーブントースターは、温度調節付きなので、焼ける様子を確認しながら焼けば、初めてでも丁度良い温度調節がつかめます。温度調節がなくても、アルミホイルをかぶせて、表面の焼け過ぎに気をつければ大丈夫でしょう。Fuちゃんのダンナさま曰く、ブランデーの肴にコーヒースコーンが合うのだそうです。コーヒーの他に、抹茶やココア、紅茶(細かく砕いた茶葉と濃く煮出した紅茶液)など、いろんなフレーバーを試してみて。


オーバリーの少々適当なレシピ
[材 料] 
●国産小麦粉 ------ 250g(少なくとも小麦粉だけはいいヤツを
         私は、地粉(中力)と全粒粉(強力)を半々にしてます。粉の種類はお好みで。
●ベーキングパウダー ------ 小さじ4
●砂糖 ----- 大さじにすり切り7〜8杯ほど?(好みで加減。甘さ控えめ。私はキビ砂糖使用。
●フリーズドライのインスタントコーヒー ------- 大さじ4くらい
                         (これも好みで。細かくサラサラにする。)
●バター ---- 50g(有塩でも、無塩でもお好みで。私は安い方の有塩を使ってます。
              バターは調理の最初に50g分をスライスして冷凍庫で冷やしておく。)
●くるみ ------- 量はお好みで。(刻む。)
●牛乳と生クリーム ---- 合わせて110ml(割合は半々。よりしっとりさせたければ、
                     生クリームの割合を多く。ホイップクリームでもOK)
●卵 ------ 1個
********************************************************************************
1. 小麦粉はふるいにかけて、ベーキングパウダーと、砂糖と、コーヒーの粉を混ぜる。
2. まな板などの上に1の粉を少し振り、そこに冷やしておいたバターを乗せて、粉にまぶしながらバターを細かく切る。5ミリ角くらい。
3. 1に細かくしたバターとくるみを入れて均一にしたら、さらに牛乳と生クリームと卵をまぜたものを回し入れて、木べらなどで粉と手早く混ぜて、ある程度まとまったら、手でこねて(畳んで伸ばして、を繰り返す)ひとまとめにする。こねすぎて、バターが溶けてしまわないように。ゆるくてベタつく時は、小麦粉を適量加えて。
4. ラップに包んで冷蔵庫で30分ねかせる。(一晩ねかせて、朝焼いてもOK)
5. 1.5センチくらいの厚さにのばして、型で抜く。
または、包丁で5センチ角くらいに切り、クッキングシートを敷いた天板に並べる。
5. あらかじめオーブンを温めておいて、180度で20分焼く。

14 9月, 2011

仏マルクール原発事故

12日にマルクールの放射性廃棄物処理施設で起きた爆破事故(5人死傷?)で、国際原子力機関IAEAのフランス政府代表部のマンギン大使が「これは原子力事故ではなくて産業事故です。」と語ったそうですが、いや〜、フランスもなかなか(何が?)ですねー。

チェルノブイリ原発事故の時、放射性物質を含んだ雲がヨーロッパ大陸を広く覆ったのですが、当時フランス政府は、「放射性物質を含んだ雲はフランス国境を越えない」と公式発表したそうです。さすがです。(11日にテレビで見た番組で知りました。)

関連記事 http://linked222.free.fr/lien/tchernobyl_france/tchernobyl_france.html

今後、どうなるか注目したいと思います。ガンバレ!フランスの反原発派!

リメイクワークショップ

バラした真珠を並べてデザインを考えているところ。
国立の”暮らしのアートギャラリー KUNITACHI”で、アクセサリーのリメイクワークショップをしました。アクセサリーはたくさん持ってるけど自分の好みに合わなくなってきた、というものや、人からの頂き物でコハクやベッコウなど、モノはとてもいいものだけどデザインが好みじゃなくて身につけたことがない、というものをお持ちいただき、お客さまのご希望を訊いてアドバイスしながら、お客さま自身でリメイクしていただく、というもの。
私が持っている石やガラスのビーズなど(別途実費)も必要に応じて提供させていただきながらの制作です。

