16 11月, 2018

久住山へ




大分県の山、久住山(1786.5m)に30年ぶりくらいに登った。
前日、ひとり高速を飛ばしてきた疲れか、単独登山の緊張か、登山当日の朝、軽い頭痛と軽い吐き気があった。一瞬、登山やめて部屋で寝てようかとも思ったが、ホテルにお弁当頼んでいたから、とりあえず受け取りに行き、ロビーまで下りたら、せっかくだから車で登山口までは行ってみようと思い直し、一応用意した装備を持って出かけた。

空は晴れていたが、登山口の駐車場で車を降りたら風が冷たい!
シャツ、セーター、ダウン、ヤッケと全部着込んで、とりあえず行けるところまで行って、体調と相談しながら歩くことにした。
頭は重いのに、意外に足は動く。普段、体調良くても、息はすぐ切れ足は重くなるのに。不思議だった。
引き返す距離も頭に入れて、これ以上無理と感じたら引き返すつもりで、様子みながら歩いたら、標準タイムよりは30分遅れの3時間ほどで久住山頂に到着。
写真では、石ころしかない山に見えるが、登山口から山頂までの間には、箱庭みたいな場所もあり、岩場ありハシゴあり、高山植物もあり、でバリエーション豊かな山だと思う。

山頂まであと10分くらいあたりで、下ってくる人とすれ違うとき、「山頂、もうすぐですよ」と声かけてもらい、嬉しかった。登山口で「すごく寒いですねー」と声かけてくれた人だった、と思う。声が似ていたから。
ほとんど下向いて登ってるから、顔はほとんど見てないさ〜。

山頂からは、阿蘇の五岳の仏陀の涅槃像もキレイに見えた。

いろんな人がいた。女性一人で登ってる人は他にも何人か居た。
犬を連れて登ってる女性もいた。犬が相棒っていいな。

大人でもしないような真剣な表情で必死に先生について歩く幼稚園児たちのグループにも会った。愛おしかった。その一人一人を写真に撮って、彼らが20年後30年後に壁にぶち当たったとき、見せてあげたいと思ったくらいだ。

2年後のスペイン巡礼の旅の練習のつもりで登ったが、気候に対する装備など、今後の課題もわかり、よい山行だった。


10 11月, 2018

映画「ゲッベルスと私」


〜キネマ大羽〜 今年の「見て考えるのじゃ」の一本

時折差し挟まれるナチス関連のアーカイブ映像以外は、第二次世界大戦中ドイツの宣伝相ゲッベルスの秘書として働いていた、102歳のブルンヒルデさんが独白する上半身が、画面いっぱいに映し出されるのみのフィルムだ。
ドイツ語がわからない私には、日本語字幕を読む作業に徹するような鑑賞形態となり、まるで読書をしているような気分になった。

彼女は、たまに感情を表すことはあるが、年齢からはとても考えられないほどの明晰さを発揮しながら、始終淡々と記憶を語る。

私は(ホロコーストを)知らなかった。私は悪くない。という、彼女の発言に見る者の心はわずかにざわつく。
だが、しかし、あなたならどうするか?私ならどうするか?
と考えてみると、ブルンヒルデさんをジャッジできる資格はないだろうな、と思い直す。

途中、何度か眠くなったので、大切なメッセージを見逃したかと思い、めずらしくパンフレットを購入した。

とくに見逃した重要なメッセージはなさそうだったが、パンフレットの最後のページに、小さめの字で、〜映画で伝えられていないこと〜という囲みを見つけた。
映画で語っていたブルンヒルデさんには、1936年当時、半ユダヤ人の恋人がいた、というのだ。
その恋人は、迫害から逃れるためにひとりオランダに亡命し、その頃、彼女は彼の子を身ごもっていたが、肺を悪くしていたため医者に勧められ、中絶をしたという。
そして、何回かオランダで密会していたが、当局から怪しまれることを恐れて密会をやめ、戦争勃発を機に音信不通となった。
と書いてあった。

そういう彼女の個人的背景を知ると、彼女の口から語られた内容からくる印象が、また違ったものに感じられてきた。

ただ、映画の中で、あえて監督が上記の事実を一切伝えなかったのは、「ゲッベルスと私」の私とは、ブルンヒルデさんだけのことではなく、もしも、私がナチスと関わることがあればどうするか、ゲッベルスの部下だったらどうするか、彼女と同じ立場にあるとしたら私はどうするか?、というところに焦点を当てて考えてほしいから、という監督の意図があったから、ということらしい。

