例えば画用紙だけでも、ツルっとしたものやざらざらしたもの、そのざらざら加減も色もいろいろで、全部とっておきたい困った性分だ。
また、イラストを描くときの参考になるからと、雑誌のページを破りとったものや、いろんな切り抜きなどが、机の上に山と積まれている。
そんなこんなで、半分、もの置き状態になっている机を整理しようと、紙の山に向かったら、また久しぶりに見るものだから、懐かしかったり、「やっぱりコレきれい〜」と捨てられなくなる。
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ルキノ・ビスコンティと妹のウベルタ。 背後の絵は、彼らの母親の肖像画。 9年前のANAの機内誌を破りとったもの。 |
名監督と呼ばれる人たちはたくさん居るけれど、貴族の出身という経歴を持つ監督は彼だけではないだろうか。貴族の生まれではあるけれど、若いときは共産党に入党していたこともあり、初期の監督作品は労働者階級を描いている。
私が二十代の頃、ビスコンティの映画を名画座で見たときは、長くて退屈と感じて途中で寝た映画もあったけど、人生の多少の波風にあたった後の今、同じ映画を見てみると、以前は気にもしなかったところに感動をおぼえ、また、完璧主義だったビスコンティが作り上げた美しい空間の隅々に目を見張ってしまうのだ。
彼の映画は一言で言えば、滅びの美学とでもいいますか、「本物の貴族が創った、滅びゆく貴族を描いた映画」だ。
記事の最後に、ビスコンティの妹が語ったという、イスキア島の別荘でビスコンティが亡くなるときの様子が書かれていた。
「夕方5時頃でした。ブラームスの交響曲第2番を聴いて、それが終わると私の方を向いて ”もう十分だ。疲れた” そう言って息をひきとったのです」
ひゃ〜、かっちょいい〜。映画のワンシーンみたいだ。
私は、その4枚のページを後生大事にとっておこうと、再びファイルにしまい込みました。