08 6月, 2013

映画「幸せパズル」

〜今週の名画座・キネマ大羽〜

今まで”誰かの妻”、あるいは”誰かの母”としてしか生きていなかった女性が、シグソーパズルを通して個人の”私”として精神的に自立していく物語。

マリアは50歳の専業主婦。もう愛の、恋の、という間柄ではないけれど、それなりに夫に愛され、二人の息子たちもそれぞれ自立しようとしている、ごく普通の中流家庭の主婦だ。ある日、誕生日のプレゼントにもらったジグソーパズルにマリアはのめり込む。

それなりに幸せだった毎日。それは今も変わらないはずなのに、マリアの心はひそかにざわつき始める。
次男はガールフレンドの影響でベジタリアンになり、マリアの作った肉料理を批判するし、長男は家を出ると宣言するし、夫はパズルに夢中なマリアを理解しない。今まで、妻であり、母であったのに、その肩書きさえなくなっていきそうな、なんだか誰からも必要とされないようなちょっとミジメな気分になっていた。



自分に意外な才能があるのを自覚したマリアは、パズルの大会に出場するパートナー募集の広告を目にして応募する。
広告主は独身紳士の大富豪ロベルト。マリアの才能を目にしたロベルトは、マリアとともに大会を目指すためのトレーニングを開始する。才能を開花させるマリア。
でも、家族に内緒でロベルトの元に通っていたマリアは…。
というストーリー展開だ。



マリアのパズルを触る仕草がいい。
まるで、パズルのピースを愛撫するように触るのだ。
パズルのプレーヤーにとって、まず絵の縁取りから始めるのが定石らしいのだが、マリアは絵の中身から手をつける。
マリア以外のプレーヤーが、パズルをシステマティックに”組み立て”ているのに対して、マリアはまるでパズルで絵を”描いて”いるように見えるのだ。
マリアの「ナゼ、絵を見ないの?」という言葉が印象的だ。

パズル大会ではマリアの異端ともいえる方法で、ぶっちぎりの勝利を収めるマリア・ロベルト組だったが、ロベルトとお互いに魅かれ合っていたマリアがとった選択とは…。というのがこの映画の山場かな?

実際のところ、ロベルトと一線は越えるのだが、その先が肝心。
夫を捨ててロベルトの元へ行くのか、ロベルトのことを断念して夫の元に戻るのか、なんていう、今までの不倫映画とはちょっと違う終わり方をする。
最初、???、この終わり方は何?と思ったが、これこそが監督が伝えたかったことだったのね、とエンドロールの映像を見てるうちに気がついた。
誰かの妻、誰かの母、誰かの恋人、のいずれでもなく、マリア自身であることをマリアは選んだのだと。

でも、簡単にそこに到達したわけじゃない。胸が張り裂けそうな気持ちを抱いて、泣いて、悩んで、選択したのだ。
終始軽妙な音楽とともに、女性監督らしい優しいタッチで物語は展開するのだけれど、最後にさわやかな風が吹いたような気がした。