最近の映画パンフレットは、値段の価値も無いようなのが多いけど、今回は、パンフレット買って良かった、と素直に思った。
そして、映画が眠かろうが、反発を感じようが、兎にも角にも、私たちは映画のテーマについて自分の頭で考えなければならないのだ。

余談だが、当時日本の有名女優と宣伝相ゲッベルスが一緒に写った写真が残っている。
原節子だ。1937年の日独合作映画でデビューして間もない美しい原節子とゲッベルスが並んでいる写真を見たとき、歴史に翻弄され背負うものもあったのだろうな、と、ふと思った、

09 9月, 2016

蕁麻疹とスギナ

しばらくぶりの更新です。
その間、いろいろありましたが、記事を書く元気がございませんでした。
好きだったおじさん(正確には父の従兄弟)が急死したり、交通事故起こしたり(かなりへこみました…)、などなど…。

今日、久々に筆をとったのは、蕁麻疹のことで、これは記録に残したい、と思いましたので…。
この10日間くらい、太ももの裏にひどい蕁麻疹(じんましん)が出て、かゆくてかゆくてたまりませんでした。今までの経験で、何らかの原因で免疫が落ちる(腎臓や肝臓の機能が弱まる)と蕁麻疹が出ていたので、今回も免疫が落ちているのかなあ、と思っていました。
蕁麻疹で病院に行っても、根本原因は見てくれず、かゆみ緩和のための抗ヒスタミン剤やステロイドが入った薬を処方されることが多いようですから、長期間続く慢性の場合は、私は蕁麻疹で病院には行きません(呼吸困難を起こすような急性の蕁麻疹の時は病院へ行きましょう)

先月、実家に帰った時、道の駅で干したスギナを買いました。
夏からむくみがひどくなっていて、以前からスギナ茶はむくみに良いと聞いていたので。
買ったはいいけど、猛暑ですし、冷房のない台所で何かを煎じるという行為そのものがつらいので、スギナはしばらく手つかずでした。

道の駅で買っても100円。また買いに行こう。
帰京して蕁麻疹が出始め、ちょっとスギナ摂ってみようと思い、まずはスギナをみじん切りにして炊きあがったご飯に混ぜて食べました。青のりみたいな味がして美味しいですよ(ごま塩混ぜたらもっとウマい)。2食食べましたが、それだ
けじゃ効力が感じられず、あまりにかゆいので、今度は濃く煎じて飲んでみました。
昨日の昼のことです。スギナの煎じ汁は美味しくはないです。苦くはないけど。
だから飲むときは麦茶を少し加えて飲みました。
で、ちょこちょことお茶がわりに寝る前まで飲んで、今朝も飲んで出かけたのですが、今日は蕁麻疹が出なかったのです。
数日はかかるだろうと思っていたので、その速攻ぶりに驚きました。

慢性の蕁麻疹でお困りのときは、試してみる価値はあります。
近くにスギナが生えてる場合は、春から7月くらい(柔らかい)にかけて、農薬やペットの糞尿などで汚染されてない場所のスギナを刈り取って、洗って干すだけです。

あ、これ書きながら思い出したけど、うちの自転車置き場にスギナが生えてた。
なんて、灯台元暗しなんでしょう。明日、刈り取ろう。9月(硬い)だけど、まあいいや。
食べるには硬すぎるけど、煎じるには問題ないから。
自然の恵みは偉大です。

スギナ茶、効能、のキーワード検索でいろいろ出てきます。
蕁麻疹の他にも、美白や肌トラブル、リュウマチや関節炎、膀胱炎や腫瘍、などいろいろあります。日本だけでなく、海外、特にドイツではかなり昔から注目されていて今も自然療法として有名です。


13 4月, 2016

映画「ルーム」

〜今週のロードショウ〜

17歳で誘拐され、7年もの間せまい部屋に監禁され、その部屋で誘拐犯との間にできた子を産み育て、その子が5歳になったとき、母と子は…。
こんなあらすじを読むと、先日発覚した誘拐監禁事件を思い出さずにはいられないだろうが、これは犯罪をショッキングにえがいて怖がる映画ではない。

映画を見ながら私は泣いた。鼻水が出て、鼻が詰まるくらい泣いた。
なぜなら、被害者であるこの親子は、監禁されていた時よりも、助け出されて家に戻ってからの方が、何倍も苦しむからだ。
生まれた時から狭い部屋だけが”世界”の全てだった幼子と、広い世界から狭い部屋に閉じ込められ自由を奪われた若い母親は、監禁されていたときの方が、なぜかバランスがとれていたのだ。

世界とは何なのか?
部屋とは何なのか?
閉じ込められれば不幸で、広い世界に放たれれば幸せなのか?
彼らが恋いこがれたはずの外の世界は、ナゼ親子を苦しめるのか?

