16 2月, 2013

映画「ナイロビの蜂」

〜今週の名画座・キネマ大羽〜

映画の内容はよく知らなくても、何となくタイトルに魅かれて見たくなる映画がある。
「ナイロビの蜂」かあ〜、文芸作品的なタイトルじゃん。舞台はアフリカかー。おっ、それにイギリスを代表する性格俳優レイフ・ファインズとくれば、おもしろいかも〜、と思って見始めた映画。
しかし、ロマンチックに感じた邦題「ナイロビの蜂」は、実はアフリカのナイロビの甘い蜜(利権)にたかる製薬会社(蜂はその会社の名前でもある)のことであり、その社会的犯罪を追求しようとして殺された女性と、その女性の軌跡をたどっていく夫の物語だった。

レイフ・ファインズ演じるジャスティンは高等弁務官レイチェル・ワイズ演じるジャーナリストのテッサと、ある講演会で知り合って、二人は恋に落ち結婚する。ジャスティンは、国やその政府を代弁する立場(つまり誠実な飼い犬ね)、テッサはその政治や社会の真実を追究するという対立しやすい立場だが、お互いを大切に思う二人だった。
ケニアに異動となったジャスティンについてきたテッサは、イギリスの製薬会社がケニアの貧しい人々を対象に、慈善事業のように見せかけて実は死に至らしめるような薬の人体実験をしていることに気がついてしまう。我が身の危険をかえりみず、真相を追求するテッサだったが、取材に出た先で殺害される。当初ただの強盗殺人として処理されていたが、自宅にあったテッサのパソコンや書類が警察によって押収されたのを目の当たりにした夫のジャスティンは、テッサが殺された背景に何かがあると感づくのだった。
「君を守る」と言っておきながら妻を守れなかったという自責の念も手伝って、テッサが志半ばにして敗北した闘いを引き継ぐことになるのだが…。

別な言い方をすれば、真実を見ようとせずに生きてきた男と真実を追い続けた女が出会い、妻となった女が殺された。
彼女に出会う前と同じように、真実を見ずに生きていくこともできたはずなのに、それをしなかった夫。なぜなら妻を愛していたから。そして愛することとは、真実を見つめることだったから…。

後半、ジャスティンが危険な目に遭いながらも真相に近づいて行く様は、一級の社会派サスペンスドラマだし、テッサの軌跡をたどる中で、ジャスティンが亡き妻との愛を再確認していく様は上質の愛情ドラマとなっている。
異なる立場の二人でも愛し合うことは可能であり、巨大な悪に立ち向かうための原動力は、陳腐なようだがやはり”愛”なのだと思わずにはいられない。
Ayub Ogadaの美しい音楽が切ない。泣けます…。
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この映画の原作本は、ケニアでは発禁本扱いだったそうです。ケニア政府の痛いところを突いていたのでしょう。利権をめぐる企業や政治家の癒着は、日本にも多々ありますね。知った事実が正しいか否かを判断するのはまた個人個人の問題であり自由ですが、私たちはまず、真相を知ること、なぜソレが起きたのかを自分の頭で考えることが大切だと思います。原発問題も、アルジェリアの人質事件も…。