今日のワークショップに参加されたFさんがお持ちいただいたのは淡水真珠が何連も連なったボリュームのあるネックレス。そのネックレスをバラして、チェコビーズやガーネットなどの天然石をプラスして、ネックレス2本をリメイクなさいました。

アクセサリーを作っていて一番楽しいのは、私の場合、ビーズを並べて計画するときです。アイディアが浮かんでも、形にすると思っていたのと違ったりして、バラしてしまうこともたびたびです。単純にビーズを一本のワイヤーに通していくだけでも、色と大きさの違うビーズの組み合わせは無限にあります。
時間を忘れて没頭して作ったものが、自分でもお気に入りのアクセサリーになるような気がします。

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アクセサリーのリメイクワークショップに参加ご希望の方は、暮らしのアートギャラリーKUNITACHIまでお問い合わせください。引き輪やボールチップなど、金具やパーツの取り付け方を自分でできるようになりたい初心者の方が対象です。取り扱うものは基本的に、テグスやワイヤーをつかったアクセサリーです。彫金は取り扱っておりません。

13 9月, 2011

おかずの星

友だちからのメールで”おかずの星”というウェブ上の料理コンテストを知った。友だちの友人が出品してるそうで、見てみると野菜がたくさん食べれそうで見た目もキレイ。
ちなみに友人の知人のおかずはコレ。http://okazu-star.com/#14562

300点の中から合計10品選べるそうで、自分が投票したおかずが”おかずの星”に選ばれたら、100名に一万円が当たるチャンスもあるというし、今夜のおかずの参考にもなるので投票してみた。10点すぐ選べるかと思っていたけど、けっこう迷う。レストランでたくさんあるメニューから選ぶのに迷うのと同じね。投票期間は9月30日まで。
10品選んだ後、投票を確定するまでいくつかステップあるので、お忘れなく。最後に自分のメールアドレスに送られてくるURLをクリックして投票終了。


【作品詳細】category :食品パッケージイラスト materials:水彩+画用紙

12 9月, 2011

気が重い

昨日11日は、9.11から10年、3.11から半年、という日に当たるため、それらに関する番組をあちこちでやってましたね。5年前に制作されたチェルノブイリ原発事故の番組を見ました。事故から20年後の原発の街ピリピャチの様子や、事故当時に事故処理のために働いた人たちのその後など伝えていましたが、現在の福島も同じような状態になるのだろうかと、福島を重ねて見てしまいました。
25年前のチェルノブイリの事故で、人は学んだのか…。事故の性格は違うにしても、結果で見れば、福島の事故を見る限り、何も学ばなかった、ということでしょうか。今や人間は宇宙で暮らすテクノロジーまで持っているのに、原発の事故が起きたら、石棺で囲うか、汚染された土をはがすか、水で洗い流すか、というとても原始的な方法しかない。除染作業にかかる費用は算定不能とまでされています。
チェルノブイリは石棺で覆われましたが、完全ではなく、今も現場では放射線レベルは高いままで、汚染され続けています。石棺を完全なものにするには、あと10億ドル必要で、予算がないためにそのまま放置されていています。
チェルノブイリと福島の事故で、人間が学ぶとしたら、「核は持たない」ということしかない、と思うのですが…。

世界に於ける原発の主なメーカーは、wikiによると2008年現在でアレヴァ-三菱、東芝、GE-日立の3グループに絞られていて、どのグループにも日本企業が入ってます。この日本企業が原発ビジネスから撤退する勇気があるでしょうか…。原発と日本企業がここまで深く結びついてるとは想像していなかっただけに、考えただけでも気が重い…。
一度開けてしまったパンドラの箱は、二度と閉じないのでしょうか…。

11 9月, 2011

空港で

福岡空港で機内持ち込み検査の端っこの列に並んでいたら、「早くしてよ!」と少しとげとげしい女性の声が、すぐ後ろから聞こえました。何事?と思い、私は半身振り返りました。きっと親子なんでしょう、母親らしい女性が私の後ろにいる娘に何か話しかけたいのか、見送りエリアから覗き込むようにしていて、そんな母親を娘は見ようともせず、いら立っていました。
娘が「早く渡してよ!」というと、母親は財布から一万円を取り出し、娘はそれをひったくるように受け取って、ありがとうも言わず、今度は「もう早く行ってってば!!」と追い返し始めました。母親は、叱りもせず怒りもせず、ただ困ったような悲しい顔をして後ずさっていきました。
私は心の中で、”あ、お母さん、ここはお金渡す場面じゃなかですよ〜。ここは一発、叱る場面ですたい!”と念じていましたが念は通じず、殺伐とした別れの場面となりました。