「ルーム」を見ていると、禅問答のような問いが頭の中を回り始めるのでした。

が、しかし、最後にはやはり「愛」が、解決への鍵であり、希望への道しるべなんだと感じて、うれし涙で画面が曇りましたです。

なぜかと申しますと、監禁された部屋では、母親は子供を必死に守り、そして救出後の広い世界では、今度は子供が壊れそうになる母親を助けようとするからです。(も〜、この子・ジャックが、めっちゃかわいいんですよ〜)

愛が世界を変えるのです。
いや、世界は変わらないのだろうけど、世界を見る眼鏡のレンズが変わる、と言えばわかりやすいでしょうか。

おススメの映画です。是非、あなたも禅問答してください。

11 4月, 2016

手作りルーン講座

ルーン占いを勉強しているというKさんから、ケヤキの樹皮で作るルーンの作り方を教えて欲しい、という問い合わせをいただき、マンツーマンの手作りルーンのワークショップを行いました。
少々風の強い日でしたがお天気に恵まれ、戸外での作業です。
とある公園のような場所のしだれ桜の枝の下の草地に座って、おしゃべりをしながらも手を止めることなくせっせと作業しました。

投げて占うルーンは、形が違っていても
丈夫。袋の中に入れて手探りでクジの
ように引く方法なら、同じ形に作らねば
いけません。
ルーンのピースは25個必要なのですが、とりあえず20個の形を作り、そのうち7個に文字を入れたところでタイムオーバーとなりました。

最後に、どうやって占うのかデモンストレーションしていただきました。
占い方はいくつかあるようですが、Kさんは、古代ゲルマン人が行っていた方法のひとつを見せてくれました。

小さめのシーツくらいの大きさの布を地面に広げて、両手に持ったルーンをその上に投げ、表に文字が出たルーンの中で一番手前の文字を読む、という方法です。
7個しか文字は彫ってませんが、その限られた文字のルーンで見てもらった私へのアドバイスは、”賭けに出よ”でした。
ちなみに、それを意味するルーンは、写真の真ん中あたりにある、下向きの壷みたいな形したルーンです。
ルーン占い、深いな〜。

24 3月, 2016

インド日記vol.3

~同じ釜の飯~

私とKちゃんが、アーユールベディックセンターに滞在していたとき、滞在者が一番多いときで8人でした。その内訳は、日本人が3人と、オーストリア人が2人と、ハンガリー人が3人。全員女性で、年齢も似通ってる感じがしました。健康に不安を感じるお年頃は、世界共通といったところでしょうか。

食事は一階の食堂で、全員で食べます。
インドの食事というとスパイシーなものを想像しますが、デトックスを目的に滞在しているので、センターでの食事には刺激物はなく、辛くないスパイスのみで味付けされたものばかりです。
3食ともフルーツがつきますが、りんご、ぶどう、パパイヤ、みかん、スイカのローテーションです。
下記のフルーツとおかずだけが素材が微妙に変化するだけで、他は常に同じ。

朝食:フルーツジュース、ミルク粥(私は好きでした。意外にミルク臭くなかった。) 、おかず一品、フルーツ
昼食:豆のスープ、おかず1品、サラダ(にんじんトマトやきゅうりを輪切りにしただけのシンプルな)、
    玄米(インディカ米)、フルーツ、薄焼きパン
夕食:豆のスープ、トマトスープ、おかず1品、フルーツ、薄焼きパン

最初は美味しいと感じてよく食べましたが、3日目あたりから急に飽きてきました。
おかずは素材は毎回変わるものの、味付けは同じなので、毎回同じものを食べてる気分になります。
毎食写真に記録しようと意気込んでいましたが、それも何回目かには、同じに見えてきて写真も撮らなくなりました。

私が「寿司がたべたい…。」と、日本語でつぶやくと、隣に座ったオーストリア人のJさんが、なんとなくわかったみたいで「私はオーストリアの食事は恋しくはないけど、寿司は食べたい。」と言いました。

朝食。お皿に乗っている白いものはギーという無塩バター
   から作る油。アーユルベーダに於いて、知力、消化力、
精力、活力を高める効果があるとされるもの。私は薄焼き
パンに塗って食べてました。これが苦手な人もいました。
1日に2回は豆のスープが出るのですが、これがほぼ全員に不評で、参加者それぞれが、食べ物への不満を持ち始め、少しずつ食べる量が減ってきたあたりから、なんとなくですが、妙な連帯感というか共感というか、食事の不満が共通の会話のきっかけみたいになりました。
同じ釜の飯を食べた仲間、という表現がありますが、たぶんソレに近い気がしました。
 
