10 11月, 2018

映画「ゲッベルスと私」


〜キネマ大羽〜 今年の「見て考えるのじゃ」の一本

時折差し挟まれるナチス関連のアーカイブ映像以外は、第二次世界大戦中ドイツの宣伝相ゲッベルスの秘書として働いていた、102歳のブルンヒルデさんが独白する上半身が、画面いっぱいに映し出されるのみのフィルムだ。
ドイツ語がわからない私には、日本語字幕を読む作業に徹するような鑑賞形態となり、まるで読書をしているような気分になった。

彼女は、たまに感情を表すことはあるが、年齢からはとても考えられないほどの明晰さを発揮しながら、始終淡々と記憶を語る。

私は(ホロコーストを)知らなかった。私は悪くない。という、彼女の発言に見る者の心はわずかにざわつく。
だが、しかし、あなたならどうするか?私ならどうするか?
と考えてみると、ブルンヒルデさんをジャッジできる資格はないだろうな、と思い直す。

途中、何度か眠くなったので、大切なメッセージを見逃したかと思い、めずらしくパンフレットを購入した。

とくに見逃した重要なメッセージはなさそうだったが、パンフレットの最後のページに、小さめの字で、〜映画で伝えられていないこと〜という囲みを見つけた。
映画で語っていたブルンヒルデさんには、1936年当時、半ユダヤ人の恋人がいた、というのだ。
その恋人は、迫害から逃れるためにひとりオランダに亡命し、その頃、彼女は彼の子を身ごもっていたが、肺を悪くしていたため医者に勧められ、中絶をしたという。
そして、何回かオランダで密会していたが、当局から怪しまれることを恐れて密会をやめ、戦争勃発を機に音信不通となった。
と書いてあった。

そういう彼女の個人的背景を知ると、彼女の口から語られた内容からくる印象が、また違ったものに感じられてきた。

ただ、映画の中で、あえて監督が上記の事実を一切伝えなかったのは、「ゲッベルスと私」の私とは、ブルンヒルデさんだけのことではなく、もしも、私がナチスと関わることがあればどうするか、ゲッベルスの部下だったらどうするか、彼女と同じ立場にあるとしたら私はどうするか?、というところに焦点を当てて考えてほしいから、という監督の意図があったから、ということらしい。

最近の映画パンフレットは、値段の価値も無いようなのが多いけど、今回は、パンフレット買って良かった、と素直に思った。
そして、映画が眠かろうが、反発を感じようが、兎にも角にも、私たちは映画のテーマについて自分の頭で考えなければならないのだ。

余談だが、当時日本の有名女優と宣伝相ゲッベルスが一緒に写った写真が残っている。
原節子だ。1937年の日独合作映画でデビューして間もない美しい原節子とゲッベルスが並んでいる写真を見たとき、歴史に翻弄され背負うものもあったのだろうな、と、ふと思った、