17 7月, 2012

豪雨の中で考えた

九州が集中豪雨に襲われていた頃、用があって佐賀県の実家に居た。
5月から人に貸している父の実家は川のすぐそばにあり、100年の間に数回床上浸水している。山から流れてくる川が平地の流れに変わるあたりに位置して、しかも少し窪んだ地形にあることから川が溢れ出しやすい地形に家が建ってるらしい。数度の床上浸水のせいで家が浮き上がるのか、柱がずれて斜めになっているが、まだしっかり建っている。
今までの床上浸水は台風の直撃時の大雨によるものだったそうで、父は「こんな集中豪雨は初めてだ」と言った。
たまたま、その家に父と行った時、集中豪雨が始まった。突然バケツをひっくり返したような雨、というか滝みたいな雨で、慌てて車に乗り込んで自宅に帰ろうとしたものの、真っ昼間にも関わらず、雨のカーテンで前も後ろも見えず、特に後ろはワイパーがないから後続車が数メーターの距離に近づいて初めて突然ライト(をつけていれば)が見える、という状態で、とても怖くなり、数百メーター走ったところに公園があったので、しばらくそこで待避していた。

運転していたのは私だったので、とにかく視界が悪いうちは運転したくなかった。しかし、父は「大丈夫さい!オレが運転する。代われ。」と言い、私は視界が良くなるまでじっとしていた方がいい、と言い、しばらく押し問答になった。
思うに、恐怖の物差しは個人差があるらしい(性差かもしれない)。もとから私の運転には信用がない父なので、ベテランのつもりの父は運転できると思ったのか、私がただの臆病者だと思って、そんな私に、父としてか男としてかいいとこ見せたかったのか知らないが、あの強情さにはあきれる。
ほんの数十分待避して話しでもしてればいいものを。道路の中央ラインさえ見えないというのに。自分が正しく運転しても、他の車が突っ込んでくることもあり得るというのに。
結局、父お得意のいまいましい怒鳴り声にも負けず、私は運転席を譲らなかった。

災害時のニュースを見ていて、雨風のいちばんひどい時に屋根に上ったり、川の様子を見に行ったりして亡くなる人のことを聞くことがあると、「なんでまた、そんな状況の時に外の様子を見に行ったりするのかしら〜?」と不思議でならなかったが、父はまさにそのタイプだったんだわ。

この世の中、なんだかんだ言ってもまだ男社会。男性諸氏からの反発を承知であえて言わせてもらえば、原発があれだけ危険だとわかっていても、まだ稼動し続けたがるのは、この「男性」特有の妙な「大丈夫だ」「じっとしているより前に進むべきだ」という根拠のない自信がなせるワザ(?)じゃないかと父の言動に触れて思った。(全ての男性がそうだと言ってるわけじゃございません。稼動賛成派の男性諸氏のことで〜す。女性も少数居るみたいだけど、男性に多いと思う。悪しからず…。)

自ら原子炉の中に入って確認したわけでもないくせに、「安全を確認した」というなんら根拠のない、説得力もない言葉を連発する政治家と父は同類なんだわ〜。
視界の悪い中で運転して、もしかしたら無事に帰れるかもしれないし、もしかしたら事故に遭うかもしれない、という五分五分の状況で、国民全員を乗せた車を見切り発車させようとするのは、正しいのか?事故に遭った場合の責任のツケは結局国民への増税という形でしかとれないくせに。それでも正しいとすれば、その根拠は?誰かちゃんと納得させてくれー。ホントに必要なものなら、私だって納得したい。
精密な計算と細心の注意を払って行なわれる宇宙ロケットの打ち上げだって何回も失敗してるのに、原発だけ「安全です」って言える妙な自信って、一体ナニ?
レバ刺しはすぐ禁止するのに、原発は禁止しないのね。レバ刺しより危険なのに。
まだくすぶってる原子炉があるのに。理解不能…。父よ、あなたも理解不能…。