ただ、そのとき食欲がわかなくなってきたのは、食事が口に合わないという理由だけではなかったんだな、と今は思います。なぜなら、日本に帰った今も食欲が以前ほどわかないからです。
毎日、大量のオイルで全身をマッサージされるため、からだがオイルを吸収し、それも食事の一部と同じような意味を持つのではないかと思いました。
食事量は日本に居るときの半分くらいになって、間食もしないのに、1キロくらいしか体重が落ちなかったので、そう思った次第です。オーストリア人のJさんも、食べてないのに体重が減ってない、と残念そうに言っていたので、それはこの施術の特徴的なことのようです。

デトックスとダイエットは違う、ということがわかります。

22 3月, 2016

インド日記vol.2

~時間割~

アーユルべディックセンターでは下記のような時間割があり、基本的に全員参加です。

以前一度体験し記事も書いた友人Kちゃんが一緒だったので、Kちゃんに教わりながら参加しました。
私の英会話は滅茶苦茶ですが、自分の体調や家族の病歴を日本でイラスト化しておいたものをドクターに見せたし、Kちゃんの手助けもあり、ドクターとのコミュニケーションはどうにかなりました。できれば日常会話ができるくらいの英語力があったほうが、とまどいも少ないんだろうな、と思います。

でも、英会話ができる欧州の人でさえ、内容を理解せずに施術を受けていた人がいたので、基本的なことは施術を受ける前に本などにザッと目を通しておいたほうが良いようです。

←写真はスタッフが朝のお祈りの準備をしているところ。
象の姿をした神様ガネーシャや、青い肌が特徴のクリシュナ神が祀ってあります。

6:00  起床
6:30  用意されたレモンウォーター(レモン汁と蜂蜜少々のぬるめのホットレモン)を飲む
7:00  エクソサイズ(簡単なヨガ。講師はスタッフが交代で務める。)
7:45  朝食
8:40  玄関前の庭のほこらでお祈り(ドクター、スタッフ、滞在者全員で)
9:00~ 一人ずつ医師と面談(脈診や血圧測定の後、体調などを伝えたり、質問したり。)
9:30~ 施術(ひとりあたりの所要時間はだいたい一時間半。自分の順番が来るまで洗濯などする。)
 
13:30  昼食
15:30  エクソサイズ(簡単なヨガ。この時間だけ、アメリカ人のステキなおばあちゃん講師。)
16:30  ダイニングでお茶の時間(水分補給のため)
17:30  各自でウォーキング(大学病院の敷地内を自由に歩く。時間が余れば、瞑想ルームに行く人も。)
18:30  エクソサイズ(簡単なヨガ。講師はスタッフが交代で務める。)
19:30  夕食
21:00~22:00 就寝

このように、割と一時間刻みでカリキュラムが組まれているので、意外にぼんやりする時間はなく、読もうと思って持参した2冊の本のうち1冊の半分しか読めませんでした。

インド日記

インドに行ってきました。
滞在日数はちょうど2週間。
うち10泊11日間は、ヒマラヤンホスピタルという病院の広い敷地内の一角にあるアーユールベディックセンターに滞在し、インドの伝承医学アーユールベーダの施術を受けてきました。

結果から申しますと、”行ってきて良かった”です。
でも、それは、すばらしいデトックス効果があったから、とかではなく、帰国してから徐々に感じる小さな事柄によるものです。 
食欲が抑えられていて甘いものに食指がわかなくなっていることは(一緒に行った友人はチョコを食べてるみたいだから、誰でも同じ効果ではないようです。)一番うれしい効果ですが、その他は説明しにくい個人的な事柄です。 
そこで出会った人たちも、”良かった”ことの一部だし、イラスト描いててよかったと思ったのもその一部。

ホテルではないので部屋は質素で、生活そのものは寄宿生活に近い感じです。
日本で受けるマッサージの優雅なイメージとは違うので、どなたにでも手放しでおススメできるものではありませんが、本気で体質改善をしたい方には良いと思います。
実際、ひどいリューマチで階段の上り下りが難しかった方が10日間の滞在で、階段をゆっくりですが普通に昇り降りできるようになって帰っていかれた方が居ました。ご本人も感激されていました。

これから、少しずつ、そんなインドでの滞在のあれこれを書いていきたいと思っています。

写真は、アーユルベディックセンター滞在後に行った聖地リシケシュ。ガンジス川の上流にある聖地で、毎年ヨガフェスティバルがあることで有名。ガンジス川を見下ろすカフェ”Little Buddha Cafe"で絵日記制作中。
無駄に積みすぎのナプキンが景観の邪魔。

