12 9月, 2011

気が重い

昨日11日は、9.11から10年、3.11から半年、という日に当たるため、それらに関する番組をあちこちでやってましたね。5年前に制作されたチェルノブイリ原発事故の番組を見ました。事故から20年後の原発の街ピリピャチの様子や、事故当時に事故処理のために働いた人たちのその後など伝えていましたが、現在の福島も同じような状態になるのだろうかと、福島を重ねて見てしまいました。
25年前のチェルノブイリの事故で、人は学んだのか…。事故の性格は違うにしても、結果で見れば、福島の事故を見る限り、何も学ばなかった、ということでしょうか。今や人間は宇宙で暮らすテクノロジーまで持っているのに、原発の事故が起きたら、石棺で囲うか、汚染された土をはがすか、水で洗い流すか、というとても原始的な方法しかない。除染作業にかかる費用は算定不能とまでされています。
チェルノブイリは石棺で覆われましたが、完全ではなく、今も現場では放射線レベルは高いままで、汚染され続けています。石棺を完全なものにするには、あと10億ドル必要で、予算がないためにそのまま放置されていています。
チェルノブイリと福島の事故で、人間が学ぶとしたら、「核は持たない」ということしかない、と思うのですが…。

世界に於ける原発の主なメーカーは、wikiによると2008年現在でアレヴァ-三菱、東芝、GE-日立の3グループに絞られていて、どのグループにも日本企業が入ってます。この日本企業が原発ビジネスから撤退する勇気があるでしょうか…。原発と日本企業がここまで深く結びついてるとは想像していなかっただけに、考えただけでも気が重い…。
一度開けてしまったパンドラの箱は、二度と閉じないのでしょうか…。