14 6月, 2011

二千年の沈黙

個展のときに制作したスクラッチボード作品(部分)です。
ヨーロッパを旅行したとき、教会が好きでよく見てまわるのですが、
磔(はりつけ)のイエスを見るたびに、人類はいつまでイエスを磔にしたままで
いるのだろう、とふと思ったことを絵にしました。二千年もの間、民衆の
愚行を見ながらも、十字架の上で沈黙するイエスを表現したかったのですが、
イエスに似なくて、女性っぽくなっちゃいました。
























私の好きな映画で、アクションスターで有名なメル・ギブソンが監督した、
パッション」というイエスを題材にした映画があります。福音書に忠実に
作られた映画で話題になりましたが、私はその映画を見て、イエスの磔を
望んだのは民衆だった、ということを初めて知って、とてもショックでした。
そんな民衆に対してもイエスは死の間際に父よ、彼らを赦して下さい。
なぜなら、彼らは何をしているのかわからないからです。と言って亡くな
ります。私だったら、恨みつらみを言いながら死ぬことででしょう。自らを
犠牲にして、民衆の罪を背負ったイエスですが、二千年の間、相変わらず愚
行を重ねる人類の歴史を思う時、イエスが犠牲を払うだけの価値があったの
だろうか、と考える今日このごろ。

この絵を見た知り合いのデザイナーさんが「Tシャツの背中とかにあったら
カッコいいかもねー。アメリカの暴走族に売れるんじゃない?」だって…。
そうかもね…。十字架を背負ってハーレーにまたがる暴走族、ってカッコイ
イね。刺青でもいいかもしれない…。

もし私が刺青師だったら、いい仕事できるかしら〜(ちょっと興味あり…)
と時々考えることがあります。
東南アジアに行くとヘタくそなきたない刺青してる欧米人がたくさん歩いて
いて、そいうの見るたびに、描き(彫り?)直したい衝動に駆られます。
先日、妹にも「お姉ちゃん、刺青師に向いてるかもよ。」と言われました。
でもねー、人様の肌を傷つけるのって、自信ないなあ…。