21 2月, 2016

PC音痴の買い物

自宅で普段使っているiMacでHuluの動画が急に見れなくなった。
私のMacが古くて、Huluを見るために必要なシステム条件を満たせなくなったらしい。
OSをアップデートすればよいかと思ったら、私のMacはこれ以上新しいOSにバージョンアップできない、とメッセージが出てくる。

Huluの動画見る以外は問題ないので、Macを買い替えるつもりはないが、Huluは見たい…。
これを機会にHuluを解約する根性があればいいが、私は根性なし。

数日前唐津に居た時、新聞にはさまったチラシに、市民会館で企業や官公庁のお下がりノートパソコンを安く販売する、と書いてあったので、ちょっと見に行って良かったら買おうと思い、無駄買いせぬよう、前夜に妹や友人とラインしながら選び方の基本を教えてもらった。

九州の実家にもノートを一台置いているが、それも中古で、その時は翌日帰省で急いでいたからソフマップで、「フォトショップやイラストレーターの作業が出来て、動画も見れるものどれですか?」とPC音痴丸出しで質問して、薦められたものを買った次第。
そしたら、それが32bitってやつで、買ってしばらくして何かのとき不都合があった。音痴なので、詳細は忘れたが、何かソフトをインストールしようとして32bitだとインストールできなかった、みたいなことがあったと思う。
PCに詳しい妹に、に「32bitと64bitなら、どっちがいいの?」と聞いたら、「32bitは絶滅危惧種だから」と短い返事が来た。今後、32bitに対応するシステムがなくなってくる、とのこと。
私の条件その①先々を考えたら64bit

妹も友人も言っていたが、「(チェックするとき)大切なのはCPUだからね。」
私はすかさず「CPUって何?」
友人「パソコンの脳みそよ。性能。」
私はiMacを15年以上使って来たけど、CPUという単語の意味さえ知らなかったのでる。
当面の最大の目的、動画を見るには、そのCPUとやらはどれがよいの?
仕様書を見ていたら、CPUの欄に主に「core」と書いてあるのと「celeron」って書いてあるのとある。
celeronのノートを譲るという友人がいたので、またまたどっちがいいのか妹に聞いたら、ある表が送られてきた。ベンチマークテストという、CPUの性能を測った結果のグラフ。
それ見ると一目瞭然で、「core」の方がいいのですね、と思うしかなかった。
私の条件その②CPUは「core」を
参考→https://www.cpubenchmark.net/cpu.php?cpu=Intel+Celeron+2980U+%40+1.60GHz
調べたいcerelonと、他のCPUの性能を比べて、そのcerelonがどのくらいの価値があるかを示している)
補足:ネットの記事を読むとcerelonでも性能のよいものはあるみたいだが、それはパソコンに詳しい人じゃないとわからないような内容だった。

続けざまに妹は「動画を快適に見たかったら、ハードディスクが100GB以上は必要だからね」とも述べた。
私の条件その③HDの容量は100GB以上を

あとは希望のメモリ数とか、ノートの希望の大きさを考え合わせて、その値段で釣り合うかどうか、を判断していかなければならない、ということがわってきた。
妹は「メモリはだいたい1GBあたり1万円って考えとくといいかもね」
(補足:価格.comで検索すると、中古ノートの1万円台のものはメモリが1GBのが多いし、2万円台になると2GBのものが出てくるので、そういう意味での、1GBあたり1万円ということだろう。自分でPCをカスタマイズするような人は、1万円台の安いPCを買い、1GBあたり1000円前後のメモリを別に買って増設してるみたいだ。

スペック(仕様)のお勉強で、脳みそがパンパンになりそうだったが、翌日の市民会館での販売会では衝動買いせずに済んだ。価格.comで、展示されている同機種のものとスペックや値段を見比べたら、ネットで中古を買った方が良さそうだと判断したからだ。

そして昨日、価格.com見まくり、いずれグラフィック系のソフトを入れる事も考えて、Windows7 prefessional 64bit、CPUがIntel Core i5, HDが500GB、メモリが8GB、Microsoft Office  XP Personal入り、15.6インチのDELLの中古ノートを買った。ちょうど5万円だった。送料無料。
5年間は使いたいが、どうでっしゃろ?