怒れる娘は私と同じ東京行きの便でした。時期的に、夏休みが終わって大学に戻ろうとしてる学生、といったところでしょうか。

”これと同じ別れが、次も100%あるとは限らない。これが永遠の別れになることもあり得るかも。”と、チラッとでも思ってみてほしい、というのは無理な相談でしょうか。

「ありがと。またね。」と2秒で終わるセリフを、事務的でもいいから母親に言ってあげてほしかった、とオーバリーおばちゃんは思うわけです。彼女自身のためにも…。


【作品詳細】
category :イラスト
materials:ペン画+CG

10 9月, 2011

佐賀と早稲田と九電と

私の実家から15分くらい歩くと、海です。
昔は真夜中にお風呂に入っていると、遠くから波が打ち寄せる音が、かすかにですが聞こえました。昨日は糸島の海は見たけど、唐津の海は今回はまだ見てないなー。

唐津の中心地から車で西に30分くらいのところにある唐津のサーフィンスポット。穴場。














私が通っていた県立高校は海のすぐそばに建っていました。海側の教室は、窓を開ければ目の前は海でした。窓から飛び降りれば、そこは砂浜。唐津城のふもとでもあり、ロケーションとしては最高でした。でも、去年からそこは早稲田付属系の中高一貫校になってしまいました。佐賀県が高校の土地と建物を早稲田に売却したのです。
で、その早稲田佐賀学園の寄付金の90パーセント以上(記事によれば20億)を寄付したのが九州電力でした。早稲田と九電と佐賀県との怪しい関係があらわになりました。間接的に佐賀県は九電の金を受け取ったことになる(よね?)。
そのおかげで、唐津城の下に100年以上もあった私の母校は消えたも同然。中高一貫校にするために、唐津城の下じゃ手ぜまだから移転するという理由でしたが、現在の母校の生徒数を見たら、中高合わせても私たちの時とあまり変わってない。手ぜま、というのは本当の理由だったのか疑問。
いかにも造成地、みたいな郊外の殺風景な土地に移転した新校舎は、私の母校とは言えません。売却の話を聞いたとき、同級生や先輩もみんなショックを受けてました。
こーゆーことも経済のためなの?私は、この記事を初めて読んだとき、切なくなって涙が出ました。

20億という寄付金は、もとは電気料金として九州の人たちが払ったお金(でしょ?)。
利益はまず消費者に還元されるべきでは?自然エネルギーのための上乗せ徴収が始まってますが、寄付金充当分もそれに当てればいいんじゃないのかな?

関連記事 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/6976

09 9月, 2011

糸島でシーサー

実家に帰って10日目。畑を手伝って汗と土でドロドロになり、帰りに温泉に入って帰宅した以外はずっと家にいて、家事かイラストの仕事をしていたのですが、今日やっとお出かけしました。
福岡に住む従姉妹が、今日は仕事がお休みということで、ドライブに連れてってくれました。福岡空港と唐津の中間地点にあたる糸島半島(福岡県)へ。

走行中、道路脇で花のスタンド販売の店番してるおばあちゃんを発見。従姉妹が仏さん用のお花を買う、と言って、車を停めました。
おばあちゃんは御歳90歳!まだまだ残暑厳しく照り返しもきつい道ばたで手押し車に座ってお店番。「脳梗塞でしばらく入院しとったけど、もうこんなになってもナカナカ死なんとよー。」と元気。ずっと一人で座りっぱなしで退屈しないのか、と聞いたら、「みんなここを通るけんな、どうもないよ~。」と、ポジティブ…。
「母親も私も養子(婿)をとったけん、ここ(町)から出たことがないと~。旅行はあっちこっち行ったばってんねー。」と訊いてないことまで説明してくれる。婿をとったということは本家かな?女系家族の箱入り娘だったんやねー。

