12 1月, 2014

ぶらぶらと林芙美子記念館へ

昨夜遅く、帰京した。帰京したというより、帰還いたしました!、という気分。
実家にいた一ヶ月近く、いろいろあったが、鬱々とした気分のままブログを書く気分になれず、パソコンも仕事で使う以外は閉じていた。

今日はどこでもいいから東京の空気を感じてブラブラと歩きたいと思い、街歩きの好きなKちゃんに声かけたら、林芙美子記念館に行ってみたい、とのご提案。
そこで、今回の街歩きは東中野(JR総武線)〜中井(西武新宿線)〜林芙美子記念館〜川に沿って新宿区落合界隈〜終点・高田馬場とあいなった。
何年ぶりかに降り立った東中野駅はキレイになっていた。キレイになるのはいいけれど、駅ごとにもっと個性的にならないものかな〜。
大通りを避けて、住宅の込み合った裏手の道を林芙美子記念館に向かって歩く。途中銭湯があったので入浴料を見ると450円。私が銭湯に通っていた頃の2倍だわ〜。

室内には上がれないが、外からほとんどの
部屋を見ることができる。年に2回は抽選で
各回20名ずつが室内に入れるとのこと。
中井駅まで来ると、記念館はすぐそこ。記念館は林芙美子が生前住んでいた自宅がそのまま保存されている。
林芙美子に関しては一切関心もなかったし、森光子が舞台「放浪記」の記録的ロングランを打ち立てたと聞いたときも見たいとも何とも思わなかったのだが、この家を見て、林芙美子への興味が沸いた。なんともステキな日本家屋なのだ。
少女の頃まで行商する両親と共に日本各地を渡り歩いた林芙美子の「家」への憧れ(執着?)の集大成といったところだろう。建築家にアドバイスをあおぎながら芙美子自ら設計し、大工も一級の腕を持つ職人を選んだ、と言うだけあって、至る所にさりげなく素晴らしいしつらえがなされている。京都でたくさんの寺院などを見て建物の研究もしたという。




また林芙美子があのノーベル賞作家の川端康成との親交があったというのが意外だったのだが、川端康成からの手紙の文面には文豪の匂いは一切なく、普通の男性のなんの変哲もない日常の報告みたいな文面が逆に新鮮だった。
川端康成は林芙美子の葬儀の際の葬儀委員長も務めていて、林芙美子の生前の人となりのネガティブな面を連想させる意味深な弔辞も述べている。普通、葬式でそんな弔辞は言わんじゃろう的なこと(私は、川端康成の芙美子への情を感じるのだが)を川端康成に言わせた林芙美子に増々興味津々。
「放浪記」を読まねばなりませんな。

記念館は、梅やバラなど庭の植物も種類が豊富なので、四季折々の庭を楽しみに訪ねたい。ボランティアのガイドさんが常駐されてるので、一度はガイドさんのお話を聞くといい。入館料150円も嬉しい安さ。

さて、1時間半も記念館に居たらお腹がすいた。なんか美味しいとこないかしら〜、と商店街をふらふらさまよっていたら、中井駅の踏切脇にあったタイ料理の看板に目が行く。
久しぶりのタイ料理ランチに心弾んで建物の狭い階段を登ると、ありました。まるで現地タイの食堂のようなこじんまりとしたお店が。お店の名前は「サワディー」。ランチセット760円は美味しゅうございました。近くにあったら毎週行きたいくらいだ。

さて、おなかも満足して、食後の運動も兼ねて、川に沿って高田馬場までぶらぶら歩き、Kちゃんおすすめの喫茶店で長いお茶して本日のブラブラ歩きは終了。その喫茶店、利用者の平均年齢が高めで落ち着く空間。通りに面したカウンター席に妙齢の男性のみ(それぞれお一人様)がずらりと並んで読書されており、その他のテーブル席は見事にほぼ女性陣、というふうに棲み分け(?)ができているのが面白かった。

また余談だが、高田馬場ではもしかして名物(迷物?)おじさんなのではないかと思われる初老の男性が、この寒いのにTシャツ1枚でハモニカ(たぶん)吹きながら自転車で走ってきて、西友の前の歩道でおもむろにエクソサイズ始めたのには少々びっくり。ま、でも他人に迷惑かけるわけじゃなし、元気なのはいいことです。うちの父とお友達になって欲しいくらいだわ〜。

名画座・早稲田松竹で、好みの映画やってたら見て帰ろうかなー、と思っていたけど、今回はパス。今日は、新たにお気に入りのブラブラコースを開拓できて嬉しい。
ぶらぶら歩いて、他愛もないおしゃべりをして、体の中のどんよりした空気が少し入れ替わったようです。