お疲れさまでした〜。

18 2月, 2016

老人介護施設

老人介護施設で、元職員が入居者を転落死させていたとして、逮捕された。

犯人がわかる前の記事http://www.sankei.com/premium/news/150919/prm1509190026-n1.html
犯人逮捕の記事http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160220/k10010416251000.html
あってはならない事件であり、どんなにストレスを抱えていたとしても「情状酌量の余地なし、終身刑か死刑!」と私は心の中で叫んだ。
とりあえず、ストレスたまって人を殺したくなったら、その職場をすぐやめてくれませんか?お願いだから。
ストレスたまったからという理由で人を殺していたら、世界中から人が居なくなるでしょう。

そのニュースが流れた数日後、私が東京に戻るにあたって母をショートステイに預けに行ったら、施設の担当者さんが「お母様が、入居中のサービスについて、何かこうして欲しいとか、ご不満とかおっしゃってませんか?」と、遠慮がちに聞いてきた。
あ〜、あの事件のせいかな〜、と思いながらも、「母は、不満は言ってないです。スタッフの皆さんに良くしてもらってる、と言ってますよ。」と私は言った。

介護施設に犯人が就職するとき、面接した責任者が、「大抵が私服を着てくるのに、彼(犯人)は背広を着てきてきちんとしていた。」と言っていた。
人の命を預かる仕事をする人を面接する人の資質を疑ってしまう。金儲けとしか考えてないから、そうなるのだ。心理学者か精神科医か、せめて人が発する危険信号を見抜ける人に面接してほしい。
「背広着ている=人間がちゃんとしている」と見るなら、世界中の背広着た人たちはどうなの?

介護施設は、施設によって雰囲気が違う。それは、建物のきれいさとはあまり関係ない。
その雰囲気は結局人がつくり出しているのだ。
母が去年一時的に入っていた施設では、廊下ですれちがっても挨拶をしないスタッフが多いことが気になった。建物は新しくてとてもきれいだったけど。
私は、自分がそこに居たいかどうか、というとても個人的な感覚でまず判断するようにしている。

これからの時代、介護施設への入居希望者は増える事はあっても、減る事はないだろう。
施設入居者は、基本的に手がかかる。手がかかって、家では面倒見きれないから、預けるのだ。今回の事件をきっかけに施設の入れ物の質ではなく、日本中のスタッフの質が上がる事を期待したい。
月並みですが、優しい人、が一番です。


11 2月, 2016

メモ魔のつぶやき〜1

部屋に紙類が多すぎてイヤになり、整理を始めたら、いろいろメモが出てくる。
何かの番組を見ながらメモしたものとか、講演会を聴きに行ってメモしたものとか…。

今、読んでみると、何の役にも立ちそうにない知識をメモしている。
一応、へぇ〜そんなんだ〜、と改めて思うけど、これをメモして、一体何に役立てるつもりだったのか…。メモしても、憶えてないし…。

本日の役に立たないメモはコレ。
●男性の体内で常に作られる物質→テストステロン(16歳〜25歳がピーク)
●殺人を最も多く行う年齢→16歳〜30歳
●地元チームの勝利後に家庭内暴力が増える→被害者の三分の一が妻か恋人

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たぶん、このメモは、テストステロンの威力を知って、メモしたものだろう。
内容から見て、日本じゃなくて欧米の統計だろうと思う。
暴力を減らすには、このテストステロンをコントロールすればいいのだろうが、どうすればテストステロンをコントロールできるかはメモにないので、役に立たない…。
(それに、最近の記事を読むと、テストステロンが暴力の主犯とは限らない、と書いてあるものも多い。)

今思うに、私の父はテストステロンが多かったのかもしれない…。
しかもピーク時の年齢をはるかに越えても、さかんに分泌していたみたいだ。
暴力的だったのは父が悪かったんじゃななくて、テストステロンが悪かったんだと思っておこう…。とりあえず…。

関連記事:http://www.nikkei-science.com/page/magazine/0808/200808_064.html

03 2月, 2016

映画の楽しみ

私が映画の楽しみを知ったのは、大学1年生のとき。
同じ唐津の高校の同級生だったMさんに、吉祥寺の名画座の2本立てに誘われたのがきっかけだった。
Mさんは高校卒業後、すぐに音大に入り、私は一浪して美大に入ったので、Mさんは私よりも1年早く東京の映画館、特に名画座の楽しみを知っていたようだった。

その二本立ては今でも憶えている。
メル・ギブソンが主演の映画の2本だてで、一本が「マッドマックス」で、もう1本が「誓い」という、戦地での友情をえがいたものだった。

ただ、その映画が感動的でよく憶えている、というわけではなく、その映画を見た状況が私としてはビックリポンだったので、よく憶えているのかもしれない。
というのも、Mさんと映画館に入って、いざ席につこうと思ったら、Mさんはおもむろに「私、映画は一人で見るの。分かれて座ろうね。」と言い、私から離れて行ったのだ。

