03 2月, 2016

映画の楽しみ

私が映画の楽しみを知ったのは、大学1年生のとき。
同じ唐津の高校の同級生だったMさんに、吉祥寺の名画座の2本立てに誘われたのがきっかけだった。
Mさんは高校卒業後、すぐに音大に入り、私は一浪して美大に入ったので、Mさんは私よりも1年早く東京の映画館、特に名画座の楽しみを知っていたようだった。

その二本立ては今でも憶えている。
メル・ギブソンが主演の映画の2本だてで、一本が「マッドマックス」で、もう1本が「誓い」という、戦地での友情をえがいたものだった。

ただ、その映画が感動的でよく憶えている、というわけではなく、その映画を見た状況が私としてはビックリポンだったので、よく憶えているのかもしれない。
というのも、Mさんと映画館に入って、いざ席につこうと思ったら、Mさんはおもむろに「私、映画は一人で見るの。分かれて座ろうね。」と言い、私から離れて行ったのだ。

一瞬、私は嫌われているのか、と思ったけれど、嫌いな人を映画には誘わないだろうし、でも、一人で見たいならナゼ私を誘ったんだろう?、と、一人で席についてからもしばらくグルグル考えてしまった。
でも、最初に見た「誓い」が感動的で、私はすぐに映画の世界に引き込まれていった。
そして、1本見終わったとき、Mさんの”映画鑑賞方針”は正しい、と思った。

休憩時間になって、よし2本目も一人で見るわよ〜、と期待をふくらませていたら、Mさんが隣の席に移って来た。さすがに2本とも離れて見るのは、誘った手前、不自然だと思ったのかも知れない。
「ん?一人で見たかったんやないと?」と言いたかったが、言わずに休憩が終わるまで映画について雑談した。

それ以降、私も映画はほとんど一人で見に行くようになった。
これは良さそうだ、とか見たくてたまらない映画であればあるほど、一人で見に行く。
例えば、友人を誘ったとすると、友人が映画を気に入ってくれてるかどうか気になって、自分が映画に集中できないのだ。
それに、もし期待通りに感動した場合、ひとりの方が余韻に浸りやすいのである。

逆に、誘われた場合は一緒に見に行く。私は誘われた側だから、友人が映画が気に入ったかどうか気にする必要がないからだ。

というわけで、今夜は仕事帰りに一人で映画館に行った。
府中アートマンのすぐそばの映画館は毎週水曜がレディースデーとなっておるので、9時に仕事が終わって、夜9時半開演の「白鯨との闘い」を見に行った。
今夜の気分は、自分を鼓舞するようなものを見たかったので、それにしたのだが、いまいち鼓舞されるには至らなかった。全体の8割ほどを占める海上でのシーンは迫力満点ではある。ただ、監督が白鯨との闘いに主眼を置きたかったのか、人間同士の闘い(あるいは自分との闘い)に主眼を置きたかったのか、がいまいちハッキリせず、ちょっと消化不良…。特に、人間同士の葛藤については、ショッキングなテーマをはらんでいるにも関わらず、扱いが中途半端だったなあ。残念。
実話であるなら、ドキュメンタリーに徹した方が良かったかもね。
とにかく、昔のクジラ漁は大変だったんだなあ、っていう映画です。

でも、メルヴィルの「白鯨」は一度読んでみたい、と思った。
ちなみに、映画「白鯨との闘い」は実話であり、メルヴィルが実話を取材してフィクション化して書いたのが小説「白鯨」のようである。
Wikiによると、スターバックスコーヒーのスターバックとは、小説「白鯨」の中の登場人物からきている、とは、アメリカ人にとって、小説「白鯨」がいかに偉大かがうかがい知れるトリビアでございますね。

「白鯨との闘い」予告編 https://www.youtube.com/watch?v=TazylbRLKZU