よさげな陶芸工房が視界の端に入ったので、従姉妹にUターンしてもらって訪ねたシーサー工房。
愛嬌のあるシーサーがたくさん並んでます。作家は福岡市内の出身で沖縄の陶房で修行して、ここに窯をつくったそうです。
今日、初めて知ったのですが、シーサーはオスとメスの組み合わせなんだそうです。狛犬と同じ”あ・うん”の口をしてますが、口が開いてるほうがメス、歯を食いしばって閉じてるほうがオス。
飾るときは、向かって右がメス、左がオスだそうです。
どれも型を使わない、ひとつひとつ手作りなので表情が全部違います。従姉妹も私も、迷いに迷って買いました。

 家の入り口から悪いものが入らないように、普通は玄関先などに置きますが、玄関に置けないときは、部屋の中なら、鬼門の方向(北東)に向けて置くといい、とのことでした。
作家はこの日は不在のようで、対応してくれたのは作家のお母さま。お母さまはショップの隣りの家屋をカフェに改造中、と前置きして、ステキな内装を見せてくれました。椅子も手作りだそうで、見た目は8割がた出来ているようでしたが、「ここからが進まんとです~。できるとやろか~。」とちょっとスランプ期のご様子でした。
●木与井窯  福岡県糸島市志摩桜井4796-4   電話:092-327-1304

近年、糸島半島にはものづくりする人たちが移り住んでいて、陶芸家、家具職人、絵描き、ミュージシャンなど、さまざまなアーチストが集まりつつあります。糸島半島の海岸沿いは夕陽の名所。海を臨むロケーションにカフェやレストランが点在するようになりました。福岡市内中心部までは車でも電車でも40~50分くらいで、海も山も温泉もあってよかとこですたい。
糸島ぐるっとナビ http://www.itonavi.com/web/gyara/gallery.html
志摩サンセットロード ショップマップ  http://sunset.waveact.com/shop/gif/sima1.pdf

08 9月, 2011

メイン州でも反原発ウォーク

脱原発系イベントカレンダーを見ると、アメリカという記述があったので、なんだろう、と詳細を見たら、日本人女性とアメリカ人男性のご夫婦が、メイン州ロックランドからお隣りマサチューセッツ州ボストンの日本領事館まで福島の被災者のための要望書を持って歩くんだそうです。行程表を見たら、16泊されるようなので、かなりの距離を歩くみたい。地図を見たら直線距離でも300キロ以上あるようです。途中沿道の人たちとコミュニケーションとりながら歩かれるようで、反原発に賛同する人は誰でも好きな距離を一緒に歩くようです。ブログの写真を見たら、スタートの段階で10人以上のグループになって歩いてらっしゃる。
http://blog.goo.ne.jp/mkathearn
http://blog.goo.ne.jp/mkathearn/e/4ab2ea4a4b7cd9720d642151b8b520e0

私は今年の2月に見た「GATE」というドキュメンタリー映画を思い出しました。
まだブッシュ政権だったときのアメリカで、長崎のあるお寺の僧侶たちが、原爆の火をトリニティー実験場に返すために2500キロという気が遠くなるような距離を行脚した記録です。

トリニティー実験場とは、長崎に原爆が落とされる約ひと月前に人類最初の核実験が行われたところ。ここに入るためには大統領の許可が必要ですが、申請は出しているものの許可は出ません。それでも、彼らは原爆の火をたずさえて歩きます。やがて、地方のテレビ局が次々と彼らの様子を報道し始めます。灼熱のアリゾナの砂漠を横切るように黙々と歩く彼らを見たアメリカの人々は…。

この映画の監督は、アメリカ人ですが、日本で育ったという経歴を持つマット・テイラー。
ナレーションが「地獄の黙示録」で主役を演じたマーチン・シーンと松島菜々子。マーチン・シーンはこの映画に感動して、自らナレーションを買って出たのだとか。
行脚は2005年7月のことですが、6年経った今、また更にこの行脚の重みが感じられます。
是非、ご覧ください。
(自主上映作品のため、全国のどこかで上映やってます。上映予定は9月11日大阪市、9月23日静岡市、10月8日名古屋市、10月9日茨城県守谷市、11月3日別府市、11月12日上田市、13日京都市など。詳細は下記オフィシャルサイトでご確認ください。)
GATEオフィシャルサイト http://www.gate-movie.jp/