一瞬、私は嫌われているのか、と思ったけれど、嫌いな人を映画には誘わないだろうし、でも、一人で見たいならナゼ私を誘ったんだろう?、と、一人で席についてからもしばらくグルグル考えてしまった。
でも、最初に見た「誓い」が感動的で、私はすぐに映画の世界に引き込まれていった。
そして、1本見終わったとき、Mさんの”映画鑑賞方針”は正しい、と思った。

休憩時間になって、よし2本目も一人で見るわよ〜、と期待をふくらませていたら、Mさんが隣の席に移って来た。さすがに2本とも離れて見るのは、誘った手前、不自然だと思ったのかも知れない。
「ん?一人で見たかったんやないと?」と言いたかったが、言わずに休憩が終わるまで映画について雑談した。

それ以降、私も映画はほとんど一人で見に行くようになった。
これは良さそうだ、とか見たくてたまらない映画であればあるほど、一人で見に行く。
例えば、友人を誘ったとすると、友人が映画を気に入ってくれてるかどうか気になって、自分が映画に集中できないのだ。
それに、もし期待通りに感動した場合、ひとりの方が余韻に浸りやすいのである。

逆に、誘われた場合は一緒に見に行く。私は誘われた側だから、友人が映画が気に入ったかどうか気にする必要がないからだ。

というわけで、今夜は仕事帰りに一人で映画館に行った。
府中アートマンのすぐそばの映画館は毎週水曜がレディースデーとなっておるので、9時に仕事が終わって、夜9時半開演の「白鯨との闘い」を見に行った。
今夜の気分は、自分を鼓舞するようなものを見たかったので、それにしたのだが、いまいち鼓舞されるには至らなかった。全体の8割ほどを占める海上でのシーンは迫力満点ではある。ただ、監督が白鯨との闘いに主眼を置きたかったのか、人間同士の闘い(あるいは自分との闘い)に主眼を置きたかったのか、がいまいちハッキリせず、ちょっと消化不良…。特に、人間同士の葛藤については、ショッキングなテーマをはらんでいるにも関わらず、扱いが中途半端だったなあ。残念。
実話であるなら、ドキュメンタリーに徹した方が良かったかもね。
とにかく、昔のクジラ漁は大変だったんだなあ、っていう映画です。

でも、メルヴィルの「白鯨」は一度読んでみたい、と思った。
ちなみに、映画「白鯨との闘い」は実話であり、メルヴィルが実話を取材してフィクション化して書いたのが小説「白鯨」のようである。
Wikiによると、スターバックスコーヒーのスターバックとは、小説「白鯨」の中の登場人物からきている、とは、アメリカ人にとって、小説「白鯨」がいかに偉大かがうかがい知れるトリビアでございますね。

「白鯨との闘い」予告編 https://www.youtube.com/watch?v=TazylbRLKZU

02 2月, 2016

2月のアートマン

7日まで、府中アートマンにてアクセサリー販売でしています。

今日は閉店間際に、立ち寄られたご夫婦が居ました。
特にご主人は石がお好きなようで、石の話でちょっと盛り上がりました。

ネパール、インド、タイ各国で石を合計100万円分(と確か聞こえた)買ってきて、売るつもりだったけど、石が気に入りもったいなくて売らずにまだ持ってる、というようなお話でした。

オモシロいところで、閉店時間になり出入り口のシャッターが閉まり始めたので、ご夫婦は帰って行かれまし
た。
「今度、石を見せてくださいよ。」と声をかけたけど、また来てくれるかしらん?

29 1月, 2016

映画「最愛の子」

〜今週のロードショウ〜

子供がいない私でさえ、悲しくて悲しくて泣いてしまったのに、子供がいる人にとっては胸が張り裂けてしまうんじゃないだろうかと思うほどの物語。
そして、これは真実に基づいた映画なのだ。

友達と遊びに出かけたまま帰ってこない3歳の息子を必死に探しまわる両親。
そして、さらわれてきたその子を我が子のように愛し育てた女。
3年後に我が子を探し当てた両親だったが、息子は両親を憶えていないどころか、必死に我が子を取り返そうとする両親を恐れて心を開かない。
親が必死になればなるほど、子への愛は、その子を傷つけていくのだった。

親と子と育ての親との関係は、周囲の人間も巻き込んで、愛と悲しみと憎しみと希望と絶望が複雑にからまっていく…。
一度失ってしまったものを同じ形で取り戻すことは不可能に感じられて、胸が苦しくなる。
複雑にからまったまま進んでいかざるを得ない登場人物たち。
私たちは、どんな状態であろうと生きていかねばならないのだ。
ラストシーンの出来事はさらなる悲しみなのか、それとも希望の始まりなのか…。
涙でにじむ画面をぼんやり見ながら、エンドクレジットが長く続けばいいのに、と思った。
すぐに会場が明るくなりませんように、と。

