04 12月, 2015

救いの言葉

二十年くらい前に、ひどく悲しい経験をした。
そのときは毎日、この世から消えてしまいたいと思っていた。
電車に乗っていても、「この車両で一番悲しいのは私…。」なんて思ったりもした。

そんな時、仕事をもらっていたとある事務所で、同じように外部から仕事をとりにくる男性と顔を合わせることがあって、挨拶程度しか言葉をかわさないくらいの人だったけど、その人とはじめてお茶を飲む機会があった。
その人からちょっとした仕事を依頼され、その仕事を納品して、お茶をご馳走になったと記憶する。
20歳くらいは年上で、やさしい感じのおじさんだった。

かなり落ち込んで元気のないときだったので、お茶を飲みながらの雑談のなかで、その悲しい出来事をその人に打ち明けた。
親しくもない人に、なぜプライベートな話をしたのか、そのときの話の流れは何もかも忘れてしまっている。
その人の口から出た言葉以外は…。

その人は、私の話をだまって聞いていたけれど、私が話し終わったとき、ひと言こう言った。

「悲劇のヒロインになってない?」と。
 
illustrated by obarie
一瞬、わが耳を疑った。
えっ?なんて…?

そして次の瞬間、腹がたった。
私は、何か言い返したのかどうかも覚えてない。
もう、その言葉以外は。

慰めてくれるとばかり思っていたのに、なんで?
なんでそんなこと言われなきゃいけないんだよー!?
と、心がざわめきだった感覚だけは思い出せる。

その人とは、それ以来会ってない。
事務所に行っても、その人と出会う機会はなかった。




人生には不思議なことがあるものだと思う。
あることを伝えるためだけに遣わされる人が居るのだと、今は思う。
その人が、そうだから。

私は、あの言葉で目が覚めた。ビンタを一発喰らったような感じで。
それまでは慰めてくれる友人もいたが、悲しさにはまりこんでいる私には、どんな慰めの言葉も上滑りして、心のなかに入ってこなかった。
あの言葉は、思い切り私の心に突き刺さって、でも結果的には私を救い出してくれた。

仕事上のつきあいだけなら、あたりさわりない慰めの言葉をかけていればいいものを、そんな言葉をかけてくれるなんて、人間業ではない気がするのだ。

今も、時々悲しみにはまりこもうとするときがあるけれど、そのたびに「悲劇のヒロインになってない?」と、どこからか声が聞こえてくる。