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9月11日からは月末にかけて全国各地で反原発のイベントが行われます。反原発イベント情報などで、お近くのイベントを探して参加してみませんか?
私は19日の明治公園での集会に妹や友人と行く予定です。大江健三郎氏、落合恵子氏、山本太郎氏などの集会でのゲストの発言もあります。

07 9月, 2011

ドロさま素麺

時は明治時代、フランス人宣教師マルク・マリー・ド・ロ神父が、貴族である父親から相続した自身の財産を使って、貧しい外海(現・長崎市西出津町)の人々の生活の助けになるように素麺の製法を教え、工場を作ったのがドロさま素麺の始まり。私が最初に食べたのは、遠藤周作文学館内の喫茶店アンシャンテ。ドロさま素麺という名前に惹かれて、何だろう?、と思って注文したら、少し太めのコシがある素麺で、とても美味しかったのです。
http://www.e-nagasaki.com/makers/shops/details.php?id=45

左の写真は、ドロさまの記念館近くの道端にあった花壇。これといって、とりたてて目立つ花が咲いてるわけでもないのに、なんだか気持ちのよい花壇でした。ドロさまの心が西出津町のあちこちに生きてるみたいです。PCの壁紙に使ってます。













ドロさまは私財で教会も建てました。白壁の美しい出津教会と石造りの壁のこじんまりとした大野教会。他にもイワシ網工場をつくったり、苦しい境遇にある婦女子のための救護院などをつくったりしました。フランスで身につけた農業、印刷、医療、土木、建築、養蚕業などを私財を投じて外海の人たちに伝え、土地を買い取り開墾もしたのです。(一種の天才だね~。)

文学館のロケーションも最高で、海を臨む高台(崖っぷちのような)に建ってます。夕日の名所でもあります。遠藤周作の名著「沈黙」を片手にドロさま素麺を食べて、夕日を見つつ、貴族の出身でありながら東の果ての異国で骨をうずめた慈悲深い天才・ドロさまの功績に思いを馳せる長崎でのステキな一日はいかが?

06 9月, 2011

淳ちゃんの鍼(はり)仕事

美大時代からの友人・淳ちゃんが、鍼灸マッサージ師として独立開業しました。

鍼が怖い方も多いようですが、全然痛くありません。
鍼を入れるとき、トントントン、と3〜4回ほど鍼の頭を軽く叩くのですが、その最初の一発目がたまに蚊に刺された程度にチクッとすることはあります。しかし、その後は無痛です。「2センチくらい入ってるよー。」と言われますが、痛くはないのです。不思議です。
淳ちゃんはネコを飼っていて、そのネコが寝てるときに鍼を打つ練習したそうですが、ネコは鍼を打たれたことに気が付かず、スヤスヤ寝ていたそうです。

一昨年のある日、淳ちゃんとランチの約束をしていました。その日は頭痛で目が覚めて、しばらく横になっていましたが、一向に頭痛はおさまらず吐き気さえしてきました。ランチのキャンセルの連絡をしようにも淳ちゃんは携帯電話を持たないので、午前中から出かけていた淳ちゃんをつかまえることができません。
待ち合わせ場所に行って断るしかないと思い、頭痛と吐き気に耐えながら待ち合わせ場所に電車で向かいました。また間の悪いことに、その日は、電車が信号故障でしばらく止まっていたらしく、お昼近い時間だったのに、朝の通勤ラッシュ並みの混み具合。頭痛と吐き気の二重苦の体が満員電車の中で、思い切りつま先立ちのナナメになったりして脂汗が出て、生きた心地しませんでした。
やっとの思いで待ち合わせ場所に到着。淳ちゃんに今にも死にそうな声で「ごめん、今日食事できない…。」と言ったら、「今、鍼を持ってるから打ってあげる。少し休んでから帰れば?」と言ってくれました。待ち合わせ場所のレストランの前に順番待ち用の椅子があったので、そこに座って足と腕と首筋に何本かずつ鍼を打ってもらいました。
鍼を打ってから20分も経った頃には、吐き気がなくなっていました。頭痛も軽くなっています。なんか、食べれそうな気がしてきました。淳ちゃんが「じゃ、首に二本置き鍼して、食べちゃう?」と言って、首筋から虫の触角でも飛び出してるみたいに長い鍼を刺してくれました。料理が運ばれてきた頃には、頭痛は完全に消えていて、満席に近いお客さんの中で、私は鍼を首に刺したままフレンチのランチをデザートまで美味しく食べました。
パンにバター欲しい、とさえ思い、「バターください」とたのんだら、淳ちゃんは「さっきまで吐き気してた人が、バターたのむなんて…。」と笑っていました。
その後も淳ちゃんには何度か助けられ、同じような劇的な回復を経験しました。
また、淳ちゃんは漢方の勉強もしていて、紙おむつをしている私の母のために、漢方の手作り軟膏を分けてくれました。口に入れても大丈夫なその軟膏は、私も母もお気に入りの一品です。