この映画には結末はない。もちろん誘拐は間違っている。誘拐などあってはいけない。
でも、起きてしまったら…。その先は?
中国で頻発する誘拐は、私たちにとって他人事ではない。
現に北朝鮮に子供を兄弟を拉致された家族は、20年30年経った今でもまだ探し続けている、闘っている。

残酷なほどの現実をつきつけられて、人は何をどう選択してけばいいのだろう?
答えは出ないかもしれないが、考えを止めてはいけません。

24 1月, 2016

洞窟おじさん

時々、NHKオンデマンドを見ているのだが、久しぶりに番組を検索していたら、「洞窟おじさん」というドラマが目にとまった。
リリー・フランキーに生瀬勝久とくればオモシロいに決まっている。
以前「サラリーマンNEO」というコント番組が大好きで、DVD借りてまで見ていたのだが、「サラリーマンNEO」の製作陣が関わっているというだけあって、笑いの”間”みたいのが「サラリーマンNEO」を彷彿とさせる。
大笑いする場面もあるけれど、「洞窟おじさん」の根底に流れるものは”悲しさ”や”切なさ”。
私は笑ったり泣いたり忙しかった。

洞窟おじさんとは実在の人物で、物語もほぼ真実だというから驚きだ。
12歳でわけあって家出して、43年間!!!も山の洞窟や川べりで生きてきた、ある意味
小野田さん横井さんを凌ぐ人物だ。
人間は時に残酷であり、そしてたまらなく優しくもある。
心に傷を負った少年が、43年間も一人で生きて行かざるを得なかった人生が、独特のペーソスと笑いで綴られる物語です。
おススメ。

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NHKオンデマンド「洞窟おじさん」https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2015065543SA000/
リリー・フランキー対談 http://www.news-postseven.com/archives/20150929_353423.html
リリー・フランキー インタビュー
http://www.nhk.or.jp/bs/topics/talk/004.html

23 1月, 2016

マルティン・ニーメラー

NHKのドキュメンタリー「映像の世紀」を見ていたとき、一編の詩が心に残った。
それは第二次世界大戦中の反ナチス運動家であった牧師マルティン・ニーメラー(Friedrich Gustav Emil Martin Niemöller)の言葉を戦後に詩にしたものらしい。

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ナチスが最初、共産主義者を攻撃したとき
私は声を上げなかった
私は共産主義者ではなかったから

ナチスがユダヤ人を連行して行ったとき
わたしは声を上げなかった
私はユダヤ人ではなかったから

そして、ナチスが私を攻撃したとき
私のために声を上げる者は
誰一人残っていなかった
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上記の詩が朗読されるシーンhttp://www.nhk.or.jp/special/eizo/archive?release=3&uuid=h8g4n8z1

これは、とても深い詩。
現代社会の様々な出来事にもあてはまる。

当初、ヒトラーを支持していたニーメラーだったが、教会からのユダヤ人追放政策が施行されたときから、反ナチスに転じて、終戦までの8年間、強制収容所に収容されていた。
私は、彼が最後に収容されていたダッハウ強制収容所に行った事がある。
私にとっての最初の海外旅行で、一人旅で、しかも11月から12月にかけての寒い時期だったので、気分も沈む事が時々あった中での収容所見学だった。
収容所の敷地内に多少の雪が積もっていたような…。
とにかく寒かったことだけは憶えている。
あの時、なぜダッハウ強制収容所くんだりまで一人で行こうと考えたのかが思い出せない。一人だったから行ったのかも知れないが…。

ニーメラーの経歴を読みながら、あそこに何年も居たのか〜、と思いを馳せた。
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「映像の世紀」第1集〜6集までの映像がパーツで見れます
ナチスがメインの第3集 : http://www.nhk.or.jp/special/eizo/archive?release=3

04 1月, 2016

クルミと味海苔

生のクルミを先に口に入れ、ちょっと噛んだところで、味海苔を一枚口に入れて一緒に食べてみてください。
美味しいです。

それだけです。
終わり。

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たまたまダイニングテーブルの上に、クルミと味海苔があったので、一緒に食べてみたら、すごく美味しかったので、妹に「ちょっと~、この組み合わせ、すごい美味しいんだから~」と、意気込んでススメたら、「うん、美味しいね」とクールな反応。
「えらい意気込んでるから、どんだけ美味しいんかって、期待しすぎた。普通に美味い。」とのこと。