部屋は物を作る材料やら資料やらがいっぱいで、片づけが苦手でものが捨てられない私は、修道女だったときの反動的生活をしているのだろうか。
そんなシスター・オーバリーが、興味津々で見た映画「ザ・ライト」のご紹介。見たいなー、と思っていたら、深夜の映画専門チャンネルでやっていた。
幼い頃に経験した母の死の記憶が、信仰への疑問の原因となっている主人公の青年が、悪魔祓いのエキスパートの神父と出会って、自分の進むべき道を見出していく、という物語。
バチカンを中心とするクリスチャンの世界では今も悪魔祓いが実際に行われている。昔、大ヒットした「エクソシスト」も実話をベースにした映画なのだ。悪魔の正体はどうあれ、悪魔というものはクリスチャンの世界では正式に存在するらしい。バチカンに悪魔祓いの学校があることは、今回この映画で初めて知った。
この映画も実話に基づく映画であり、映画的なコワさはあまりない(真実としては怖いが)。まじめに(?)悪魔祓いをえがいた映画、ってとこか…。
興味深かったのが、神父が悪魔祓いをするときに、執拗に悪魔の名前を問いただすところだ。悪魔は決して名前を言わない。悪魔というものは巧みに隠れる。つまり憑依する。神父は悪魔が人にとりついていることはわかっていても、名前を聞き出さないと、追い出せないらしい。ということは名前を聞き出さない限り、隠れ続けることができる、ということか…。
名前というものは、いろんな意味でそこに狙いを定めるためのロック機能を持っているようだ。自分の名前を言ったり、ひとの名前を呼んだりすることは、思った以上に聖なることなのかもしれない。
だから名前の響きや画数にこだわったり、姓名判断を気にしたり、というのは必然なのだろう。
蛇足ではあるけれど、神社でお参りするときには、まず自分の住所氏名年齢を述べるのが正式な参り方だと聞いてからというもの、私は必ず名を名乗るようにしている。名前言わないと、神様は区別がつかないの~?と最初は思ったけれど、この映画を見て、名前を言うことで神様と自分の間に筋道のようなものが通るのではないかと改めて思った次第。