鍼には相性みたいなものがあるそうなので、100人中100人が症状改善する保証はないようですが、それは病院を受診しても同じこと。私が鍼を好きなのは副作用がないことと、安心感があることです。病院では、医師は患者に触りもしないことがあり、数分の決まりきった問診で終わることも多いのですが、鍼灸師は必ず脈を診たり、顔色を診たり、いろいろと症状を尋ねたりという、相手に触れながら診る、というコミュニケーションをとります。それが安心感につながります。特に淳ちゃんは丁寧に聞いてくれます。淳ちゃん自身が癌という大病を乗り越えた経験を持っているからだと思います。
淳ちゃんはニューヨークやベルリンなど海外での制作活動の経験もあり、母校の女子美術大学で講師もしてる現役のアーチストでもあります。かなり前から彼女自身の染色体や脳のスキャニング画像などを使って、身体と精神をテーマに作品発表していて、自分でも予想だにしなかった(羅癌→闘病→鍼灸師)というプロセスさえも、今ではアーチストとして切り離せない重要な要素となっているようです。淳ちゃんのホームページ http://junkosuzuki.fem.jp/

現在、井の頭線浜田山駅(東京都杉並区)が最寄の、治療院での施術と往診による施術の両方を受け付けています。ちなみに、かかりつけ医などの”鍼灸治療を認める”という旨の承諾書のようなものがあれば、健康保険が適用されるそうです。予約や施術等についてのご質問はメールでお問い合わせください。
問い合わせ先 : 鈴木淳子  junkosynap@yahoo.co.jp    
淳ちゃんは東京都内在住なので、往診の範囲は関東圏内だと思いますが、念のためお問い合わせください。

05 9月, 2011

脳がよみがえるリハビリ法

脳卒中による半身不随の患者のための新しいリハビリの可能性をリポートした番組を見た。
4日に放送されたNHKスペシャル「脳がよみがえる~脳卒中・リハビリ革命」は、とても興味深い番組。
”川平法”と呼ばれるリハビリ法が、脳卒中による半身マヒの今まで不可能とされた領域までの回復を実現している。体のマヒのある部分を刺激することで脳に刺激を与え、脳の機能を呼び覚ましていくことで脳から筋肉への伝達機能を高めて、マヒした体を動かせるようになっていく。2年間リハビリしてもマヒで物がつかめなかった人が、2ヶ月ほどのリハビリで物がつかめて、めざましい進歩をもたらす川平法は、すべての脳卒中患者にとって福音だろう。
今のところ、日本でこのリハビリを受けられるのは、川平教授がいる鹿児島大病院霧島リハビリセンターだけらしい。外部からの研修も受け入れているようなので、それを習得した人がいるところに行くのもいいようだが、習得レベルに個人差があるようだ。
関連記事はこちら。http://qnet.nishinippon.co.jp/medical/doctor/feature/post_14.shtml
実際に霧島でリハビリした方のブログ。http://ameblo.jp/kurasanslog/theme-10025309502.html

