07 9月, 2012

広島で途中下車

夏の青春18きっぷは9月10日が使用期限となっている。5枚綴りのうち、残った2枚で東京から九州の実家に帰ることにした。
途中、岡山の友人宅に2泊して九州の実家に向かったが、尾道に住むKちゃんが原爆資料館を見に行くと言うので、私も途中下車して同行した。
広島の原爆資料館は初めて。実家は長崎に近いので、中学(だったかな?)の修学旅行で長崎の原爆資料館は行ったことがある。被爆者の写真や原爆の恐ろしさをうかがい知るための品物などの記憶はあるが、内容は憶えていない。

広島は暑かった。原爆が落ちた日も暑かったろう。
原爆ドームは川のすぐそばにあり、ドームから資料館に向かってその川沿いの道を歩きながら、川にぎっしり浮かんだ死体を想像した。
死体はすぐに腐ったことだろう。地獄絵図のような悲惨さだったろう。


原爆資料館を見学した率直な感想を言うと、想像したほどの悲惨さは伝わってこなかった。少なくとも私とKちゃんには。小学生など幼い子が見ることを配慮してなのか、アメリカに遠慮しているのか…。資料館というものは、資料を淡々と展示するものであって、悲惨さを表に出してはいけないんだろうか?
2〜3の展示(手の皮膚が垂れ下がったまま歩く女学生の蝋人形や、全身火傷の人の写真)を除いては、とにかく想像力をかきたてながら資料を見ていかないと、「戦争は悲惨だ!」という感情が出てこない気がした。なんというか、太平洋戦争の歴史の概要や、原子爆弾というものについての長い教科書を見ているような気分だった。おとなでも途中から集中力が欠けてきて説明文を読むのが面倒になってくるのに、子どもならなおさらだろう。

私の想像力をいちばんかき立てたのは、原爆の爆風で固いコンクリートの壁に突き刺さったガラスの破片だ。普通、どんなに頑張ったって、ガラスの破片を建物の固い壁に突き刺すことは不可能だろう。どれだけ高速のスピードで突き刺さったのかを想像するとゾッとした。それが、人の体に同じスピードでぶつかったら?刺さるどころか貫通してしまうだろう。
爆風の熱で溶けたガラス瓶の固まりも、想像力をかきたてた。生きたまま、燃え盛る焼却炉に投げ込まれるのと同じだったろう。

白血病など、原爆が原因と思われる病気は、戦後15年くらいたってから急増したというのも、コワイことだと思った。知らない間に体は放射能に蝕まれていくのだ。
福島の原発事故の影響による病気も10年から15年後くらいに急増するのだろうか。

戦争終結を早めるための原爆、というのは口実で、日本が原爆の実験場として選ばれたことも忘れてはならない。
連合軍の同じ敵方であるドイツでもなくイタリアでもなく、日本だったこと。原爆自体
も恐ろしいが、非戦闘員である一般市民をねらって、実験に適した地形を冷静に検討した人間そのものが残酷なのだと感じた。