25 12月, 2015

高島野十郎展

青い林檎を右手に持ち、ところどころ破れた袈裟を着て、こちらを上目遣いに見つめる男の肖像画。薄暗い画面の中に、青い林檎だけが美しく光っている。
肖像画は画家本人。殺気立つような自画像だ。
惹き付けられるように、画家を見つめてしまった。
福岡県立美術館(地下鉄・天神駅から徒歩10分)で1月31日まで開催中の、高島野十郎展へ。

私は最初、福岡市内にあるもう一つの美術館・福岡市美術館(地下鉄・大濠公園駅から徒歩15分)だと勘違いして、「大濠公園を久しぶりにウォーキングた~、気持ちいいな~。」とさわやかな気分で美術館に4時に到着したら、やっていたのはモネ展ではないか。

ガ~ン!慌てて美術館そばのバス停に走り、天神行きのバスに飛び乗って、県立美術館へ向かった。
幸い県立美術館は夕方6時まで開館なので間に合った。ホッ…。

高島野十郎は1890年に福岡県久留米市の裕福な酒造家に生まれ育ち、東大に入って首席で卒業したにも関わらず、学問の道を捨てて画家になった人。
師を持たず、画壇に属さず、独学で、生涯独身で85歳まで画業を極めた。
青い林檎を持つ自画像は、その強い意志をあらわにしたような風貌だった。

岸田劉生の麗子像という有名な絵があるが、野十郎の自画像は”岸田劉生の人物の絵をもっと繊細にして洗練された感じにしたような”と表現すれば想像がつくだろうか…。
野十郎の林檎は、ほんとうにかじってみたいと思えるほど生命力に満ちている。

初期の作品は、繊細な筆さばきでありながら独特のタッチがあって、どれをとっても魅力的だ。
実家が裕福だったこともあり、3年ほど欧米を遊学しており、帰国後は遊学前の暗い色彩は消え、野十郎の作品に色彩が加わり、油絵の具で描かれたとは思えないほどの繊細な描写は更に極まっていく。

欧米遊学後の絵で私が惹かれたのは、蝋燭の絵と、果物の静物画、そしてタバコの絵。
「蝋燭の画家」とも言われる所以となった、小さい部屋の3つの壁にずらりと並んだ蝋燭の小さな絵たちは、その絵の前にずっとたたずんでいたいと思わせる魅力がある。
たとえば、悲しいことがあったとき、その絵の前に立つだけで心が落ち着くのではないか、と思えるような…。

蝋燭の絵は人への贈り物としてだけ描かれたもので、展覧会に出す絵ではなかったというが、蝋燭の絵をもらった方々がとてもうらやましくなるくらい魅力的だ。

ただ、私個人としては、欧州遊学後の風景画には、あまり惹かれなかった。
写実を極めた感はあるにしろキレイすぎて、きれいだな、と思う以外に琴線に触れるものがなかった。初期の作品に見られた独特の精神性や個性は暗闇があってこそのものであり、欧州で取り入れた光や色彩は、彼の個性を隠してしまう要素になっていたのではないだろうか?
師を持たず、独学で行くと決めたなら、欧州になど行かない方が良かったのではないかと思ってしまったのは、外野の勝手な意見であることは百も承知なんだけど…。

そう言いたくなるくらい、遊学前の野十郎の絵の暗さは魅力的だ。

暗闇は光を引き立たせ、光は闇を美しく照らす。
人は光だけを求めがちだが、闇を消してしまうことは、光を光たらしめないのではないか、と、光と闇について考えてしまった。

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来年4月には、東京にも巡回すると友人から聞きましたが、詳しい情報はまだ見つけられません。
展覧会が始まれば、日曜美術館あたりで取り上げられることでしょう。
生前はあまり知られることがなく、最近になって再評価されてきた野十郎。
ネット検索すると、野十郎の絵を探して高値買取するとの広告を出している画廊もあります。
ゴッホに影響を受けたといわれ、超俗的な生活を送った野十郎は、評価されようがされまいが、どこ吹く風、って感じでしょう…。