また、リハビリに意外な効果をもたらすのが”褒めること”だというのも、面白い。脳は褒められることでがんばるらしいのだ。しかも、「データなどを示して、具体的に褒める」ことと「すかさず褒める」というのがコツだそうだ。ナビゲーターは「子育てにも通じる」と言っていた。脳は、”こども”なんだね。








photo:  
Angel in Ephesus~ TURKY


アメリカの研究者が言っていた言葉が印象的だった。
「脳は機能を失った一方で、機能を回復させていく新たな力も獲得するのです」
私は、”脳”という単語を”人生”という単語に置き換えて、この言葉を飲み込んだ。
すべての困難には、希望がもれなく付いてくるものなのかもしれない。ただ、その希望は、積極的に獲得しにいかないといけないけど…。

04 9月, 2011

残暑お見舞い申し上げます












【作品詳細】
category :水彩画
materials:水彩絵の具+画用紙




母が通うデイサービスの金魚すくい競争で、母が一番になったという。きっと誇らしかったろう。

誰でも一度は金魚すくいで買ってきては、餌やりすぎて

死なせてしまったことがありはしないか、夜店の金魚。
どこか切なや、赤い金魚。なぜだろう。

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残暑見舞いは、立秋(2011・8・8)を過ぎてから処暑(8・23~9・7)までの間に。

03 9月, 2011

台風に思う

illustrated by obarie
父が畑仕事に行っているところは、父が生まれ育った今は無人の実家です。
玉島川という古事記にも出てくる川のすぐそば10メートル足らずのところに100年くらい建ってる家です。今は、川もだいぶ様変わりしましたが、私が小さかったころは、ハヤや鮎がたくさん泳いでいて、祖父が投げ網で川魚を獲ってたのを覚えています。川の岩場には川蟹(モズク蟹。通称ツガニ。渡り蟹くらいの大きさ)が居て、父は割り箸の先にスルメをくくりつけたものを岩場の下に差し込んで、蟹をとっていました。とった蟹は生きたまま研いだ米に入れて、塩と醤油と酒だけで味付けしてにんじんとごぼうをその他の具に、蟹ご飯を炊いていました。私の生涯の中で一番ご馳走の炊き込みご飯です。川蟹は身(肉)の味が濃く、それを食べ慣れると、海の蟹の肉は大味に感じます。蟹味噌も海のものより、川蟹の方が濃厚です。そんな川蟹も水害で岩場が減ったりして昔ほど獲れなくなりました。
ホタルもよく飛んでいたので、その餌であるカワニナもたくさんいて、茹でて食べてました。夏休みのちょっとしたおやつでした。(小学生の私はカワニナがホタルの餌だと知りませんでした。)今は、ホタルも見えませんが…。
そんな自然の恵みでいっぱいの川も、台風などによる集中豪雨に遭うと表情を変えます。100年の間に何度か床上浸水して、そのたびに家が少し動くのでしょう、家の柱はどれもかなり傾いてます。
調べてみたら、最後の床上浸水は1983年。玉島川は83年までの100年の間に5回の水害を起こしていました。平均して20年に一回は水害に遭っているので、平均でいえばまたそろそろ来るのかしら、という感じです。水害がなければ、畑もみかんの木もあり、春はたけのこ、実のなる木は他にもビワ、柿、カリン、梅など自然の恵みいっぱいの場所です。
でも、もし父が居なくなった後、床上浸水の被害に遭ったら、畑の後始末やら、家屋の修理などは保険金が多少出たとしても、私のなけなしの金ではどうにもできないだろうと父は考えていて、最近は父が生きてる間に土地と家屋を処分することを考えてるようです。私も、お金のやりくりができるのであれば、土地と家屋を引き継いでいきたいのですが、もし次の水害に遭って家が住めない状態になったら、と思うと、やりくりしていく自信はありません。土地を売るにしてもサラ地にしなければならないので、サラ地にするのに300万くらいかかります。ど田舎で買い物にも不便なところで、水害の可能性もあるとなると、サラ地にした費用300万でも売れないでしょう。
災害に遭うとは大変なことです。自給自足の生活にちょっとあこがれていましたが、自然とまともに向き合う生活はあこがれだけではできないかもしれません。祖父も曽祖父も、そこしか住むところがなかったから、度重なる浸水で家が傾いても住み続けたのでしょう。
そこで生まれ育ったり、そこしか住むところがなければ、被害に遭っても住めなくなるまで人は住み続けるのだと、わかるようになったのは最近のことです。私も、次の水害が来るまでは畑をやりながら住んでみようかしら、という思いもあるからです。もしかしたら生きてる間に来ないかもしれないし…。
今、まさに北上している台風12号で被害に遭った人たちの苦労が少しでも軽くなるよう祈ります。明日はわが身、かもしれません。災害国である日本は遥か昔から、災害にあっては、また再出発する、という営みを延々と続けてきたのです。すごいことです。
3.11の被害で、生まれ育った土地を離れざるを得ない人たちは、物質としての家だけではない、たくさんの思い出も手放すことになると思うと、胸がつぶれそうです。

放射能に汚染されなければ、元の土地に戻ってゼロから始める人も多いでしょう。そんな時支えになるのは、その場所にまつわる多くの思い出と仲間でしょう。でも、汚染された今、思い出いっぱいの土地に戻ることもできず、仲間もバラバラ。
それでも、尚生きていかなければならない。わが身に置き換えたら…、思考が停止してしまいそうです。
自分たちが国を動かしていると思い込んでいる政治家や経済界の人たちに願うことは、「自然災害を避けることができない国なのだから、せめて再生可能な自然を残す」、ということを最低限の条件で政治活動、及び経済活動をして欲しい、ってことです。

02 9月, 2011

小姑

illustrated by obarie
父のことである。三日前から、九州の実家に帰ってるが、今回父の小姑化が著しいと感じる。小姑との戦いの場は、なんといっても台所に尽きる。

今日の小姑の小言
・父、気に食わないという感じで「俺は味噌汁のニンジンは千切りにする」(私はいちょう切りにしていた)
・父「肉は酒に漬けたとか?」(冷凍庫に焼肉用牛肉の塊を見つけた私は、面倒くさいのでそのままフライパンに放り込んで焼いていた)、私「そういうことは焼く前に言ってよ。それに冷凍するときは一枚ずつラップで包んでよ。酒に漬けられんけん。」、父「早めに出して解凍しとけ!」
・父「ヨーグルト(手作り)は、そのサジじゃいかん。このサジ(竹製の大さじ)ば使え!雑菌が入る。」(私は金属の大さじで入れていた。どのサジでも雑菌がつくのは変わらないのに…。)
・父が吸い物の味付け中、しょっぱく感じたのか、砂糖を入れようとしたので、私が「砂糖入れたらマズくなるよ。」、父「うるさい!」

などなど。
私は双方の親から反対されて結婚したこともあって、夫の親族とは会ったことがないので、実際の嫁vs姑または小姑の戦いを経験したことがない。でも、実の親でもこまごまとうるさいのに、他人の親と同居してたら、ストレスはいかほどのものだろうか、と想像した。実の親だから、簡単に口答えしてしまうけど、他人なら、最初は小さなことと思い、いちいち気持ちをお互い飲み込んでガマンするだろうし、それがたまっていったらキツイだろうなー。

私が仲良くしている叔母は父の妹。母は親族内の愚痴は決して言わない人だが、一度だけ、叔母との台所での出来事を話してくれたことがある。
法事のときに叔母と母が台所に立っていたときのこと。叔母が味噌汁をグツグツ煮立てていたのを見て、母が、「味噌汁が沸騰してますよ。火を止めた方が…。」と言ったら、叔母は「先刻ご承知!!」と言い放ったそうである。40年くらい前のことらしいが、いやー、コワかったろうな…。
ちなみに叔母は、今も相変わらず味噌汁をグツグツ煮立てている。私がいくら注意しても…。

譲れるところは譲りながら料理していこう。ぶつかることもあるだろうけど…。
いつか、父が居なくなったら、うるさい文句さえ懐かしくなるかもしれない。

01 9月, 2011

葉っぱの版画 vol.2

一昨日、ご紹介した葉っぱの版画の応用編。刷った葉っぱの版画をじっと見つめていると、いろんなものに見えてきます。私は鳥に見えることが多いので、丸い点や線を、目や足、くちばしとして葉っぱに描き加えて鳥にします。動物なら大抵のものになります。耳と目と鼻をくわえるとネズミになるし、尾びれと背びれをつければ魚にも。他には、カエル、お花、蝶、カメ、e.t.c。
単純な丸や線を加えて、遊べます。